はじめに—本論文の位置づけ及び目的・方法
1999年度紀要論文において、1997年度紀要論文所収の単元構想から授業検証を経て1998年度に完成した単元一覧(カリキュラム)を掲げ、その特徴を説明した。
本論稿では、まずⅠにおいて、高等学校教科書「国語Ⅰ」の実態を取り上げ、その問題点を考察する。
Ⅱにおいて、「国語Ⅰ」の教科書から1ないし2教材を用いて再構成した1999年度の単元一覧(カリキュラム)を掲げる。
Ⅲでは、1999年度実践中、構造化に際して新たな試みを行った「単元 言葉をとらえる・言葉でとらえる」を取り上げ、その成果と課題を明らかにする。
さらにⅣにおいて、上記Ⅱに示した全単元(カリキュラム)を実践した結果、明らかになった成果と課題を考察する。
Ⅰ 高等学校教科書「国語Ⅰ」の実態及び問題点
現行の高等学校学習指導要領「国語」には、「国語Ⅰ」「国語Ⅱ」「現代文」「古典Ⅰ」「古典講読」「国語表現」「現代語」といった科目がある。高等学校の教科書を考察するにあたり、その中で唯一の必修科目となっている「国語Ⅰ」を取り上げることとする。
「国語Ⅰ」の教科書を見ると、全ての教科書が「現代文編」(もしくは「現代文・表現編」)「古文編」「漢文編」の三編構成となっていて、多くは三編ともジャンル別単元構成となっている。
以下に勤務校で使用している大修館書店『国語Ⅰ改訂版』(平成10年初版発行)のうちの「現代文編」についてのみ、単元名と教材名の一覧を掲げておく。
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│一 随想—「友情」/「紅山桜」
│二 小説(一)—「羅生門」
│ 「わたしのディッピー」
│三 評論(一)—「幸福について」
│ 「ヘンデルと力士」
│四 詩—「しろい春」「ネロ」「甃のうへ」
│ 「一つのメルヘン」
│五 言語と表現—「言葉についての新しい認識」
│ 「文章について」
│六 短歌と俳句—短歌・俳句
│七 さまざまな文章—「鉄塔を登る男」/
│ 「山猫」/「目でなく、心で見る」/
│ 「考えさせられるふたつの答え」
│八 日本語—「わたし」/「日本語らしい表現」
│九 小説(二)—「伊豆の踊り子」/「とんかつ」
│十 評論(二)—「機械と人間」/「自然と人間」
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「現代文編」には、ジャンル単元での教科書編成からの脱却を試みたものが若干存在するとはいえ、十分とは言えない。例えば、桐原書店版『探求 国語Ⅰ』・『展開 国語Ⅰ』は、共に、随想・評論教材の単元にテーマ風単元名を付しているが、教材を見ると、教材のテーマではなく話題に関係した単元名がつけられている。以下は『探求 国語Ⅰ』における単元名と教材名の一部である。
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│ 単元1 随想Ⅰ—宇宙と言葉—
│ 「上下・縦横・高低のない世界」
│ 「言語の開く世界」
│ 単元3 評論Ⅰ—文化の現在—
│ 「再び空知川の岸辺に」
│ 「日本のかたち・アジアのカタチ」
│ 単元5 随想Ⅱ—自己と社会—
│ 「手を見つめる」
│ 「マニアについて」
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また、角川書店版『高校生の国語1』では、3つのテーマを掲げて構成している。しかしテーマが大きすぎてどのような教材でもそのテーマに持ち込むことができ、またテーマ内はジャンル別単元となっている。
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│◎自分への旅立ち
│ 一 随想—「通り過ぎていく空」/「白い花」
│ 二 小説(一)—「告白〜「TUGUMI」より
│ —「羅生門」
│ 三 表現(一)「書くことの始まり」
│ 四 評論(一)「ムダこそ自分を豊穣にする」
│ 「伝え合い
│ 五 詩
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他に「時代を見つめる」「状況の中で」という単元が設定されているが、単元内の仕組みは同様である。
教科書における単元編成については、既に内容主義に傾いているとの指摘がある1)が、その傾向は今日でも変わっていない。
「国語Ⅰ」の教科書編成の問題として、ジャンル別単元構成以外に、言語事項及び表現分野の扱い方がある。
前述の大修館書店版では「言葉と表現」というコラムを1から5まで設定し、「意味と語感」「文字を選ぶ」「文を整える」「文から文章へ」「文章の展開」という名称で、単元の間に配置している。「意味と語感」は直前の教材の中の表現を取り上げて解説している。また、「文を整える」「文から文章へ」は共に言語教材の直後のコラムであるから関連がないとも言えないが、安易である。「文字を選ぶ」「文章の展開」に至っては、前後の関連性が見いだせない。
