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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
  3. 年中行事
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
年中行事
2020/07/07
2020年の七夕  
新型コロナウイルスによる自粛で、しばらく人との接触がなかった4月5月6月。
あっという間に7月になっていて。 
今日はもう七夕。

七夕ーーー五節句のうちのひとつ。
五節句の「節」は季節の変わり目という意味があり、「節句」は季節の節目に五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄などを祈り、神様へお供えをしたり、邪気を祓ったりする行事のこと。(「日本文化研究ブログ」より)

1、3、5、7、9の、月と日が同じ日が基本。

元旦(1月1日)→人日(じんじつ 1月7日):別名「七草の節句」。七草粥を食べて、一年の豊作と、無病息災を願う。
上巳(じょうし 3月3日):別名「桃の節句」。女の子の誕生と成長を祝う。
端午(たんご 5月5日):別名「菖蒲(しょうぶ)の節句」。男の子の誕生と成長を祝う。
七夕(たなばた 7月7日):別名「笹の節句」。短冊に願いを込めて笹に飾ると、願いが叶うといわれている。
重陽(ちょうよう 9月9日):別名「菊の節句」。一般的には馴染みはない節句だが、宮中や寺院では菊を鑑賞する行事が行われている。



続き
年中行事
2020/01/04
災い転じて福と成す〜沙羅Saraの新年会2020〜  
「来年も新年会、やるんですよね?」という、昨年12月のゆうこさんの言葉に押されて。
「例年」にするつもりはなかったのだけど、今年も1月3日に「宝山寺参り」を行いました。
10時に生駒駅に集合して、参道の坂道を登る。
まあ、30分ぐらいの行程だけど、結構、…そう日頃の運動不足がたたって、キツい。

お参りはまあまあの人出で。
大きな鳥居をくぐる前に、アンジーは抱っこ。
続き
年中行事
2018/06/23
あくがれ出づる魂〜御杖村のほたる祭り〜  
以前、「美山かやぶきの里」を訪れたときに、「ほたる鑑賞バス」の案内パンフレットを入手して。
そうだ! 6月は「ほたる狩り」の月だった…と思い出し。

広島にいるときには毎年のように、佐伯区のちょっと奥まった「湯来」方面まで車を走らせて「ほたる狩り」に出掛けていました。
ほんの30分も車を走らせると、蛍が群生しているところに行けました。

湯来町の「ほたる祭り」が6月半ば頃の週末に開かれていたけど、それはとても多くの人出となるので、
私は、「ほたる祭り」の行われる前後の水曜日辺りに、ふらっと行っていました。

「美山」は遠いので、もう少し近場で「ほたる狩り」ができないかと探したのでした。
すると御杖村の「ほたる祭り」がヒットして。

6月の22日(金)と23日(土)の二日間。

 

ゲシュタルト仲間のともこさんに一緒に行かない?って声をかけて。

途中でともこさんを拾って、いざ、御杖村へ!

続き
年中行事
2018/02/23
春を待つ心〜奈良・小西町通りを歩く〜  
昨日は、ちょっと用事があって、近鉄奈良駅から東向商店街より西側の通りである「小西町通り」を歩いていました。
それで目に留まったのが、竹細工の籠の中に「お水取り」と書かれた灯籠。
 

あら!と思って思わず写真を撮ったのですが、よく見るといろんな店先に吊られていました。

 

そうか…3月に入ると、奈良は「お水取り」が始まりますものね。

東大寺二月堂で、豪快なお松明(たいまつ)を持ったご僧侶が石段を駆け上がり、

その火の粉を受けると一年が息災であると信じられています。


お水取りに出かけたのは、何年まえだっけ…。

子どもの時には、こんな風に通りに灯籠が吊られることもなかったのですが、
これも「町おこし」の一環なのでしょうね。

でも、この灯籠に「春を待つ心」が感じられて、ちょっとほっこりしたことでした。

年中行事
2017/08/17
盂蘭盆会 施餓鬼法要(うらぼんえ せがきほうよう)  
昨日は、父のお墓のある霊園で「盂蘭盆会 施餓鬼法要」が営まれました。
昨年は、父のお葬式を行ってくれたお寺での法要に参加して、霊園での法要には参加しなかったので、今年が初めて、となりました。
午前の部とお昼の部、夕方の部の3回あったのですが、最後の夕方の部に参加しました。

まずは法話。
「盂蘭盆会」はサンスクリット語の「ウランバーナ」からきていて、「逆さ吊り」のこと、だとか。
つまりは、地獄に落ちての苦しみを意味するそうな。
それから、釈迦の10大弟子の内の「目連尊者」の話。

安居(あんご=それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行する期間のこと)の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。

喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

哀れに思って、釈迦に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘(修行僧)に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と言われた。
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。
すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

「飲んだり食べたり踊ったり」の踊りが「盆踊り」の由来だそうです。
四天王寺では、開祖の聖徳太子の生誕1400年を迎える平成34年に向けて、3年前から「河内音頭」の曲に乗せて、歌詞は聖徳太子にまつわるお話にして始めたそうです。
…まあ、お経も「如是我聞」(=お釈迦様がおっしゃったことをこんな風に私は聞きました)というお話だから、新たに「聖徳太子はこんなお方です」のお話ができてもいいのかもしれない。
毎年、「〜編」ということで、聖徳太子一代記①ご生誕編、②少年時代編、③蘇我vs物部編、と続き、今年は「④四天王寺創建編」だったそうです。

ふう〜ん。
どんな宗派も受け入れます、という四天王寺は、「和宗 総本山」として立っているお寺だったのですね。
両親が自分たちで用意した墓地だったので、知りませんでした。
ちょっと、「聖徳太子一代記」も面白そうですね。

それから、声明が始まって。続いて読経。読経の最後は般若心経でした。
その辺りから、一般参列者のご焼香が始まり…。

会館の外に出ると、夜の7時前で、辺りはすっかり日暮れていました。
墓地を通って駐車場に向かう途中、頬を通り過ぎる風が爽やかに感じられました。
ああ、もうやっぱりお盆を過ぎた風だ…と思いました。

子どもは退屈そうでしたが、私には法話やお経を聞いたりする時間が心地よく感じられることにも気づきました。
あれやこれや…思いを馳せるのに、必要な時間、なのかもしれません。

画像は、法要が営まれた会館。お坊さんが十人も来られていました。
金色の、燦然と輝く調度品で、「死ぬのは怖くないんだよ」と説いているのでしょうか?

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