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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/10/31
測るのはどんなもの?〜『はかりきれない 世界の単位』米澤敬 著・日下明 イラスト〜  
注文していた本が昨日届きました。
ワクワクしながら、ページを繰ります。
本の名は『はかりきれない 世界の単位』。
2017年6月の第1版第1刷です。
…実は、Instagramで見かけたもので、どんな単位が取り上げられているんだろう…と興味津々だったのでした。

著者「まえがき」からの言葉を引用します。
《人間は、何ごとも測らずにはいられないようです。測れそうもないことを推し量ろうとすることで、科学も文化も発達してきたのですが、この本で紹介する多くの「まっとうではない」単位や、近代化とともにつかわれなくなった単位にこそ、科学や文化の「落としもの」や「忘れもの」が隠されているのかもしれません。》

という趣旨で編まれた作品です。

いくつかの単位を紹介します。


カラット(1粒の豆の重さ)
イナゴマメの実(ギリシャ語でケラーティオン)1個の重さ。
時代と場所でその内実は大きく異なる単位でしたが、20世紀初頭に200mgに定められ、いつの間にか宝石の単位になりました。
さらに金の純度単位にも転用されます。
18Kは18金ではなく、本当は18カラット(純度18/24)のこと。

へえ〜。そうなんだ!


五劫の擦り切れ(ごこうのすりきれ)(とほうに暮れるほど長い時間)
落語「寿限無(じゅけむ)」に登場する単位。
劫(kalpa)はヒンズー哲学で、宇宙の誕生から消滅までの時間を意味しました。
仏教では、1辺40里(約20km)の岩を3年に1度天女が舞い降り羽衣で撫で、岩が擦り減ってなくなるまでの時間、五劫はつまりその5倍です。
億劫(おっくう)の劫も、もとはこの劫で、億劫とはとてつもない長時間になります。

「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ…」っていう長〜い名前があったなあ…と思い出しました。呪文のようで、小さかった子どもは喜んで覚えていましたよ。


アンフラマンス(現実と非現実の境界の薄さ)
「下の、下方の」という意味の接頭語「infra-」と、「薄い」という意味の形容詞「mince」を組み合わせたマルセル・デュシャンの造語。
物質界にいながら、可能な限り非物質界に近い、その寸前に留まることを指した言葉。
現実と非現実の境界の薄さ(厚さ)を測る単位ともいえます。

おお!デュシャンが登場しましたか…。
便器を置いて「泉」とタイトルをつけた作品が有名ですよね。…そう、彫刻作品として。
現実の「あたりまえ」を疑ってかかり、日常の道具の中に、非日常の「芸術を見る」ことを狙った、と私は見ています。…つまりは、「芸術」とは特別なものではないんだ、と。

ふう〜ん…そのデュシャンが作った単位ねえ…。


モデュロール(人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法)
建築家ル・コルビュジエが、人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法。
基本的には、人が立って片手を挙げた時の指先までの高さ226㎝が基準となりますが、設定されている身長が182.9㎝とかなり高め。日本人には長すぎるので、国や地域によって異なるモデュロールが設定されることもある。

いつぞや、コルビュジエの仕事を紹介した絵本を取り上げましたね。
この単位は確かに、その時出てきました。

こんなふうに、たくさんの「単位」が取り上げられ、50個もの単位が紹介されています。
ホント面白い。

あ、「はかりきれない」って、「測る」ことができない、という意味だけでなく、「たくさんあって(はかりきれないほどの)」の意味でもあったのね! 今、気づきました。

教育
2017/10/30
いじめ43%増32万件〜毎日新聞10月27日付朝刊トップ記事〜  

毎日新聞の10月27日付朝刊のトップに「いじめ43%増32万件」という、全国小中高校と特別支援学校が2016年度に認知したいじめは、前年度比43,8%(9巻8676件)増の32万3808件で、過去最多を更新したことがわかりました。

26日に文部科学省が公表したようです。

3年連続の増加で、初めて30万件を超えた、とあります。

続き
人とのつながり
2017/10/29
リウム社長穂口大悟さんの話を聴く〜【ほぐちとしゃべる会】&事業主のための家計のやりくりミニセミナー〜  
HPでお世話になっているリウムの社長、穂口大悟さんとしゃべる会があるというので、参加してきました。
お世話になって1年が経つのですが、なかなか穂口さんとお話する機会もなくて。
格安で、しかも使い勝手のいいHP管理を提供されていて、本当はそもそもどうしてこういう事業を立ち上げようと考えられたか、からもお話伺いたくて。
しかも、「事業主のための家計のやりくりミニセミナー」付きというのだから。
大学時代のご友人、和田篤さんが講師。