同じく前述の角川書店版も同様である。「言葉の不思議」というコラムを1から7まで設定しているが、配置された直前の教材と関連させたものもあれば、全く関連が見いだせないものもある。
以上は「国語Ⅰ」の教科書全般に見られる共通点であるが、個々の教材を見たときには、教科書会社の基本姿勢に違いを見出すことができる。最近の作品を取り入れようとしているものと、長期にわたって採用されているものや及び他社の教科書で多く採択されている、いわゆる「安定教材」で手堅く編集したものとである。桐原書店版は前者であり、大修館書店版は後者である。
以上のことをふまえながら、「国語Ⅰ」の教科書編成の問題点として次のことを指摘しておきたい。
1 教科書の最初の単元は、これから高校生活を送ろうとする学習者を意識して「導入教材」として相応しいと思われるものを配置しているが、その後の単元の配列には系統性が見られない。
2 1単元に多くは2教材が配置されているものの、教材間の関連が見いだせない。
3 ジャンル別単元構成では逆に「例えば、『評論』とはこのようなもの」といった個々の教材の提示で、そのジャンルの定義の代わりとし、当該単元内の教材の内容を中心に扱い、改めてジャンル特性を問うことをしないため、ジャンルに対する認識が深まらないことが多い。
「指導書」(大修館書店版)を見ると、さらに次のようなことが明白になる。
1 単元内の各教材の必然性が乏しく、他の教材でも取り替えが十分可能な教材選択である。このことは、ひととおり「単元設定の理由」及び「単元の目標」、「単元の構成」が解説されてはいても、その内容は一般論的なもので、実際には単元として機能していないことを示すものである。
2 1999年度からは、そういった不十分な「単元設定の理由」及び「単元の目標」、「単元の構成」さえも記述されていないものが出てきており、1教材ごと、1時間ごとの指導案に代わってきている。これは学校現場の声を反映した結果であるとも考えられるので、一概に教科書会社のみを責めるわけにもいかないが、「即授業展開に役立つもの」を求める風潮には危機感を覚える。「単元とは何か」という認識を持ち、授業者ひとりひとりが自分で授業を創る必要性を強く感じる。
なお、『月刊国語教育』2)で「新時代の教科書を創る」と題した特集が組まれており、教科書が学習材として機能するための要件が考察されてはいたが、現行教科書に対する具体的な批判や提案はなかった。高等学校の教科書編成に対する考察が少なすぎることが、教科書改善がなかなか進まない要因ともなっていることを指摘しておきたい。
Ⅱ 1999年度 国語Ⅰ(現代文)における主題単元一覧
既述の勤務校での使用教科書(大修館書店版)での「国語Ⅰ(現代文分野)」の年間学習指導計画として、「友情」「とんかつ」「考えさせられるふたつの答え」「羅生門」「言葉についての新しい認識」という教材をこの順で共通して扱うことになった。したがって、これらの教材を取り入れた単元を創ることにした。
既に1997年度紀要論文においてカリキュラム編成原理を五点提示し、単元を配置する順についても言及しているが、1999年度は共通教材という制約がある中での実践であったので、単元配置は、共通教材を扱う順序に依らざるを得なかった。
また、「共通教材」は、それぞれ次のような問題を抱えていたので、それを克服するための単元を創った。
・「友情」…自分とは異なる他者との出会いのみが自己発見につながるとする点で一面的
・「とんかつ」…困難に耐えるという正統派的な成長しか描かれていない点と、成長過程が描かれていない点で一面的
・「考えさせられるふたつの答え」…問題提示はあるが、文明社会に生きる者としてどういう解決法があるのかが提示されていない
・「羅生門」…場面設定と下人の心理の変化のつながりに工夫があり、物語としての面白さは否定できないが、安易に「人間の本質は悪である」もしくは「限界状況下では仕方がない」といった人間観に結びつくおそれがある。
・「言葉についての新しい認識」…言葉に対する「新しい認識」として展開されるべきはずのことがらが、事例を示した後の「何かである」といった曖昧な指摘でしかなく、しかも論の立て方が平板で深まりがない。
1999年度のカリキュラム編成原理について以下に掲げておきたい。
<カリキュラム編成原理>
① 年間カリキュラムを全て主題単元で構成する。
② 学習者が学ぶべき認識の対象領域を、「自己」「言葉」「社会」「自然・文化・科学」「人間(生き方)」の5領域になるべく沿わせる。
③ 1年間で扱う主題単元数は合計5つとする。
④ 1単元に教材を3つ用意する。
⑤ 各単元で育成する言語能力の明確な位置づけをする。
これにしたがって創造した単元一覧(カリキュラム)は論文末尾の「表1」のとおりである。
