いえ、何も恨んでいるのではありません。
自営業をしていて、一家の大黒柱が病気したり怪我したりすると、
たちまち家庭が大変なことになるのを見てきた父は、
これからの時代、女性もきちんと仕事をして収入を得ることの大切さ、をしみじみ感じて、
娘の私に、そのような生き方を望んだのです。
それは、確かに有難い指針でした。
ありがたく無かったのは、生きる場所や生きる手段を限定した、ことです。
生きる場所として両親の元で、生きる手段として小学校の教員として。
それが私の「望んだこと」であるならば、何の問題もなかった、と思うのですが、
私には、「選択」の余地がなかった。
つまりは、「お仕着せ」であったわけです。
親が、子どもにあれこれ望んでしまうのは、ある意味、仕方がないこと、と思います。
しかし、「親の願い」を子どもに打ち明けてしまったならば、
(そう、「願い」を口にしないでおく、賢明な選択もあります)
親は待たないといけない。
その子が、自分でどういう選択をするのか、を。
そうでないと、親の願いを押し付けることになる。
私の両親は、「親の願い」を押し付けることに何のためらいもなかった人たちで、
それは、自分たちがそのように「親の願い」を押し付けてこられたからで、
そして、そのことに何の疑念も感じてこなかったからで。
(これを「世代間連鎖」といいます。)
ところが、私は違った。
私は、子どもの頃からずっと息苦しかった。
本当に(物理的に)、真綿で首を締め付けられているような息苦しさをずっと感じていた。
私はもっとラクに息がしたかった。
これ以上、両親に「異議申し立て」しなかったら、
私は窒息死してしまう、と思った。
しかし、両親という「山」は巨大で、どうにも動きそうになかった。
だから、かろうじて、私は言い始めた。
「私は、そうは思わない。」
それは、反論にすらなっていなかったけれど、
少なくとも、同意しているわけではない、ということの
意思表明だった。
「反論」できなくてもいい、と思うのです。
今できることが、「異議申し立て」だけであっても。
まだ、説明できないなら、「違う」とだけ、言っていたらいい。
どんな風に言えば、相手に伝わるだろう…と、その後ゆっくり、自分のペースで
考え続ければいいんです。
私は、その後、母から「変な子」だと、レッテルを貼られてしまいましたが、
それでも! 何も言えない私であるより、ずっとよかった。
私はその時、「私のペースで育っていくこと」を選択したのだ、と思います。
そうです。学校に通っている間は学校のカリキュラムがある、でしょうけれど、
そんな時だって、何も全て、そのカリキュラムに従わないといけない、などということはない。
あなたの育つペースは、あなたが決めていい、と私は思います。