こんにちは。
奈良・生駒でカウンセリングルーム沙羅Saraを開設している葛原昌子です。
家庭菜園で野菜を作っている友人が、
キュウリをクローズアップした何枚かの画像とともに、
とれたてのキュウリが美味しくて、そればかりを食べている、
とFacebookに投稿していました。
そうしたら、「キュウリばかり食べずにタンパク質も摂ってね」
というコメントがなされていて。
なんか、ね。
余計なひとこと、よね?と思ってしまいました。
どうしてでしょう?
そんなこと、日頃から身体と心の調和を目指している友人に言わなくても…
という気がしたのです。
キュウリしか、食べないことなんてない
ことぐらい、わかるじゃないか!
人がキュウリ美味しくて…って喜んでいるのに、
なんで「水をさす」ようなこと、言う?
なんで「よかったね!」で済ませられないの?
なんて、ね。
でもきっと、「悪意なく」「親切心で」言っているのよね?
わかるけど。
でも、そういう「悪気ない」ことほど、ひどいことはない、
という気が私はするのです。
だって、もし「え? なんでそんなこと言うの?」って聞いたら、
「あなたのためを思って」とか、
何か正当な理由を付けそうじゃない?
そう、言った人は、決して反省することはない。
それより、「どうして人の好意を無にするの?」って
逆に反論されそう。
人が何を大事にして暮らしているか、
家庭菜園も、その「暮らし」の延長線上にあるのだから、
自分のアドバイスが「余計なひとこと」であることぐらい、
気づいてもいいものでしょうに。
そんなことを考えていたら、
先日不登校のお子さんのことで相談に来られたお母さんも
似たようなことを言われていたなあ…と思い出しました。
学校に行かなくなって、しばらく経っていて、
朝起きがだんだんと遅くなってきている。
この前、珍しく朝早く起きてきたお子さんにびっくりして、
「おはよう! 早いね。」と声かけしたのはいいけれど、
「これが続けばいいね」なんて、言ってしまってる。
「ああ、お母さん!」と私は思わず言ってしまっていました。
「どうして、朝起きできたね! よかったね、で終われないのですか?
それでは、その日、朝早く起きてきたことを、全然、褒めてないですよ。」
明日のことなんて、今はどうでもいいじゃないですか!
ただただ今日の朝起きを一緒に喜んだらいい。
そしたら、お子さんも気持ちよくて、
それが、明日の朝起きに繋がるかもしれない。
明日の朝起きに繋がらなくても、
朝起きした時の清々しさに繋がって、
いつかまた、朝起きしようか、に繋がるかもしれない。
そんな風に、お子さんの心を育てていけばいいのに、
「余計なひとこと」を言ってしまって、台無しにしてしまう。
どうして、そういう「余計なひとこと」を言ってしまうのでしょう?
それは、何もかも、ご自分が「言ってやらないと」と思っているからです。
幼児の時のままに。
お子さんは、もう十分大きくなって、中学生になっているんです。
任せておけばいいんです。
いつまでも「幼児」に留め置かないで、
大きくなった扱いをしないと、
子どもの幼児性を引き出してしまいます。
もちろん、赤ちゃんの時から、その子を育ててきている、
のも、わかっています。
だから、今の不登校という事態は、
これまでと同じ接し方ではなく、
接し方を切り替える、チャンスだと捉えればいいんです。
これからの接し方を身につけるいい機会、だと。
つまりは、今の「お困り状態」だけを見るのではなく、
この子は大丈夫、とお子さんの生きていく力を信じられるかどうか
なのだと思います。
先のFacebookでの友人の投稿に対するコメントで
私が不快に思ったのは、
友人がどんな生き方を大事にしているのか、
をまるで考えないコメントだったから、と思います。
まあ、友人とその方との付き合いの深さを知りませんから、
「冗談」であったかもしれないのですけれど。
それなら、私の大いなる勘違い、ですけれど。
でも、この手の「善意」が、
意識されないままに世の中に満ち溢れている気がして、
今朝のコラムとなりました。