Ⅲ 1999年度実践「単元 言葉をとらえる・言葉でとらえる」
1999年度実践中、単元構造として新たな試みを行った「単元 言葉をとらえる・言葉でとらえる」を取り上げる。
1 単元設定の趣旨及び教材一覧
「単元 言葉をとらえる・言葉でとらえる」の認識対象領域は「言葉」である。以下に、単元設定の趣旨及び教材一覧を掲げておきたい。
単元設定の趣旨
人間と他の動物との違いは、ひとつに「言葉」を使用するかしないかにあるという。しかし、普段私たちは言葉について意識を払っているとは言い難い。この単元では、言葉は、表現・伝達の手段である以前に、物事を認識する手段であり方法であることを、言葉でとらえ、言葉と、それを用いる人間の関係を考えたい。
教材一覧
①「anonymⅠ」(詩)谷川俊太郎(『空の青さを見つめていると』角川文庫)
②「言葉についての新しい認識」(論説)池上嘉彦・教科書教材
③「わたし」(論説)森本哲郎・教科書教材
2 単元構成上の工夫
(1)「言葉についての新しい認識」の教材特性
「共通教材」である「言葉についての新しい認識」の文章特性を、まず明らかにしたい。
「言葉についての新しい認識」という文章は、教科書本文に脚注が付せられ、筆者の略歴紹介と共に「『ことばの詩学』(1982年刊)をもとに、本教科書のために新たに書き下ろされたもの」という解説がなされているので、ひとつながりの完結した文章として扱う。
この文章は形式的に一行あけの三段構成となっているので、それに従い文章構成を以下に示す。(①〜⑰は形式段落番号を表す)各段落の要点は省略する。
Ⅰ 言葉の意味内容は一定でなく、また文化による影響が大きい
①話題提示/②事例提示/③言葉の特性1(比喩を用いての説明)/④言葉の特性2(例示しての説明)
Ⅱ 言語は思想を表現し伝達する以上のものである
⑤話題提示/⑥言語の定義/⑦問題提示/⑧問題解明1/⑨問題解明2/⑩話題まとめ
Ⅲ 言語は文化を象徴し、言語が違えば、ものの見方も違ってくる
⑪言語についての新しい認識1(例示しての説明)
⑫補足説明1/⑬補足説明2/⑭言語についての新しい認識2/⑮事例提示/⑯補足説明1/⑰補足説明2(例示しての説明)
「言語は表現・伝達の手段である以前に認識の手段であり方法であるから、言語が違えばものの見方も違ってくるし、個人によっても異なってくる」という主旨であればわかりやすいのに、この文章はこのようにすっきりとまとめきれるものになっていない。
その原因の第一は、「現在における言語への関心は、こういった問題よりももっと深いところにある何かと関わっているように思える」(⑤段落)「言語というものは『手段』以上の何かである」(⑩段落)「このようにとらえられた言語は、単なる表現、伝達の手段以上の何かであることは確かである。」(⑰段落)という記述に見られるように、問題提起だけでなくまとめの段落においても、明確に説明されるべきことがらが、「何か」という曖昧な表現で済まされていることにある。
第二として、第一段から第三段の展開が論理的でないことがあげられる。第一段で触れられる「文化」の問題は、「方言」が例示されていることからわかるように、同一言語を使用する上の問題である。第二段で「言語は思想を表現し伝達する手段以上の何かである」という問題に移った後、第三段で再び文化の問題に戻るが、この場合の「文化」とは異言語を使用する上の問題である。このように、異なることがらがその問題の比重も明らかにされないまま並べられており、論に深まりは見られない。
第三として、異なる言語による認識の枠組みの違いという問題と、個々人の使い手としての力量による問題とが整理されないまま、言語に関することがらを羅列していることがあげられる。第一段の言葉とその意味内容との関係は、ソシュールの言語学用語でいう、シニファン(=「能記」と訳され、言語記号の音声面)シニフィエ(=「所記」と訳され、言語記号の意味内容)の関係について触れた部分であると思われるが、この両者の関係について取り上げるならば、どの言語にも共通する、使い手の力量の問題につながっていることにまで言及する必要があるのではないだろうか。
第四として、論の歯切れの悪さがあげられる。第三段の⑪段落で「言語は文化を象徴する」といっておきながら、⑫段落で「言語に現れている区別がすべて何らかの文化的事情と結びつくとは限らない」と譲歩してみせ、また更に⑬段落で「しかし、言葉の上で区別があるかどうかということで、物事のどの点に注目し、どの点に注目しないで済ませるかが違ってくる」と転じるなど、筆者の真意がよくわからない。さらに最終段落の「これが現代における言語についての認識を支えている一つの柱である。」も明確さを欠いている。
第五は事例の不適切な用い方である。第一段の④段落において、「一つ一つの語には個性があり、それは長い間にわたって文化の中で培われてきたもので、そのような語には特別の愛着を感じる」とする事例に「方言」のみを提示するのは、余りにも偏りがあると言わざるを得ない。
