こんにちは。
奈良・生駒で「カウンセリングルーム沙羅Sara」を開設している葛原昌子です。
先日、ご自身の悩みでカウンセリングに通われている方で、
お子さんのことに話が及び、
部活動で、他の人が叱られていると、
その人の辛さを感じてしまい、
しんどくなってしまうらしくて…
と聞き及び、
「何か…どこかで聞いたようなお話ですね」
と言うと、ご本人も気づいていらっしゃって、
「そうなんです。私そっくり…。」
とおっしゃる。
「一生懸命、そんなことを思わないで
こう考えようよって、言ってあげているんですが…」
いえいえ、そういう方向ではなくて、
「そうだね、お母さんも同じだよ」って、
同意してあげる方がほっとするんじゃないですか?
と申し上げました。
だって、
あらぬ方向へ「こう考えよう」と言われることは、
今そんな風に感じてる自分を
どこか否定するようで、
それは何か…淋しい。
そうではなくて、今感じていることを
肯定される方が、よほど自分の力になる。
「私に似ていて、かわいそうと思うのではなくて、
私だから、分かってあげられるんだ!
がいいのではないでしょうか?」
そう申し上げると、お子さんから、
お母さんが居てくれて助かる、と
言われたこともあるそうな。
お母さんは、分かってくれるから、と。
そうでしょう?
だって、縁あってあなたのところに来た魂なんですから。
私のせいで、この子も…ではなくて、
私の魂に惹かれて、やってきた魂なんだから、と
そのことを喜びましょうよ、と。
そうして、「感じる心」が悪いのではなくて、
辛さ、を「感じる心」は、とても大切なのだけど、
辛さを感じているだけでは、何もできないので、
一定の境界線を引けるようになることが必要なだけで。
「感じる心」を守りつつ、
何ができるか、を模索する自分を作っていくだけで。
また、別の方で。
習い事でご一緒されている人から、その方に電話が掛かってきて。
その教室の不満を延々1時間も。
電話は繰りかえし、あった。
でも、その不満は自分も感じているところだから、
相手が電話を切るまで付き合ってきた。
何かの拍子に、「私、もうやめます」と言われ、
けれど、結局、続けることになったようで、
その時感じたことは、
「もう、あの人の電話を聞かなくて済む!」
だったそうな。
「だって、ご自分でやめるといいつつ、
結局は続けることにしたんだから、
もう、不平不満は言えないでしょう?」
「…ということは、やはり、そのお電話、
受けているのがしんどかった、わけですね。」
と申し上げたら、
「あ…、そうだったのね!」と言われる。
しばらく考え込まれて、
「そう、でした、のね」と。
相手の電話にしんどさを感じているのに、
私もその人の言うところは不満に感じているから、と
際限なく、相手を受け入れてしまう。
それは…苦しいですね。
これも、境界線を引いて、
ある程度聞いたら、
「あ、今ちょっと、しなければならないことがあるの」とか
「電話が掛かってくる予定があるの」とか、
切り上げる術(すべ)を身につけないと。
そうでないと、極端に
「もう人づきあいはこりごり!」になってしまう。
そうですね。
人が何を感じているか、より
ご自分が何を感じているのか、に敏感になりましょう。
ね? その方が格段に生きやすくなる、気がしませんか?