日時:2020年 10月 4日(日) 9:30〜12:00
場所:カウンセリングルーム沙羅
内容:第5章 家族介護は「自然」か 第5節 「家族介護」は福祉の含み資産か
(以下、ゆうこさんのレポートです。)
そもそもこの言葉は「四つの助」から来ています。
自助・・自分で自分を助けること。自発的に自身の生活課題を解決する力。
互助・・家族・友人・クラブ活動仲間など、個人的な関係性を持つ人間同士が助け合い、それぞれが抱える生活課題をお互いが解決し合う力。費用負担が制度的に裏付けられていない自発的な支え合い。
共助・・制度化された相互扶助のこと。医療、年金、介護保険、社会保険制度など被保険者による相互の負担で成り立ちます。
公助・・自助・互助・共助では対応出来ないこと(困窮等)に対して最終的に必要な生活保障を行う社会福祉制度のこと。公による負担(税による負担)で成り立つ。
(東京都板橋区ホームページより抜粋)
共助と互助は概ね同じ意味だから、まとめられたと考えられます。このことを政権が掲げたことの意味をメンバーでそれぞれ考えを出し合いました。
▽ 今回、出た意見
・これらの言葉はもっともな事実で、良いも悪いもないのですが、まず「自助ありき」と考えたときに、自助には条件の差があり、それぞれの人がどこまで「自助」できるか大きな開きがあるのでは。
・共助ができるのも、「給与から社会保障を支払うことができた人」に限られてくるのでは?
・自助できる力が弱く、共助のための資金も払えなかった人達が公助を求めるとき、果たして、この2つがクリアできなかったのだから、公助は受けられないといって門前払いになってしまうということ?
・自助の力が弱い人について、例えば障がいを持っている人に対して「頑張れ」と声をかける。声をかけられた側は言われたとおりに頑張って、やっと健常者と同じステージに立つことができる。そこからスタートを切ったとして、すでに頑張っている状態だから、これ以上「頑張れ」と言われても続かない。社会の標準が健常者だというのは障がいをもっている人には生きづらい社会だ。自助の力が弱い人もそのような感覚で自助できるように頑張れと言われても、頑張れないのではないだろうか。
その後、次々と色んな話がテーマになるのがこの読書会の面白いところ。今回印象に残ったテーマは、「身体感覚」についてでした。
・毎日の仕事の中で、近年の若い人達の「身体感覚」が衰えてきていることを感じています。「以心伝心」のような「身体で感じ取る」感覚がない。
・「良かれ」と思ってやることが実は一番危ない行為だったりする
・「できる」「できない」の線引きは考え方で変わる。難病にかかった家族について、身体は動かなくなってしまったけれど、仕事で殆ど家にいなかった家族がずっと家にいるようになり、いつでもコミュニケーションがとれるようになったケースでいうと「今までできなかったことができるようになった」という大きな側面がある。
<レポート作者・感想>
「自助・共助・公助」・・漠然とした感覚ですが、この3つ(4つ)を私たちは「フェーズ(局面)」として捉えてしまっているなと、レポートを書きながら思いました。危険な状況に向かって段階が進んでいくというイメージ。そうではなくて、これらをうまく組み合わせて、当事者が納得いく暮らしができる「チョイス(選択肢)」とか「(ピース)部品」と考えた方が行き詰まった空気が広がっていくように私の「身体感覚」は感じています。ただ、発信している側はいつでも「最後は自分でなんとかしろ」がオチやからなあ。カウンセリングルーム 沙羅Sara
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