以上のことから、この文章は論説教材として、ことば選び、論の展開、論旨いずれの面からも問題を抱えた教材であると判断せざるを得ない。
(2)単元の構成と意図
教材「言葉についての新しい認識」はこのような問題を抱えているが、これを用いて言葉の単元を組む必要に迫られ、二つの面から単元構成を考えた。
一つは、「異なる言語による認識の枠組みの違い」について、別の角度から切り込んだ教材を用意することである。「言語についての新しい認識」本文で、具体的な対象を表す語の事例をあげて説明してはいるが、⑯段落に「しかし、具体的な対象を表す語ばかりでなく、もっと抽象的な概念を表す語にも、そしてまた語法、文法の面にも、同じように違いがあって同じような作用をしているかもしれないということを考えてみるならば、言語というものの影響力は、もっともっと根本的なところで働いているのかもしれない。言語は人間の表現、伝達の手段であるどころか、むしろ知らないうちに人間を支配している君主であるかもしれないのである。」とあるだけで、それ以上は触れられていない。ゆえにもっと意識の面に影響する事例を扱っているものとして、同じ大修館書店の教科書で別の単元として組まれていた教材「わたし」を取り上げることにした。
教材「わたし」は、日本語の一人称の多様性が日本人の自我意識の高さの現れではなく、対人関係を気にする意識の現れであることを、論じたものである。
導入として、ヘビは二百以上、ライオンは五百以上、タカは千以上の同義語があるアラビア語を事例としてあげ、同じ対象にいくつもの言葉があるということは、それだけその対象についての関心の度合いが高いという解釈をまず示している。それに手がかりに、日本語の一人称の多さは日本人の自我意識の現れかという問題を提示し、そうではないということを、欧米人と比較した日本人の自己意識の質的違いを風土の違いという点から展開していくのである。
最終段落は「じっさい、日本人である私自身、相手によって『わたし』というべきか、『ぼく』というべきか、『おれ』といってもいいか、それこそ無意識のうちに心を配っているのである」という文で終わり、自身の意識の振り返りはあっても、問題意識はない。つまり、この文章は、日本人の自我意識の解明はなされていても、そのことの何が日本社会において問題かという切り込み口がないという問題を抱えている。しかし、教材「言葉についての新しい認識」に比べて論理展開が平板でないことを評価し、また、教科書の多くの論説教材がこの文章と同じ問題を抱えていることを指摘するために、教材として扱うことにした。
もう一つは、人間と言葉との関係に真摯に切り込むことのできる教材を用意することである。教材「言葉についての新しい認識」では、学習者に言葉の使い手としての自己の在り方に迫りきれない。教材「わたし」も同様である。そこで、谷川俊太郎の「anonymⅠ」という詩を取り上げた。以下に作品を掲げる。
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│黙っているのなら/黙っていると言わねばならない
│書けないのなら/書けないと書かねばならない
│
│そこにしか精神はない/たとえどんなに疲れていよ
│うと/一本の樹によらず 一羽の鳥によらず/一語
│によって私は人
│
│君に答えて貰おうとは思わない/君はただ椅子に凭
│れ/君はただ衆を恃め
│
│けれど私は答えるだろう/いま雑木林に消えてゆく
│光に/聞き得ぬ悲鳴 その静けさに
│ (『旅』1970年刊より)
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学習者を、言葉によって自分を自分で在らしめようとする厳しさに向き合わせたいと考えた。それは具体的にはこの詩の「一語によって私は人」をどのように解釈するかを問うことである。学習者の実態として、言葉に対する認識が余り深くないことが予想されたので、あえて、教材①として、まずこの詩に出会わせ、学習者の意識に揺さぶりをかけ、教材②、教材③を経て、再び教材①に戻り、「教材②・教材③を学習し終えて、この詩における『言葉のはたらき』について考えること」を問うことにした。
(3)学習指導の流れ
この単元の学習指導の流れは次のとおりである。
<学習指導の流れ>
第1次 ・「単元のねらい」及び「学習目標」提示
・単元に入る前のテーマに関する設問
第2次 教材①
第3次 教材②
第4次 教材③
第5次 教材①
第6次 ・単元のまとめ1—教材ごとのまとめ
・単元のまとめ2—「単元全体のまとめの文章」を書く
第7次 授業の振り返り(授業についての感想)
第1次に学習者に提示した「単元のねらい」及び「学習目標」、「単元に入る前のテーマに関する設問」は次のとおりである。
<単元のねらい>
