日時:2020年 8月 23日(日) 9:30〜12:00
場所:カウンセリングルーム沙羅
内容:第5章 家族介護は「自然」か 第5節 「家族介護」は福祉の含み資産か
▽ 読書会の概要: (今回は、ゆうこさんのまとめ、です)
第6回で提示された、新聞での上野千鶴子氏への投書「病気の弟と老いた母の介護」の悩み相談をお題に、そこから思いつくことをみんなで話し合うことが続いています。
話し合っているのか、脱線しているのか??という雰囲気ですが、侮るなかれ!温泉アイドルにはじまり、はては呪縛と祝福の定義まで、見識はひろがるばかりです。しかし、最終的には、介護にもあてはまる人間の心の動きがそこにあることに、毎回気づかされるメンバー達です。
「介護をする。」改めてスマホ辞書で検索すると「病気や障害を持つ人を介抱し、助ける」の意味と書かれてあります。つまり、生活習慣病の後遺症で、体が麻痺して不自由になってしまった人、認知症で意思疎通ができない、予測がつかない、そんな行動をしてしまう高齢者(主に親もしくは義理の親)の身の周りの世話をすること、になるのでしょう。けれど、そこには「ケアを受ける側、ケアをする側お互いがどう生きるのか」という大きなテーマがあるのです。
介抱し、助けるには「お金、施設、設備、人手」というハードが必要だけれど、そのハードについて、利用する私たちはどこまで理解しているのか?という問いが浮かび上がりました。話し合ううちに、どうやら、うまく使えていないことの方が多いのでは、という仮説が立ちました。
ここで話し合う読書会のメンバーはとてもラッキーなことに、医療・福祉・教育に詳しいメンバーがそろっていて、投書の内容から、現場での体験を通して検証することができるのです(なんて素晴らしい!)。
▽今回出た意見
・やはり、サービス提供者と利用者の間には、情報量にも力関係にも圧倒的な差がある。
・提供者から、利用者本人と家族にとって不快な行動をされても「世話になっているのだから」と文句が言えない。
・「『かわいそうな人』を見てあげる」視点は、私とは「違う」人を見る感覚を生む。「いずれ私も同じ立場に」という、自分と地続きになっている視点が抜け落ち、提供側には、当事者の痛みがわからない。
・提供者が誇りを持てていない以上、ケアされている人も幸せになれない。
・「○○さんの娘さんは、○○さんを100歳まで看た。えらいよね。」という賞賛は誰に向けられ、何を求める声なのか?
・来年からの学習指導要領改訂にともなって、中学校の家庭科で高齢者福祉が取り上げられるが、高齢者の体の特徴や、体の不自由さの疑似体験をさせることを盛り込む方向性が出されている。必要なことではあるが、限られたわずかな時間数で、理解、履修につなげよとはいかがなものか。
・介護することは、その人の暮らし、「どう生きるか?」というもっと大きな視点に立つこと。
・人が生きるとか、老いるとか、ということを考えず、目先の利益に一喜一憂する学習が増えている。
・制度や施設・設備のハード面に囚われてきた側面が大きいが、あらためて大きな視点から捉え直すことが大事。大人社会が不測の事態に混乱したあげく、当面のやり過ごしのために安く責任を引き受ける人間を養成させることを、都合良く「実学」と称して学校教育に求めていることが課題。
▽レポート作成者より補足
命を産み育てたり、死を看取るなどの福祉の仕事がどうして、世の中でもっとも一番安く見積もられるのか。という問いに対して、上野千鶴子氏は、自身の講演会の中で、「そういう仕事は安く見積もっていい」と、私たちが思っているからだ。だから、そんな社会を作ってしまった。「役に立ち、力があり、お金があることが一番大切なのだ」という社会を作り、生きているからだ。そして、私たちが年老いて、役に立たず、権力も無くなったときに、その報いを受けるのだ。と言っています。
子ども達も尻を叩かれ、追い立てられ、引き延ばされるだけ引き延ばされ、もう壊れる寸前の子ども達を何人も見てきた。弱者が安心して生きていける社会を我々は作ってこなかった。でも、今なら、まだ作れる最後のチャンスではないだろうかと述べられています。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
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