こんにちは。
奈良・生駒で「カウンセリングルーム沙羅Sara」を開設している葛原昌子です。
十代の子どもさんの、暴言・暴力のことで
ご相談に見えたお母さんがいらっしゃいます。
お話を伺うと、なんでも「一度約束」したら
是が非でも守らないといけなくて、
たとえば、学校帰りの、駅までの迎えを頼まれて、
「いいよ」と引き受けた以上、
仕事の都合で5分でも遅れたら
まずは「謝る」ことを要求される、というのです。
「え〜…、でもお仕事の都合とか、
道路の混み具合とか、いろいろあるでしょう?
もちろん、遅れないに越したことはないけれど。」
と思わず口を挟んでしまいました。
子どもさんが小学生の時に
帰ってくる時間が約束より大幅に遅れたときに
「言い訳はしないの」と、お子さんに言ったことが
そのままお母さんに「適用」されるそうなのです。
お迎えなしで自分で帰ってこれるのに、
そういうことは問題ではなくて、
「約束の時間に迎えに来るかどうか」だけが
問題になって、それ以外のことは聞こうとしない、のだそうです。
まるでモラハラ夫のように一方的に「裁く」のです。
相談に来られたときには、
お子さんの論理で「お母さんは障害者だ」と
責め続けられて、自分が悪いのだと、
「思考停止状態」になっていらっしゃいました。
お子さんの「発達障害」を疑う気持ちもお持ちでありながら。
「モラルハラスメント」の加害者は、
自分の望む世界しか認めません。
自分の「こうあるべき」が成り立たないのは、
そんな自分中心で世界は動いていない中で、
どんな風に「折り合い」を付けようか、
という発想に立つことなく、
自分に不快な思いをさせた相手を
どう「罰して」やろうか、という発想で動きます。
無能呼ばわりをしたり、非を責め立てることで、
自分が特定の相手より優位に立ち、そのことで
自分の問題を見ないで済ませようとするのです。
そのように振る舞うのは、相手を責めている限り、
「自分は何も変わらなくて良い」からです。
そんな自己中心的な世界に住む「永遠の子ども」は、
誰にでもそんな風に振る舞うわけではありません。
特定の「ひとり」にだけ、
自分の世界の奴隷になることを求めるのです。
そんな「暴君」には、どうすれば良いのかは、ハッキリしています。
「お迎え」の例で言うと、
「迎えに行ってあげてもいいけど、
遅れることもあるから、出来ない」とやんわり断りましょう。
いろんなことをしてあげたい気持ちで、引き受けることは、
今は「駆け引き」の材料を与えることになる、
と理解しましょう。
お子さんに対する「対応」の仕方を変えていくことで、
親子関係のいいキョリの取り方は創れます。
そうして、そのことが、
いつまでも「自己中心的な世界」に居続けて
自分の抱えている対人関係の問題から
目を背け続けるお子さんを
救うことにもなるのです。