人間と他の動物との違いは、ひとつに「言葉」の使用の有無にあるという。確かに毎日、私たちは言葉を使って生活している。しかし今までに、人から発せられた言葉や自分の使っている言葉について、特に意識したことはあるだろうか。あるとしたらそれはどんな時だっただろう。
この単元では、言葉のはたらきをとらえ直し、言葉と、それを用いる人間との関係を考えてみよう。
<この単元における学習目標>
① 3つの教材について、それぞれ、どのような言葉のはたらきが提示されているかをつかむ。
② 3つの教材で提示された問題の、関連性を把握する。
③ 「人間と言葉との関係」について自分自身の考えをまとめる。
<教材に入る前の、テーマに関する設問>
・「言葉」はどんなはたらきをしていると、あなたは考えますか
各教材すべて、「一読後の感想」を書かせ、その都度口頭発表による意見交流を行った。
教材②及び教材③については、初読の「疑問点」を書かせた。出された疑問点は、各クラスごとに「疑問点一覧」として項目別に分類し、形式段落順に整理して、プリントにして配布した。項目として「(読み違えがあり)書かれていることがらを確認する必要のあるもの」「ことがらの具体的内容を問うもの」「ことがらの評価を含むもの」に3分類した。
その「疑問点一覧」を用いて、そこから関連する疑問点をまとめて、その教材を読み深めるための学習課題として、いくつかに絞り込んだ。
その「学習課題」を5〜6名でグループ討論させ、各グループごとの発表を通して問題解決を図った。
また、第2次から第5次では、各教材の学習指導目標を各教材のワークシートの設問を中心にして提示した。教材②及び③は論説教材であるので、文章の論理構造を問題にし、論旨や文章構成にかかわる設問を用意した。その後、教材の文章特性(論の展開の仕方、用語の用い方、表現の工夫など)を確認した。
さらに各教材の学習後に「この作品から『言葉のはたらき』について考えたこと」を書かせ、口頭発表による意見交流を行った。
単元のまとめとしてまず、各教材ごとに「言葉のはたらき」について考えたことを整理させ、その後、「自分を振り返りながら、『言葉と、それを用いる人間の関係』という観点から今後の生き方について考えたことを、ひとまとまりの文章に書く」ことを指示した。その際、3段落構成の柱を指示した。(第1段落—単元学習に入る前に、テーマに関して考えていたこと/第2段落—それぞれの教材の学習でつかんだことのうち、取り上げたい「言葉のはたらき」とその理由/第3段落—1、2をふまえて、今後の生き方について考えたこと)
優れたものをプリントにして配布し、まとめとした。
3 成果と課題
本単元の実践は3クラス120名を対象に行ったものであるが、1組1クラス40名を対象に、教材の学習の前後における言葉に対する認識を比較する。併せて単元学習後の「授業に対する評価」を分析し、成果と課題を明らかにしたい。
(1) 「『言葉』はどんなはたらきをしていると、あなたは考えますか」という教材に入る前の、テーマに関する設問に見られる学習者の言葉に対する認識(回答数40であるが、複数回答あり)
『国語教育研究大辞典』3)の「言語機能」の項に、ヤコブソン説に岩淵悦太郎説を組み合わせた分類表があり、それによると「他に対する機能」として、社交・伝達・指令の3機能、「自分の中での機能」として、認識・思考・発想・自己表出の4機能、「言語自体の機能」として、注釈・保存の2機能の、計9機能があげられている。今回、学習者の認識を分類するにあたり、他者との双方向の意志疎通という意味で「伝達」の代わりに「コミュニケーション機能」を項目として立て、単に自分の気持ちを吐露して感情の整理を行う「表出」とは区別した「自己表現機能」を加えたい。これらの項目で分類した結果は以下のとおりである。
① 社交機能……………………3
② コミュニケーション機能…38
(概念の説明手段…1を含む)
③ 指令機能………0 /④ 認識機能………1
⑤ 思考機能………0 /⑥ 発想機能………0
⑦ 自己表出機能…5 /⑧ 自己表現機能…2
⑨ 注釈機能………0 /⑩ 保存機能………0
これを見ると、学習者の大半が言語の「コミュニケーション機能」に目を向けていることがわかる。
(2)単元まとめの文章に見られる言葉に対する認識の深まり
このクラスで、認識の深まが見られる4名の文章を取り上げる。「単元まとめの文章」から抜き出す形で、認識の変容過程を整理する。(以下、数字は三段落構成の段落順を示し、段落の柱は前述したとおりである)
A 1 言葉とは単に人と人がコミュニケーションを取ることと考えていた。
2 教材③により、教材②での「言葉は単なる伝達手段以上の何か」という意味がわかってきた。言葉は、生活や文化、考え方・生き方、そういったその人の在り方というのものを反映しているのではないかと考えることができた。こう考えると教材①の意味が分かってきて、言葉とは自分という一人の人間を確立するためのものだと考えることができた。これらから言葉は私たち自身を表していると考えられると思った。