続き
母との暮らし
2017/10/28
神戸の秋の一日  

昨日は、母と杏樹(アンジー)を連れて、神戸の秋の散策に出掛けました。

新神戸駅近くに「布引ハーブ園」というところがあって、今年友人と有馬温泉に泊まりに行った母がそこに寄ったらしいのです。

「ワンコも大丈夫だったから」というので、いつものワンコ用抱っこ袋に入れて、電車に乗り込みました。

 

ここがハーブ園へのロープウェイ入り口。

 

エントランスも素敵で。

 

おお!あれに見えるは、ハーブ園へのロープウェイ! と期待感マックスだったのですが、ロープウェイ入り口へのエレベーターに乗り込もうとして、係の人に「犬はダメだよ」と言われて「え?」。

母を振り返ると「わんこ見かけたけど…」と不安げな様子。

どうやら、盲導犬や介護券はOKだけど、それ以外はダメなようでした。

それでも諦めきれない私は、ロープウェイチケット売り場のお姉さんに「この袋の中に入れて、出さない、ということでもダメですか?」

と聞いたんだけど、素っ気なく「ダメです」。

 

母は、「せっかくここまで来たんだから、ひとりで行っておいでよ。アンジーとどっか うろうろしてるから。」

と言いましたが、そんなわけにも、ね。

お昼になったので、(ハーブ園でランチ♪のハズだった…)近くのインド人のカレー屋さんでランチして。

それから、「異人館通りへの散歩道」の案内が見えたので、お花を撮る予定を、館を撮ることに切り替えました。

 

散歩道は、高台にあって、ちょっと眺めもよくて。

桜葉も紅葉していて、いい感じ。

 

異人館通りに入ると、「異人館」でないマンションも、お洒落だなあと、

ね?

 

限りなく、青い空!

 

これは「風見鶏の館」

 

NHK朝ドラの「べっぴんさん」に出てきた館。

 

ひととおり、歩いたら、「シティー・ループ」のバスで、海辺へ。

 

メリケン波止場。

腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めていました。

 

あ、アンジーはこんなふうに、電車やバスやレストランでは、抱っこ袋に。(頭も袋の中に入れます。)

いい一日でした。

 

画像は、異人館通りで見かけた看板。


アロマオイル
2017/10/27
体質改善のアロマオイルを作る〜ナード・アロマインストラクターコース〜  
昨日は、月2回のナードのアロマ・インストラクターコースの講座の日でした。
「レッスン5 からだのしくみと働きの基礎知識〜ホメオスタシスと健康維持、体質改善」で、アドバイザーコースの時にも学んだ、医学の父ヒポクラテスの「四体液説」が出てきました。
…もう少し詳しい形で。
続き
絵本の世界
2017/10/26
マイナスはプラスでもある〜木曽秀夫作『すってんてんぐ』〜  
しばらく絵本を紹介していないなあと思ってごそごそと本棚を探っていると、面白い絵本を見つけました。
木曽秀夫さんが文を書き、絵も描かれています。
1984年の第1刷。サンリードから出版されています。

表紙絵自体が、不思議な感じ。
赤い顔した天狗と緑の顔した天狗が向き合って、鼻が繋がっています。
繋がったところの色は、混ざって紫色。

では、ゆるりと参りましょうか。


《ずっとずっと むかしのこと、

   やまの かみさまは てんぐどんじゃった。

   ひでりが つづいて さくもつが かれて

   しまうと、じまんの うちわを ひとふり、

   あまぐもを よびよせて、たや はたけを

   みどりで うるおす。

   わるい びょうきが はやっても、

   てんぐうちわを ひとふりすれば、たちどころに

   はやりやまいを おいはらう。

   それはそれは、ありがたい かみさまじゃった。》

 

なんか、意気揚々とした天狗どんが、颯爽と登場します。

…神さま、なのですね。

 

《じゃによって、てんぐどんの すむ やまのてっぺんの、おおきなきのしたには、

   「てんぐさま、こどもを さずけて くだされや」、

    「しょうばいが はんじょう しますように」

   と。いつもいつも おそなえものが いっぱい。

   おかげで てんぐどん、まいにちまいにち、ごちそうをたべて、

   かおは つやつやの まっかっか。》

 


《ところがじゃ、なんねんもなんねんも、ながいきしている あいだに、
   やまのようすが、だんだんと かわって きたのじゃ。
   そんな あるとしに、となりやまに おみやが できてなあ。
   それからというもの、もう だれも てんぐどんなぞ みむきもしなくなったのじゃ。》

あらあら、大変です。隣山には行列ができているというのに。
天狗どんの山には木枯らしが吹いています。


《そなえものは とんと こなくなるし、
   もう ごちそうは たべられぬ。
   
   てんぐどんは みるみる やせて、
  
   だんだんと あおいかお。

   しまいには じまんの うちわも かれは どうぜん。
   とくいの じゅつも つかえなくなってしもうたわ。》

なんということでしょう!赤いお顔が、どんどん青くなっていって…。
商売道具のうちわまで、枯れてしまっている!

