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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
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対人関係
2020/07/14
いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり〜浅井和代の短歌〜  
「読書への誘い」を読み返していて、ふと第99号で紹介した俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』が目に止まって。
浅井和代の短歌「いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり」を取り上げての箇所だった。


≪口語自由律の歌である。

作者は、文語や定型にとらわれない新しい形の短歌を模索している一人だ。

私自身は、短歌という表現手段を選んだからには、五七五七七の定型は守りたいと考えている。 

そのリズムは、なんてことない自分の言葉に力を与えてくれる、魔法の杖のようなものだと感じているから。

口語自由詩は、この魔法の杖を使わないという、実は不自由なところから出発しているというこ とを、忘れてはならないだろう。

その上で歌になるということは、たいへんなことだと思う。


掲出歌は、私が愛誦している数少ない自由律の一つだ。

「言いあてられた」というのが、この歌を読んだときの第一印象だった。

今、自分が一人でいるということ。
それは、どんな人とも二人になることができる可能性を秘めた状態なのだ。
そして今、自分が二人でいるとしたら、それはやがてくる別れを含んだ状態である。
 人の心も生命も永遠ではないのだから......。

すべてがひらがなで書かれている。

なにかそれは、少女がぽろっと人生の真実を言葉にして 呟いてしまったような、純粋さと恐ろしさとを感じさせる表現だ。

と同時に、最後の「ふたり」という言葉にたどり着いた途端、また最初の「いつか」という言葉に戻ってゆくような、メビウスの輪のような終わりのなさをも感じさせる。「いつかふたりになるためのひとりだけれどふたりになっ たとしたらそれはやがてひとりになるためのふたりででもやがてひとりになったとしたらそれはま たいつかふたりになるためのひとり......」というように。

人生を二色にわけるとしたら、一人でいるか二人でいるか、すなわち恋愛をしている時間かそうでない時間の二色だ——そんなふうにもこの歌は読めるだろう。 希望は絶望を含み、絶望は希望へと繋がり、幸福は不幸を含み、不幸は 幸福へと繋がる。

人生において対立するかのように見えるものは、実は同 じことの表と裏なのだ——そんなふうに捉えることもできる。

小学生にもわかるようなやさしい言葉だけで書かれた歌だが、読む人の人生経験や心の状態に応じて、無限に悲しくも嬉しくも響く一首だ。


あさい・かずよ 1960年、奈良県生まれ。「新短歌」所属。歌集に『春の隣』 (pp.22-23)≫


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対人関係
2018/12/25
誰が私に言えるだろう 私の命がどこまで届くかを。〜岡田満里子のエッセイ「ぼくを見つけて」〜  
今年11月12日付の「毎日新聞」夕刊に、
岡田満里子のエッセイ「ぼくを見つけて」を見つけて、
あっと思った。
私の好きな漫画家のひとり、竹宮惠子の
「ジルベスターの星から」を取り上げてのものだったから。

なかなかいいエッセイだったので紹介します。


続き
対人関係
2017/02/26
CAP(Child Assault Prevention)〜大人セミナー〜  
昨日は、ゲシュタルト仲間のともこさんのお誘いを受けて、CAPの大人セミナーに参加するために、生駒市立中保育園に行きました。CAPとはChild Assault Preventionの略で、「子どもが暴力から自分を守るための教育プログラム」を意味します。1987年にアメリカ・オハイオ州コロンバスのレイプ救援センターから誕生しました。

1985年に日本に初めてCAPを導入した森田ゆりさんのことも、当時の新聞を読んで知っていました。「私の身体よ!  触らないで!」という具体的な言葉と共に記憶しています。でも当時は、教職に就いたばかり。仕事で手一杯で、関心を持ちながらそのままになっていました。今回お誘いを受けた時、ああ、時期が来たんだと心底思いました。

暴力に対応するのは4つの分野があって、それは「介入」「治療」「調査研究」「予防」で、CAPはそのうちの「予防」に位置する活動だということです。そして、CAPのプログラムとして、「大人ワークショップ」として120分、対象は保護者であったり教師であったりします。「子どもワークショップ」として「就学前のプログラム」「小学生のプログラム」「中学生・高校生のプログラム」が用意されています。「就学前のプログラム」は「保護者対象プログラム」とセットで行われているようです。

今日は
   1 CAPとは
   2 暴力について
   3 CAPのアプローチ
   4 子どもワークショップの一部体験
   5 CAPプログラムの3つの柱
   6 私たち大人にできること
というメニューで進められました。