3 自分たちの言葉である日本語を誇りに思い、他国の言葉も注意を払ってその考え方を理解しあっていきたい。
B1 言葉とは自分と他人の意志を理解し合うはたらきがあるということしか考えられなかった。
2 教材①から、言葉とは他人と違う自分というものをつかむためのものだということが分かった。作者は、どんな時でも自分は自分でありたいと言っているような気がした。その自分が自分であるためには、言葉を使い、自分の本当の意志を伝えることで、他人と違う今まで気づかなかった自分や、自分の存在を見つけることができるんだと思った。初めは「聞き得ぬ悲鳴 その静けさに」は、他人の意志を自分が聞いてあげることだと思っていたけど、学習を終えて、それは自分の意志を自分が聞くということかなあと思った。
3 自分というものを言葉で表現し、他人に伝えることが大切だと思う。今は国際化も進み、世界の中でも自分たちの意見を伝えていかなくては何が起こるか分からないんだから、言葉をしっかり使いたいと思う。
C1 言葉とは自分の意志を伝えることのできる伝達手段だと考えていた。
2 教材③で、今まで気づかなかったことを発見した。それは逆に言葉によって「自己」を表現できないでいるというものだった。
3 日本人にとって言葉は、使い分けることによって人間関係や世間とのつながりをひらくのにいいものだとは思うけど、その反面、言葉によって支配されてしまっているもう一人の自分がいることに気がついていかないといけないと思った。そして、自分にとって言葉とは何なのかを、自己を表現していくためにも理解していかないといけないと思う。
D1 言葉とは人と人をつなぐ重要な役割をしていると思ったけど、これは自分の意志を相手に伝える、単なる伝達手段としてしかないと思っていることと同じだった。
2 一番印象に残ったのは教材①である。初めは全く意味が分からず、このテーマとどう関係しているのかも分からなかったが、教材②・③を学習して教材①に戻ると、関連が見えてきた。自分というのはかけがえのない存在であり、独立した一個の人格だから、自分で自分を見つめ、気づかなかった自分を見つけていくものだと思った。そのためには「言葉」というものが必要になる。言葉は単なる伝達手段でなく言葉にすることによって自分を発見できるものなんだと分かった。
3 言葉は人間が暮らしていく上でとても重要だと分かったので、言葉を大切にしたい、自分の意見を持ちたいと思った。
「言葉とは自分という一人の人間を確立するためのもの」「言葉は私たち自身を表している」「自分が自分であるためには、言葉を使い、自分の本当の意志を伝えることで、他人と違う今まで気づかなかった自分や、自分の存在を見つけることができる」「言葉にすることによって自分を発見できるもの」という記述から、ものの認識や自己認識の手段であり方法でもあることに気づくことができたと評価できる。
さらには「逆に言葉によって『自己』を表現できないでいる」という記述に見られる、言葉に対する無自覚によって引き起こされる自己表現の阻害(人間疎外)の発見は、大きな認識の深まりである。
(3)単元学習後の「授業に対する評価」
単元学習後、「授業に対する評価」として次の3点についての記述を求めた。(回答数39)
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│1 興味が持てるテーマであったかどうか
│2 学習を経て、テーマについての自分の考えが
│ 深まったか、深まったとすればどのように深
│ まったか
│3 2の原因と考えられることは何か
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それを分類すると以下のような結果となった。
1 テーマについて
・非常に興味が持てた…3/・興味が持てた…27/・次第に興味が持てた…5/・余り興味が持てなかった…2/・興味が持てなかった…1/・難しかった…1
2 学習後の、自分の考えの深まり
・深まった……39/・深まらなかった……0
☆どのように深まったか(複数回答あり)
・言葉への関心が深まった…6
・言葉の働きについて新たな知識を得た…12
・自分なりの考えがつかめた…2
・「言葉のはたらき」に関する認識(教材②・③での提示)が深まった…10
・自己発見・自己表現・自己確立に重要なものという認識を得た…9
3 その原因と考えられること(複数回答あり)
教材に関するもの—15
・教材①による…2/・教材②による…1
・教材③による…5/・教材全て…3
・教材②・③による(言葉が人間の思考様式に深く関係していることを知ったから)…2
・教材の事例が手がかりとなった…2
学習方法に関するもの—23
・教材ごとに文章構成を確認したこと…6
・違う角度からの人の意見を聞いていくうちに自分の中で新たな考えが生まれ理解も深まった。…9