《ーーーこれでは、どうにもならぬ。
   そうだ、 わしも にんげんの まちへ いって、なにか しごとをしよう。
   はたらいたら、きっと ごちそうが たべられるーーーと、
   かんがえた てんぐどん、やまをおりて、まちへと むかったのじゃ。
   まちでは いろんな ひとが はたらいておる。
   てんぐどんには めずらしいことばかりじゃった。》

はあ。たくましいね、この神さまは。働こう、だなんて。
働いて、ご馳走を食べよう!というところが、あんまり神さまらしくないけど。


《てんぐどんは、さっそく さかんの しごとを はじめた。
   もともと かみさまだったてんぐどん、
   しごとの おぼえは はやく、
   みるまに かべぬりに かかったのは いいが、
   ながい はなが じゃまをして、
   ぬりたての かべを ずりずりと こすってんぐ。
   これじゃ、さかんの しごとは とても かなわぬ。》

…ちょっと駄洒落も入って。
でも、右下の親方らしき人が怒っています。


《つぎなる しごとは たたみやと ござい。
   ところが ところがじゃ。
   ひとはりごとに、はなは たたみを こすってんぐ。
   はりは、ぷつり、
   はなは ひりひり、
   ぷつり ひりひり、
   ふつり ひりひり。
   じまんの はなも きずだらけ。》

あ〜あ、畳に傷などつけちゃって。これじゃあ売り物になりません。

このあと、いろんな仕事に挑戦するのですが、長い鼻がじゃまして、全部ダメ。

《こまった こまった、このながい はな。
   これじゃ まちにも すめぬわい。
   さりとて、あれほうだいの てんぐやまへ かえってみても どうにも ならぬ。》


《さてさて、これから どうしたものかと、
   てんぐどん、まちの なかを
   あっちへ とぼとぼ、
   こっちへ ふらふら していると…

   てんぐどんの よこを、びゅーんと、はしりぬけた ものが おった。
   それは てがみを はこぶ ひきゃくじゃった。
   はしることの とくいな てんぐどん、
   これを みて “はっ”と、おもいついたのじゃ!》


《そのときから てんぐどんは ひきゃくに なった。
   ながーい はなの さきに、てがみの はこを むすびつけて、はしるはしる。
   「やより はやい てんぐどん、
      ひゅーんと かぜきり いだてんぐ」
   と、うたにまでなる にんきもの。
   それに すっかり げんきになった てんぐどん、
   かおは もとのように つやつやの まっかっか!
   そうら、いまでも てがみを いれる ポストは、
   てんぐどんのように まっかっかの つやつやじゃろうが。》

ということで、めでたしめでたし、なのですが。

これは、とっても子どもが喜びましたね。
言葉の調子もいいし、天狗どんの仕事の失敗の図の繰り返しが、また面白い。
子どもは繰り返しが好きですものね。
ポストの赤、にまで話をつなげる念の入れようも、凝っています。

まあ、自分の何かが合わないのだったら、それに固執しないで何か合うことを、というのは、簡単に言えますけど、なかなか、そんな思い開きはできない。
自己否定に陥ったり、もう生きていけないと絶望したり。

でもまあ、マイナスにしか見えないことが、プラスに転じることもあるのですよね。
なかなか、自分では気づけないことでしょうけれど。
そして、モデルも要ります。
実際に飛脚を見て、天狗どんも「は!」としたわけですから。
…でも、天狗どんが落ち込んで、自分の中に閉じこもっていたら、飛脚が走っても気づかないかもしれない。
ヒントは近くにあっても、見逃すこともある、と思うのです。

本当は、困った時ほど、深呼吸して、周りを見回すことが必要なのですね。
それができない時のために、カウンセリングルームはあります。
続き
詩の世界
2017/10/25
生きる意味を見失ったときには…〜エミリ・ディキンスンの詩〜  

