2021年1月3日の「折々のことば」。ジークムント・フロイトの言葉。
百パーセントのアルコールがないように、百パーセントの真理というものはありませんね。
鷲田清一の解説。
オーストリアの作家、ツヴァイクは、友人でもある精神分析家がふと口にしたこの言葉が忘れられない。
《無意識》という暗部にメスを入れたフロイトにとって、不快だ、危険だという理由でそれに蓋(ふた)をすることはありえなかった。
人は認知も制御もしえないものを内蔵するからこそ、つねに覚醒を心がけねばならないのか。
作家の回想録『昨日の世界 Ⅱ』(原田義人訳)から。
…ツヴァイクって誰だっけ?
1881年11月28日 ウィーンで生、 1942年2月22日 ブラジル・ペトロポリスで没。
オーストリアのユダヤ系作家・評論家である。
1930年代から40年代にかけて大変高名で、多くの伝記文学と短編、戯曲を著した。
特に伝記文学の評価が高く、『マリー・アントワネット』や『メアリー・スチュアート』『ジョゼフ・フーシェ』などの著書がある。(ウィキペディア)
ああ! 『マリー・アントワネット』ね。
へえ…フロイトのお友達だったんだ!
1930年代から40年代って、まだナチスが勢いのあった頃。…大変だったね。
それにしても。
百パーセントの真理は、ない、と。
心理学を学び始めて、客観的に見てどうこう、というよりも、
主観的な見方、主観的受け止めというものがその人を捉えて離さないのなら、そこから出発するしかない、ということを知った。
それは薄々、生徒たちとの関わりで「気づいていたこと」ではあった。
被害者意識に立って、「こんな目にあった!」と興奮している生徒を前にして、いくら「それは違う」と言ったところで余計に興奮させるだけで。
ああ、そうなんだ、君はそんなふうに感じたんだね、とその受け止めを一旦引き受けた方がよくて。
「感じた」ものを何人(なんぴと)たりとも否定することはできない。
彼(彼女)は、そう感じた、んだから。
一旦引き受けたあと、「でも気づいてないかもしれないけど、ここにこれがあったんだよ」「こんなふうにも言ってたんだよ」と、声掛けをしていく。
そうか、そういったものが目に入ってなかったんだ、聞こえてなかったんだ…と、
「こんなふう」に見えた世界が、もしかすると、違ってたのかもしれない…というところに落とし込む。
…見えていた世界が、少し「揺らぐ」だけで充分で。
それ以上は、彼(彼女)が自分が否定されたかのように感じるから、それだけに留めておく。
すると、興奮が少しずつ冷めてくる。
「客観的事実」より「主観的事実」から始めること。
それは、今思うに、気持ちの受け止めから始めること、であったかもしれない。
しかしそれにしても、今思うに、「客観的事実」が「主観的事実」と対立するものではなくて。
併立してあるような気がして。
…言ってみれば、それが「百パーセントの真理はない」ことなのではないか?
そんな気がした。
そうか。百パーセントのアルコールって存在しないのか。
調べたら、ポーランドのウォッカ「spirytus(スピリタス)」は、世界最強の酒として名高くて、96パーセント、らしい。
蒸留過程を70回以上繰り返すことでアルコール度数を96度に高めているという。
ふうん。
なんか。百パーセントって存在しない、ことを言うたとえに、アルコールを持ってくるなんて。お洒落。
…フロイトは、お酒、好きだった?
いや、旅とタバコは好きだったみたいだけど。
お酒は好きではなかったらしい。
禁酒主義者だったからではなく、むしろ酒はちょっとでも飲むと精神がボヤけてくるのが嫌いだった、という。
フロイトは、いつも自分の精神がハッキリしていることを望んでいた、のかもしれない。
話はあっちこっちに飛んだけど。
ちょっと楽しめる朝のひととき、でした。
画像は2017年4月に訪れた長崎・ハウステンボスの水辺のカフェ。
フロイトが旅好きと知って、ちょっとどこかにお出掛けしたくなりました。