・教材に入る前にそれまでの自分の考えを書き留めておくことは、教材を学び終えた後、どのように考えが変わったか、どんなことを知ることができたかがはっきり分かるので、良い学習方法だと思った。…1
・複数の教材を読み比べることで、一つの教材で分かりづらいことが他の教材から分かることができたのも良かった。…1
・3つの教材の観点の違いや共通点を、文章構成を見ることで、さらにわかりやすく考えることができた。…1
・教材①が全然分からなかったけど、教材②・③の学習後に教材①に戻ったとき、沢山のことが見えて来たので、初めに教材①を読んで疑問を持っておいたことが良かったと思う。…2
・教材③の、事例後の説明箇所で、教材②で分からなかったことが分かるようになったから…1
・単元ごとに「まとめ」があるので「まとめる力」も学習できるのはよかった。…1
・他の人の単元まとめの文章を読んだこと…1
学習内容に関するもの—2
・学習を通して、改めて「自分」というものについて考えさせられたから…1
・このテーマで教材を考えることが楽しくなってきたから…1
単元学習後には35名の学習者がこの単元に「興味が持てた」、そして回答者全員が「学習後、自分の考えが深まった」と答えている。
「どのように自分の考えが深まったか」についても、関心の深まり、新たな知識の取得、教材内容に即しての認識の深まり以外に、「自己発見・自己表現・自己確立に重要なものという認識を得た」とする者が9名に上ることは、学習者が言葉の使い手のしての自己の在り方に迫ることができたという意味で評価できる。
考えが深まった原因として、「意見交流」が最も多くあげられ、次いで「文章構成の確認」があげられた。これらは各教材の内容把握だけでなく、教材相互の比較にも有効だったということを示している。
なお、複数教材を読み比べることの効果について取り上げられたものもいくつか見られた。単元学習が機能していることの表れと見てよいであろう。
以上は、この単元の成果であるが、「自分の考えが深まった」と答えていても、やはり、関心の深まり、新たな知識の取得、教材内容に即しての認識の深まりの留まっていることが課題である。「関心の深まり」に分類したものは「言葉の一つ一つの意味を考えるようになった」「言葉自体に目を向けて見ようと思うようになった」等であり、「新たな知識の取得」「教材内容に即しての認識の深まり」同様、具体性に乏しく、自分の言葉による表現が見られない。
「単元まとめの文章」においても同様である。認識の深まりが自分の言葉で表現できているものが少なかった。表現力は認識力に裏打ちされたものであるから、即効的な解決策は見あたらないが、一案として単元全体をまとめる文章を書く前に、まず文章の主旨となる「言葉とそれを用いる人間の関係についての自分の新しい認識」を自分の言葉でまとめることを課してもよかったのではないか、と今考えている。
Ⅳ 教科書教材を取り入れた主題単元による年間カリキュラムの成果と課題
教科書教材を取り入れた単元による年間カリキュラムは、論文末に「表1」として既に提示したとおりである。このカリキュラムによる実践の後、年度末に「1年間の授業を終えてのアンケート」を実施した。
五つの単元名と教材一覧を列挙し、3クラスともに「印象に残った単元とその理由」「興味の持てなかった単元とその理由」「1年間の授業で得たこと・得られなかったこと」「授業担当者への手紙」という4項目で書いてもらった。「印象に残った単元」及び「興味の持てなかった単元」の統計は次のとおりである。(回答数は1組36、6組40、9組35の計111)
☆印象に残った単元 / ☆ 興味の持てなかった単元
│ 組│1│6│9│計│ 組│1│6│9│計│
│1自己│3│3│0│6│自己│5│6│4│15│
│2自己│12│14│10│36│自己│6│0│4│10│
│3社会│6│5│5│16│社会│6│9│2│17│
│4人間│14│11│18│43│人間│5│6│3│14│
│5言葉│13│9│3│25│言葉│5│16│17│28│
「1年間の授業で得たこと」として以下のような回答を得た。なお、記述なしは6名だった。「考える力を得ることができた」「今までより、考えて自分の意見が言えるようになった」「1年間で自分の中の考えがどんどん深まっている気がする。自分の中の奥の方にあったことが引き出されているような感じ」「固定した考えからものごとをいろいろな角度から見ていくというように視野が広がった」「クラスのみんなとの意見交流によって、今まで自分の見方だけで見ていたものがいろいろな視点から見やすくなった」「人間が生きていく上で必要なことを学習してきた」「自分はどんな人間なのかを知り、それをふまえてこれからの他人とのつきあい、生き方を学んだような気がした」
