日時:2019年 11月 10日(日) 10:00〜11:30
場所:カウンセリングルーム沙羅
内容:第5章 家族介護は「自然」か 第1節 はじめに 〜 第2節 「家族介護」とは何か
▽ 読書会の概要:
初めて参加される方がいたので自己紹介の後、ハーブティとクッキーで和やかな雰囲気の中、雑談に花を咲かせながらのスタートでした。
第1回目であるので、読書会のスタイルおよび方向性として、本書の内容についての概要を把握して意見を話し合っていくのか、内容の意味を丁寧に調べながら話し合っていくのかを模索しながら、今日の内容である「第5章」について印象に残った意見を出すところから始まりました。参加者それぞれから、自分の体験に置き換え感じたこと、共感できること、新しく発見したこと、出てきた意見に関連して思いついたことが話されました。
▽ 第5章・第2節について:
〜本書の内容から〜
・介護の担い手に、そもそも「長男」という選択肢が見当たらず、「娘」や「嫁」であることを発見した。
・「家族介護」は「作られた伝統」であるという意見について再確認できた。
・介護の選択肢(ヘルパーや、施設など)は複数あり、社会全体で介護をひきうけている形ではあるが、「家族の誰かが介護を担う」という前提で設計された制度であり、「落とし穴」がたくさんある。
〜本書の意見に対して〜
・上野氏の意見として、「施設で介護される」ことについて肯定的であるが、介護現場を訪れた時の経験として、入居者の『ここに入ったのは失敗だった。』、『帰りたい(ただし、具体的に「本人の家にかえりたい」という意味ではなさそう)。』という言葉から、寂寥感を強く感じる。家族は良かれと思ってやっていることだが、施設介護に対して疑問に思うところもある。
〜関連して出された意見〜
・上野氏は本書で介護の方向性を決めるのは家族ではなく、「介護されるのは自分だという当事者意識」が必要であることを言っている。
・介護される当事者ではない家族が、当事者である本人に代わって周囲とのやりとりを交わすことは、本人にとって無力感を感じさせる。
・老いは徐々に進むもので、その過渡期の葛藤にどう対応するかが問題である。
・家族とともに暮らしていた人がすぐに施設で生活するのは環境として厳しい。少しずつ家族以外の人の介護に関わりながら、移行していくのがいいのではないか。
・日本では母性的であるところの「家族」を拠り所とする風土が根強く、「自立、当事者」という意識がなかなか理解できにくいという考え方があり、その側面から見ると当事者らが寂寥感を感じることも納得できる。
〜参加者の経験から〜
・高齢の身内が『(こんなこともできなくて)泣くに泣かれへん』、『情けない』、『みんなほったらかしや』、『病院の先生は何もしてくれへん』と言う。
・病院や介護施設のスタッフは一生懸命仕事をしているにもかかわらず、「何もしていない」と思われることについて、介護される当事者の気持ちに添えていないことが考えられる。
・当事者にとっては、ヘルパーには話せないような他愛のない会話、何気ない日常の一コマや過去の話をすることや「一から説明しなくても分かり合える人仲間」の存在が大切。
・「その服かわいいね」というような、当事者の中にある子どもの部分に問いかけることが大切で、その時に自分がそこに存在するだけでいいと感じた。
▽ 本日の感想:
人数は少なかったですが思うよりたくさんの意見が交わされて、順調なスタートが切れたと思います。特に経験からくる意見は興味深く、しかも説得力がありました。色んな意見が交わされながらも「対立」や「異論」ではなく、違う側面からの考え方に、行きつ戻りつする「ゆらぎ」のようなものが心地よく感じられ、「蕎麦のはちみつ」から「病院の霊的体験」に至るまで雑談も豊富で、「来てよかった、楽しかった。」と思える第1回目でした。
▽ ゆうこの学び:
たくさんの意見に触れ、とても有意義でした。「・・・で、私はどうするねん?どうしたいねん?」という自分への問いが生まれました。カウンセリングルーム 沙羅Sara
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