来月、用事で広島に行くのですが、その時に会えないかと思ってCさんに連絡を取りました。

あれやこれやの話の後、「とてもいい詩があるの」といって、教えてくれたのがこの詩です。

エミリ・ディキンスンの詩の一部を取り上げる形での新聞記事だったので、題名も分からないのですが。

続き
ゲシュタルト療法
2017/10/24
からだの声を聴く(2)〜定行俊彰さんのゲシュタルト療法・ワークショップ〜  
大型台風が近づいている中、雨で交通機関がストップしないかをちょっと危惧しながら、2日目のワークが始まりました。
…大雨、洪水、暴風警報が発令されていました。

午前中に個人ワーク。私は2番目にワークを受けることになりました。



続き
ゲシュタルト療法
2017/10/23
からだの声を聴く(1)〜定行俊彰さんのゲシュタルト療法・ワークショップ〜  
この週末は、GNK(ゲシュタルト・ネットワーク・関西)主催の「ゲシュタルト療法 ベーシック&アドバンスコース」のワークショップの日でした。
ファシリテーターとして、仙台から定行俊彰さんがきてくださいました。

定行さんは関西の方ですが、19から仙台にお住まいだそうです。
…大学生からか…と、思いました。
そう、宮城教育大学で、演劇の「からだのレッスン」を展開された竹内敏晴さんに学ばれた方だったのです。
続き
詩の世界
2017/10/22
心淋しくなる季節には要注意〜ヴェルレーヌの詩「落葉」・上田敏の訳詩集『海潮音』から〜  

毎日雨続きで、せっかくの秋の爽やかな季節はどこに行ってしまったか、と嘆かわしい限りです。

秋の風景、といえば、ヴェルレーヌの詩「落葉」。

上田敏の訳詩集『海潮音』が有名です。

「読書への誘い」第24号で紹介したものです。

続き
詩の世界
2017/10/21
自分を勇気づける〜大木実の詩「前へ」〜  

「読書への誘い」の紹介も第60号に達しました。

第207号まで作ったのですが、1/3ほどになったのですね。

さて、今朝は、その第60号で紹介した詩を。

真っ直ぐすぎてまぶしいぐらいなんですが、ちょっと元気が出ます。

 

…確か、高校3年生の担任をして、3月に送り出す時に作った「読書への誘い」だったと思います。

卒業すると、クラス全員が揃うことなどないので、はなむけにえらんだ詩だったと記憶しています。

続き
絵本の世界
2017/10/19
日本語はこんなふうに続いていく〜『これは のみの ぴこ』谷川俊太郎・作/和田誠・絵〜  
谷川俊太郎の有名な絵本『これは のみの ぴこ』を紹介します。
サンリードから1979年に出た絵本です。
私が持っているのは1988年の第12刷。

何で有名かというと、日本語の助詞のひとつである「の」を用いて、こんなふうにどんどん繋げていけますよ、を示したものだからです。
私も確か…大学の「国語学」の授業で、…「国語学」というのは、日本語の特性を語学的に研究する分野なのですが、その授業で紹介された記憶があります。

さて、始まりは「これは のみの ぴこ」です。


のみに名前が付いている! とちょっとびっくりするのですが。
この、のみが主人公か、と思うと違います。


「これは のみの ぴこの/すんでいる ねこの ごえもん」
と、話題は「ねこのごえもん」に移ります。


「これは のみの ぴこの
   すんでいる ねこの ごえもんの
   しっぽ ふんずけた あきらくん」
と、また、話題が「あきらくん」に移っていくのです。

こんなふうに、どんどん話が移っていって…最後は、


「これは のみの ぴこの
   すんでいる ねこの ごえもんの
   しっぽ ふんずけた あきらくんの
   まんが よんでる おかあさんが
   おだんごを かう おだんごやさんに
   おかねを かした ぎんこうにんと
   ぴんぽんを する おすもうさんが
   あこがれている かしゅの
   おうむを ぬすんだ どろぼうに
   とまと ぶつけた やおやさんが
   せんきょで えらんだ しちょうさんの
   いれば つくった はいしゃさんの
   ほるんの せんせいの
   かおを ひっかいた ねこの しゃるるの
   せなかに すんでいる のみのぷち」
で終わります。

お相撲さんや泥棒や市長さんやが出てくるバライティー豊かな広がりと、人はどこでどんなふうにつながっているのかわからない、という面白さと。
それから最後は「のみのぷち」で終わるこだわりと。
「のみのぴこ」と「のみのぷち」のつながりはよくわかりませんが、まあ「のみ」つながりなんでしょうね。

あ、今気づいたのですが、絵本の表紙を広げてみると…こんなふうになっていました。

前と後ろがつながっていることをこんなふうにも表現していたのですね!
なかなか奥が深い!