「1年間の授業で得られなかったこと」に対する記述は「なかった」との回答がほとんどの中、わずかに「考えや思いを文にしてそれをつなげ、ひとまとまりの文章にする力」「発表の時、いい意見や発言ができなかったこと」「教材を1回読んで作者のいいたいことなどがすぐに理解できなかったこと」「文章構成の上手な方法」という回答があった。
以上のことから、総体として、学習者にとって得ることの多いカリキュラムであったと評価できる。
回答の中には、1年間の学習の過程のうかがえるものがいくつかあった。その一例をあげておきたい。
☆1年間の授業で得たこと・得られなかったこと
中学校の時と違い、自分で考え、自分の答えを出さなければならなかったので、、自分についてやいろいろな事についてじっくり考えるようになった。今まで一つのことを自分の考え方でしか考えられなくて視野がすごく狭かったけど、いろんな人の意見を聞く中で驚いたり納得したりして、いろいろな角度から自分も考えられるようになった。教材を学習していく中で、この世の中が今どういう世の中か見えてきて、いかに自分が何も考えず大きな流れの中に流されていたか気づいた。今まで自分を知るといっても人と比べての自分で、内面的に自分というものを見てきていなかったので、孤独になったりしてこれから生きていく中で自分とどう向き合うか考えるようになった。全ての単元を学ぶうちに「生きる」ことについてすごく考えるようになった。
☆授業担当者への手紙
どの単元もテーマが学びたかったことだから、いつも次はどういう教材をするんだろうとワクワクしていました。いろいろな教材を学び、どう考えたかを書く時に、考えが発展しなかった時とかは苦しくて、国語でこんなに自分と向き合ったのは初めてでした。いろいろな教材を学習すると、いつも今の自分はどうなのかと考え、このままいったらこの世の中の危ない部分など気づかずに、時間に追いまくられ、快適さを追い求め、人の意見を自分の意見と思う没個性的な人間になっていたんじゃないかと思います。そして単元を学習する途中で、「人間が生きるとは一体どういうことなのか」ということを考えるようになって、1個の人間が存在するだけで多くの犠牲を伴うということ、苦しくても苦しくてもそれでも生きていかなければいけないこと、その上でどう生きるのか、何のために生きるのか…と今ずっと考えています。国語を勉強する中で、心の成長が少しはあったんじゃないかと思います。1年間いろいろな教材を使っての授業、すごく楽しかったです。ありがとうございました。
決められた教科書教材を取り入れ、さらに単元配置においても制約がある中での実践であったが、この主題単元カリキュラムは、「主体の育成」すなわち「自立のためのプログラム」4)として機能したと評価できる。
課題としては、第一に、テーマ設定の問題があげられる。同一の認識対象領域「自己」が二つ続き、「自然」「文化」「科学」に関するものがなかった。1年間に取り扱うことのできる認識対象領域は限られているので、できれば重なりがない方が望ましい。
第二に、単元配置の問題である。今回の単元の順序は「共通教材」の順に依ったが、「とんかつ」「羅生門」については、「羅生門」より「とんかつ」の方が平易な教材であると判断して、それを先に持ってくることを提案し、同僚の同意を得た。教科書に編成されている順が必ずしも適切であると言えないことをふまえ、教材を扱う順序が、適切かどうかの十分な検討が必要である。
第三に、「共通教材」を決定する際の、教材としての質の問題である。現場の実態として、年度始めに用いる教科書の教材全てに対し、教材としての質の検討を行うのは時間的に非常に困難である。しかし、それなしには、例えば「言葉についての新しい認識」のような問題を多く含む教材に、学習者自身が苦しめられることになる。学習直後ではなく最終的な「一年間の授業を終えてのアンケート」で「単元 言葉をとらえる・言葉でとらえる」が賛否分かれる結果となったのは、この教材のわかりにくさによるものであることが、アンケート結果から判明している。
おわりに
1999年度の実践を振り返ってみて、テーマ選択、教材選択における不自由さはあったが、学校現場の状況からいうと、何の制約もない単元創造より現実的な提案となるのではないかと考えている。今年(2000年)度、引き続き、同様な制約がある中での、2年次3年次のカリキュラムを創っている。考えること、意見交流することの楽しみを感じてくれる学習者の反応を励みに、私自身楽しみながら実践を続けていきたい。
【注】
1)森田信義・種谷克彦、「高等学校国語科における論説文指導の研究Ⅰ」、広島大学学校教育学部紀要、第Ⅰ部、第19巻、1997年、p.19
2)東京法令出版、1997年2月号
3)国語教育研究書編・明治図書・1988年刊、pp255〜257
4)森田信義・葛原昌子、「高等学校国語科における主題単元の構想」、広島大学学校教育学部紀要、第Ⅰ部、第20巻、1998年、p.3に高等学校国語科の学習指導目標私案を出している