印象に残ったのはまず、「CAPのアプローチ」。「〜してはダメよ」という禁止でなく、「〜に近づかないのよ」という回避でもなく、「〜以上はダメよ」という制限でもない子どもへのアプローチ。「知識を増やす」「無力感、依存心を減らす」「孤立を減らす」という、子どもの自尊感情を育てながら自立を促す働きかけであることです。

次に、「CAPプログラムの3つの柱」。3つの特別な権利として基本的人権を教え、それは「安心して生きる権利」「自信を持って生きる権利」「自由に選ぶ権利」だと、身振りを伴って示されていました。その権利が奪われそうになった時にどうするかについて、具体的な行動も示されていました。すなわち、「NO=いやという」「GO=その場を離れる(逃げる)」「TELL=信頼できる誰かに相談する」です。

さらには、子どもたちから相談されるためには、日頃からの関わりが大切であること、どういう関わりをしていればいいのか、それは、日頃から子どもの感情を受け止めるやりとりをすることを、具体的なワーク(自分が子どもの立場で困りごとを言った時に返される言葉でどう感じるか)を体験しながら理解していきました。

子どもが暴力的な行為を受けないよう予防するのに、子どもが無理なくできることをさせながら、一方で、暴力的な行為を受けた時にどう対応するかを学ぶというのは、両輪の輪だと思います。予防するのは大事ですが、予防だけで終わると、被害を受けた子どもに対応しきれないからです。被害を告げた子どもが更に傷つけられるという二次被害を起こさないためにも、必要なことだと思います。

セミナーが終わり、保育園を出ると、お迎えに来てもらった子どもがお母さんと歩きながら、「安心」「自信」「自由」と歌うように言っていて、ああ、子どもたちにちゃんと届いているんだ!と嬉しくなりました。川は危ないから、子どもに泳がせない、近づかせない、ではなく、「子どもに泳ぎを教えよう」というのは子どもがこれから先を生きていく自信につながると思います。いつまでも保護してもらわないと生きていけない子どもを作ることは、依存関係に陥ること。親はいつまでも生きてはいないのだから、自分がいなくても子どもが自信を持って生きていけるように…という願いをCAPの活動に感じました。



対人関係
2017/02/13
内容の無い会話をどれだけ続けることが出来るか  
昨日は先月に引き続き、一般社団法人 なら人材育成協会主催の「不登校・ひきこもり親子セミナー」に参加しました。3回シリーズの2回目で、今回のテーマは「親子の交流を振り返る」というものでした。臨床心理士の大林裕典(ゆうすけ)さんと、同じく臨床心理士の中東照幸さんにお話いただきました。「はまりやすい家族のパターン」として3パターンが提示されました。パターン①は「叱咤激励する親と家族から引きこもる本人」、パターン②は「混乱の中で安定・維持する本人・家族」、パターン③は「他罰的になる子・自罰的になる親」(つまりは、子どもは親のせいにし、親は自分の責任と思って子どもの言いなりになる)という関係だそうです。

その分類も分かりやすくて良かったのですが、私がなるほど! と思ったのは、精神科医の斎藤環氏の言葉を用いた「『対話』と『独りごと』の違いの解説でした。

「一方的決めつけ」や「判断の押しつけ」「叱咤激励」は「独り言」だというのです。「対話」は「本人の不安を取り除き、信頼感を増し、本人の気持ちを活性化させるもの」だから、その正反対の結果を生み出すものは、本人の心に届かない「独り言」に過ぎない、ということなのでしょう。

そのことも、なるほど!ではあったのですが、そういった「対話」をするためには、今回、表題とした「内容の無い会話をどれだけ続けることが出来るか」が鍵となるということに、私はなるほど!と思ったのでした。

「内容の無い会話」って、つまりは良いとか悪いとかの「評価を含まない」会話ということだと私は理解しています。

今日はお天気が良くて気持ち良かったよ、とか、梅の花が咲いてたけど、あれは寒梅かしらね? とか、いいも悪いもなく、ただそんなふうに感じた、ということを伝える会話とでも言えばいいのでしょうか。

そんななんでもない会話がどれだけできていなかったか、命令したり指示したり禁止したりが、親子の会話のどれだけを占めていたか、それじゃあ、家での話が楽しくないよね…ということに気づけたら、関係も変わってきますよね。

誰でも、責められたり叱られたりは嫌で、認められたり任されたりが嬉しい。毎日そういう『対話」、相手の心に届く会話が増えていったら、家の中に「居場所」を感じ、居心地よくなっていくと思います。

さて、何から始めましょう? まずは、今日、自分自身がちょっぴり嬉しかったこと、ちょっと気分よかったこと、ぐらいから話し始めましょうか?

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