2020年はコロナ禍で、人となかなか会えない状況が生まれました。
しかし一方で、本当にその人に会いたいのか?どうか、考え直すきっかけにもなったように思われます。
感染予防に努めつつ、それでもやっぱり会いたい人には可能な限り会いに行く、のですね。
親子関係などで、親は会いたいと思うけれど、子はそうでもない、ことも多い。
まあ、親の「片思い」な訳ですけれど。
年末年始、人の動きもある中で、心穏やかでない方も多いと思います。
そんな時の自分の心への対応として、レディネスを作ってみてはいかがでしょうか?
レディネスとは、アドバイスにせよ何にせよ、「聞く耳を持つ」状態のことを言います。
こんにちは。
奈良県生駒市でカウンセリングルーム沙羅Saraを開設しています、葛原昌子と申します。
良かれと思って、いろんなことを言ってきた。
けれど、それが相手にとってどうか、を考えてみる必要があります。
自分にとって大事な存在で、だからあれこれ将来的にも心配して声掛けをするのですが、
もしかすると、「聞きたくない」意識が働いて、耳をパタンと閉じてしまったかもしれない。
「聞きたくない」のは「お説教」である時、とか、
「アドバイスが古過ぎて時代に合わない」と感じられる時、とか。
「お説教」は上から目線での物言いとなるので、うんざりしますね。
自己満足で付き合わされている感じ。
一方で、現在の社会状況を踏まえつつ、どこに問題があるか、を示すことで
「今の時代には合わない」感じを払拭することができます。
いずれにせよ、これは話す側の「何をどう話すか」という準備が必要だということです。
一方で、聞く側の問題があります。
聞く側の、「準備が整っている」状態が必要ということですね。
物事が上手くいくためには「レディネス」が必要です。
もし、「レディネス」がないのなら、作る必要があります。
差し出そうとしているものが、口に合わなくて大きすぎるのなら、
小さくして、食べやすくする必要がありますし、
苦いものはぺっと口から吐き出されてしまうので、表面を糖衣で包む必要があるかもしれません。
小さくする、とは、問題をスモールステップに分けて、取り組みやすくすること。
糖衣で包む、とは、相手の「頑張り」などを認めつつ、望む未来を手に入れるにはどうするか、
相手の存在を否定せずに、何から取り組めるかを「足し算する形」で示すこと。
そうやって相手にとって「受け入れ易い」形を考える。
そんな風な「工夫」を重ねてきたか、を振り返って考えてみる必要があります。
しかしまあ、いつもそんなに冷静に振る舞えるか、というと、そうではないですね。
思わず言った一言が、相手の痛いところを突いてしまっていた…なんてことも。
そうすると、既に「耳パタン」状態、な訳です。
そうなると、ちょっとやそっとで動かない。
いろんな思いが頭をよぎり、いろんな思いが巡るとは思いますが、
ゆっくりと息を吐いて、吐き切って、
ゆっくりと息を吸って、
自分の心を鎮めて、
待ちましょう。
ジタバタしても事態は急には変わりません。
人の心と過去は変えられない、のです。
変えられるのは、自分と未来だけ。
それが解れば、自分に今できることはやって、あとは、待つ。
そうです、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありましたね。
それです。
どれぐらい、待てばいいのか?
まあ、相手が何か言ってくるまで、なんですが。
それまでの関係性にもよりますが、場合によっては、3年、と思います。
私は漠然と3年、と思ったのですが、
高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の布教師でいらっしゃる浅田慈照尼(じしょうに)は、即座に
「回峰行も1000日。会社勤めも区切りは3年。何かこの年限・時間に、意味があるのだと思います。」
と返してくださいました。
365日×3=1095日。まあ、1000日ですね。それとは意識していませんでしたが。
その間、何をどのようにして待てばいいのか?
ただ単に、時間が過ぎるのを待てばいいわけではありません。
自分の中で、整理していくことがあります。
自分の中で「廻らせる」ものがあります。
クライエントさんそれぞれの、その「待ち方」を、一緒に考えたいと思います。