まあ…詩と歌詞はだいぶ違うんだけれど、ね。
歌詞は、なんというか…「あの」「あのとき」など、指示語で聞き手にイメージさせる言葉を多用する。
多分…それぞれの「記憶」に頼る、という感じ。
それぞれがそれぞれの「記憶」を想起させるので、共感を呼びやすい。
詩は、詩の言葉は、そうではなくて、詩人に感じ取れる、今生きるこの世界を明確に切り取って、差し出そうとする。
だから、聞き手(読み手)に委ねる指示語は多用しない。
だから、読み手に「あ、イヤだ」と拒否されることも多い。
昨日の浅田慈照さんのお話は、全部をまとめ切れていなかったので、今日はその続きを。
般若心経のお話に入る前に、慈照さんからいただいたとても素敵なイメージ(心象風景)を。
何か、行(ぎょう)をする時に、自分の置いた足のその下に、蓮華の花が開くのを思い浮かべながら行われるそうです。
お釈迦さんは「自分の選んだ道は、何一つ間違いはない」と言われているのだから、各人の選択がそれぞれ違っていて、それで何一つ「間違いはない」のだから、その選択に祝福がある。
蓮華が咲くところに自分の足を置くのではない。
「自分の足を置いたところ、置いたところに蓮華が咲く」のだ、と。
お釈迦さんの教えは、自分を何かの「戒律」に縛り付けるものではなく、自分の心が選ぶことを支えるものだったんですね。
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