2月11日、潮御﨑(しおのみさき)神社で正式参拝の儀が執り行われました。
それを含めての「光の祝祭」に、まやはるこさんとボイスアート仲間とで参加しました。
前日10日。
ボイスアート仲間のともこさんを自宅まで6時に迎えに行く約束。
母のいるマンションの駐車場から車を出しておいたら、なんとフロントガラスが真っ白!
…気温はマイナス3℃だった。
約束の時間に15分遅れて出発。
高取町辺りを通って南下し、新宮辺りに出るのが最短距離。
でも、途中で道路工事があって通行止めになるらしい…との情報で、一旦橋本から和歌山市に出て、海岸沿いの高速に乗るコースで行くことにする。
橋本までは慣れた道なので。
そこを越えて京奈和を終点まで。それから阪和高速に入る。
230キロ、4時間。
その日泊まる、串本町の熊野案内人赤井熊五郎さん宅の民宿を横目で見ながら、新宮の神倉神社を目指す。
私は初めてだったけど、他のメンバーは行ったことのある場所。
怖ろしく急な石段がそびえ立つ。
私はとても昇れない、と思う。
神倉神社。熊野大社が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨した聖地。
世界遺産に認定済み。天ノ磐楯という断崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の石段を登り詰めたところにご神体のゴトビキ岩がある。
みんなに励まされて、恐る恐る踏み出す。
足元の1、2段しか見ない。
最初の一塊を越えると、あとは比較的なだらかでほっとする。
ご神体にも、詣ろうとみんなに促され。岩を登ってご神体の岩の下に行く。
縄文祝詞「アワウタ」を奉納する。
11日。日の出を見に、6時半に宿を出る。
朝8時に高塚の森にて、木村さんという方から古代催事場の説明を受ける。
…なんでも、卑弥呼の時代に卑弥呼との勢力争いが繰り広げられた、そうな。
そこに「神座(しんざ)」と呼ばれる岩があって。
夏至の日に、夜明け前から一筋の光の道ができて、ポンと太陽がその岩に座る、という。
木村さんは、ご自分の子どもを連れて、毎年のようにそれを見に来られたそうな。
見てみたい。そう思った。
そのあと、潮岬の海岸に降りて、静の窟(いわや)にお参りする。
海岸で、貝殻や珊瑚を拾う。
10時から、「光の祝祭」を中心になってお世話いただいた須賀洋治さんが目前に急逝されたので、彼の「みさき農園」で追悼式。
須賀洋治さん。まやはるこさんの歌の会で昨秋一度だけ神戸でお会いした。
それ以前に、まやはるこさんを通じて、「みさき農園」のホーリーバジルを分けていただいていた。
カウンセリングルームでもお出ししている。
ああ、ここで! ホーリーバジルは作られていたのか、と。
他にも無農薬の野菜たち。
午後から、潮御﨑神社本殿での宮司ご祈祷神事。
なんでも、4年前に計画していたのが、先の宮司さんが急逝されて、取りやめになったまま、後を継ぐ宮司さんがいらっしゃらなかったそうで。
1年半前に先の宮司さんの血縁の方が見つかり、宮司資格を取りに行かれての今日の日、だったと。
後は、奉納の石笛舞、巫女舞、演奏、と続き、私たちの「アワウタ」奉納、となる。
私は、歌の奉納に入れていただくのは初めてで。
だけど、ボイスアートのいつもの感じて、自分が感じるままに声を出す。
何の打ち合わせもないまま、だけど、不思議と調和する。心地よい。
終わって、鯨山見に寄り。
それから、帰途につきました。
169号線の山越え途中で、鹿が飛びだしてきてぶつかり。
でも、まあ大丈夫、でした。そんなにスピードを出してなかったので。
…でも、鹿は痛かったろう。
途中、下北山温泉のきなりの湯にも浸かり。
帰宅したのは12時前となりました。
2日間で550キロ。さすがに疲れました。
けれど、とても濃厚な時間でした。
画像は、神倉神社のご神体。
くだりの石段がもっと怖くて、ただただ足元の1段と、もう1段だけを見て降りました。
…人生の難事も、こういうことかもしれない、先の先を見るのではなく、ただただ、今できることをしていったら何とかなる、と言われているような気がしました。