
こんにちは。
奈良・生駒でカウンセリングルーム沙羅Saraを開設している葛原昌子です。
突然ですが、行動経済学ってご存知ですか?
経済学の数学モデルに、心理学的に観察された事実を取り入れていく研究手法
のことを言います。
その行動経済学に「コンコルドの誤り」という言葉があって、
お子さんが不登校であるお母さんのカウンセリングをしていて、
最近ふと、その言葉を思い出すことがあったので、
今日はそのお話をしたいと思います。
超音速旅客機コンコルドの開発は、途中で採算割れが見通せた。
しかし、それまでの投資が大きかったために事業を続けて赤字を拡大させ、
ついには2000年、「墜落事故」という大きな犠牲まで出した。
つまり、「これまでに投じた費用が無駄になることを惜しんで撤退できず、
損失を膨らませる不合理な行動」のことをいうのです。
失ったお金は返らない。
無駄とわかったら、すぐやめることが「合理的」なのです。
ところが、やめるとそこで「損失が確定する」から、
これまでに投下したお金や時間が大きいほど、
「引き際の決断」が難しくなる、というのです。
「そのうち…事態は好転する、かもしれない…」と、
問題を先送りしがちなのは、人間の性(さが)なのかもしれませんが。
先日、お子さんの不登校でご相談に見えた方の場合、
お子さんは小学校を「お受験」して、そのまま中学生になった、とのことでした。
小学校を受験するための準備をし、そこの小学校を6年間過ごし、
そして今、中学3年生。
お子さんは、学校に行かなくなってもう1年以上経つ。
そのままそこの高校には進学できるけれど、
中学校とは違い、高校では「出席日数」で進級できないこともある、
こともご存知なのですが、
その私学は大学までエスカレート式に上がれる、こともあって、
なんだか、別の学校に転校、というのは気が進まない、ようなのです。
親子共々。
そんなお話を伺っているうちに、私はふと「コンコルドの誤り」を思い出した。
私がこの言葉を知っていたのは、
確か高校2年の現代文の教科書教材に載っていて、教えたことがあったからです。
そう、いわゆる「評論文」教材、ですね。
その時、私は「ああ、人がこれまでやってきたことに縛られるのは、
過去の自分を否定したくないからなんだ!」と思った記憶があります。
それ以来、自分が何か「決断」を迫られるときには
「コンコルドの誤り」に陥っていないかどうか、
自分に問いかける、ことをしてきました。
そうですね。
「過去の決断」あるいは「(そういう)過去の決断をした私」
を否定したくないのですね。
間違っていた、と認めることが
その「間違い」をより大きなものにしない術(すべ)であるのに。
いえ、私も子どもが中2で不登校になったとき、
中高一貫校に行かせたことが間違いだった、と思いたくなかった、ですよ。
ですが、どう考えても、その学校は子どもに合っていなかった。
入学以来、トラブル続きだった。
それまでの塾通いやら、
ああこれで高校受験しなくて済むと思ったことや
そんなことのために、
萎縮して、自分に自信をなくしている我が子を
その場所に置いておいて、いいことない!と思ったのです。
だから、不登校状態になって、4ヶ月経った頃、
「今の学校、どうする?」と一度だけ聞いてみて、
子どもが即座に「行かない」と言ったので、
私は即座に転校の方向に動きました。
中2だったので、公立中学への転校、ですが。
それでも、結局公立中学へは、1ヶ月も通えず、仕舞いだったのですけれど。
全寮制高校への進学は、賭け、みたいなものでした。
それでも、子どもが伸び伸びと生活して、
自分への自信みたいなものを取り戻してくれたら…
と祈るような気持ちで送り出して、
それが「正解」だったと思います。
中高一貫校に進学するまでにこだわるのは、
「過去」に目を向けている、ということ。
私はこれからの「未来」に目を向ける選択をしようとした。
今後どのような「結果」になっても、
子どもが萎縮して、自信をなくすような学校は、
子どもにとって「良くない場所」だと思った。
子どもが生きていく「道」は何もひとつではないはず…。
それを信じた。
そして、子どもは全寮制の高校を卒業し、大学を卒業し、
今年は就職して2年目です。
今頃になって「勉強」することが楽しいらしく、
先日も、最終学歴を証明する卒業証書が要るようなことを言ってました。
何かの資格試験を受けようとしているようです。
…その変わりように驚かされます。
子どもは決して親の思うようには育ちませんが、
でも、自分なりの歩みをしていきます。
先日も、また、別のお母さんが
「結局は、私がこの子は大丈夫、と信じ切れてない、のですね。」
と言われた言葉が印象的でした。
この子は任せておいて大丈夫、ということはない、
私がなんとか考えないと…という気持ちから発するあれこれの言葉は、
お子さんの自信を奪っていきます。
…それが愛情から出たものであったとしても。
私と一緒に、子どもの潜在能力を信じられる母になっていきませんか?