現在同居中の「わが子」が出勤していく時、
2階から見送るのに手を振って見送る。
買い物に行っても、夫の好物より子どものを買ってしまう。
冷蔵庫には、子どもの好物が並んでいて、
夫は不機嫌になる…
という話を聞き及んで、
ちょっとしばらく、一切子どもに構うのをやめましょう、
と言いました。
子どもさんは、自分の問題に取り組まないといけないから、
しばらく、あれこれ「注意」するのもやめましょう、と。
頑張って、そんな「取り組み」をされるのですが、
ふとした折に、「子どもがかわいそう」に思えてきて、
「緊急時メール」が入ります。
本当にこのまま放っておいて、いいのですか? と。
悪戦苦闘されている姿を見て、
私はなんとも…いとおしくなります。
それは、自分の姿と重なるところがあるからです。
それで、こんな風に返信しました。
なかなか悪戦苦闘、されていますね。
頭では「本人のことは本人に任せなきゃ」と思われているでしょうに、
何かの折々に、ふと
「このままでは子どもは遠くに行ってしまうのでは…」
という不安がよぎるのですね。
はい。わかります。
わかりますけど…、でもね、
子どもはもうすでに、母の手を離れて、遠くに行っているのですよ。
ただ、母はそれを認めたくないだけで。
私は今でも、子どもが4歳の時の写真を持ち歩いています。
…なんでしょうね…。
本当に可愛かった、じゃないですか。
小学校に上がる前、「ママ、大好き!」って言って
「ままとKちゃんは、ずっとずっと、いっしょだよ。」
と書いてくれたことがあります。
…実は、私は、その紙も大事にとってあります。
子どもは3歳までに、もう親孝行を済ませている、
と聞いたことがあります。
かわいくてかわいくて、
そして、一生懸命に握ってきた小さな手のぬくもりも、
私はいまだに忘れずにいます。
でもね、もう子どもは大きくなって、
母の手を振り払って歩き出しているんです。
いつまでも、「いかないで〜」って
手を離さないでいようとするのは、
子どもは息苦しいでしょう?
「私がいなきゃ」「私が守ってやらなきゃ」と思ってきたのに、
もう必要ないよ、ってされるのは本当に苦しい。
でも、いいかげん手を放してやらないと、
子どもが息苦しくて死んでしまう。
…母は、子どもを守りもするけれど、
窒息死させたりもするんですよ。
子どもがどんな結論を出すのか、
それは子どもの人生なので、
母としては見守っているしかない。
なんであれ、
やったことの責任は、自分で負うしかないのですから。
子どもを中心に据えてしまっている生活と決別するために、
昔、子どもの頃にやりかけた「習い事」を
また再開もされたと聞いて、嬉しいです。
そうですね。
一緒に、「自分中心」の生活を組み立てていきましょうね。