詩の世界
2017/10/18
人生における課題を考える〜木村恭子の詩「十二月の家」〜  

急に朝夕が寒くなりましたね。

10月なのに11月の気温だそうです。

…だんだんと、四季折々、ではなく、「夏」と「冬」しかないような気がしています。

「いい季節」がとても短いような。

 

今朝は、なんとも不思議なイマジネーションが発揮される詩を。

「読書への誘い」の第59号で紹介したものです。

続き
教育
2017/10/17
人は「使い捨て」されてはならない〜教員の長時間勤務の改善を〜  
昨日(2017年10月16日)付の毎日新聞の社説に、「教員の長時間勤務改善  必要な仕事の絞り込みを」と題した文章が載っていました。
「教員の仕事」とされるものが、雑多に広がっていて、「本来の仕事である『授業』に専念できない環境になっていることが問題である」ことが、やっと取り上げられるようになってきた、とちょっと感慨深く思いました。
続き
絵本の世界
2017/10/15
子分のように従える〜きたやまようこ作『ゆうたとさんぽする』〜  
「ゆうたくんちのいばりいぬ」シリーズの2冊目です。
あかね書房から1988年に初版が出ています。
今度は黄色い表紙ですが、1冊目と同じくにらんでいます。



やっぱり、犬から始まって。…名前は「じんぺい」だったか。



で、両者の比較が始まります。

「おまえ ぱんつ はく。おれ なにもはかない。」
「おまえ しゃつ きる。 おれ なにも きない。
   おまえ くつした はく。 おれ なにも はかない。
   おまえ ずぼん はく。 おれ なにも はかない。
   おまえ ぼうし かぶる。 おれ なにも かぶらない。
   おまえ くつ はく。 おれ なにも はかない。」
    



あらあら。パンツから、始まって靴まで履いたのは、散歩のためだったのね。
でも、じんぺいが勝手に「おれ さんぽに いく」って。ゆうたは、どうするの?


「おまえ ついてくる。」
…そうか、ゆうたはじんぺいに引かれていくのね。
主導権はじんぺいにある。

ゆうたは子分、ということですか。

パンツをはき、シャツを着、靴下を履き、ズボン履いて、帽子をかぶり、靴を履く。
ちょっと、幼児の「しつけ絵本」的な要素もありますね。
お外に行く時には、こんな風にして準備するんだよ、みたいな。

うちの杏樹(アンジー)も、曲がり角でこんな風にグイッとリードを引っ張ることあります。
こっちに行きたいんだけど、と。
たいていは、そうですか、と引っ張られてあげるんだけど、時折、ダメ、今日は帰るの!と私が引っ張り直すこともあります。
そうすると、ちょっと前足で踏ん張って頑張りますが、私の顔を見て意志が強いことを読み取ると、すぐ諦めます。
…そっか〜ダメなんだね、って感じで。
アンジーの顔のすぐ横に、テロップが出ている気がする時あります。

ちょっとでも、私の方が、まあいいか…的な気持ちになると、それを読み取って、グイッと引っ張ります。
その辺の「ニュアンス」を嗅ぎ取るのは、とても鋭い。

ゆうたくんも、じんぺいに引っ張られてお散歩に行くんだね。
あ、だから、タイトルも「(おれが)ゆうたとさんぽする」なんですね。
…なんだ、主語がじんぺいだったんだ、と今更ながらに気がついたのでした。




詩の世界
2017/10/14
職場のいじめに立ち向かう〜長谷川康夫の詩「ちがう人間ですよ」〜  
今朝は、ちょっと え?!  と思うようなキビシイ詩を。
なんだか、人間関係に一線引かれているような感じもするものです。
「読書への誘い」第58号で紹介しています。
続き
絵本の世界
2017/10/12
立場を逆にしてみたら…〜『ゆうたはともだち』(ゆうたくんちのいばりいぬ1)きたやまようこ作〜  
今回は、ちょっとこれは子ども向けじゃないなあと思える絵本を。
「ゆうたくんちのいばりいぬ」シリーズ3冊のうちの最初のものです。
奥付を見ると1988年初版発行となっています。
…これは、奈良県立平城高校に勤めていた頃に買ったものですね。
多分、「国語表現」の授業で絵本制作させた時に、いろんな絵本を紹介するのに使ったような気がします。

表紙は、お目々がブルーの、シベリアンハスキーかな? と思わせる犬が、こちらをにらんでいます。
ちょっと、おっかなそう。

まず、ページを繰ると、出だしがこんなふうです。


「おれ いぬ。」
おお〜。…まあ、そうですね。そして、やっぱりにらんでいるとしか思えない。続いて、


「おまえ にんげん。」
おまえ、ですか。「ご主人」ではなく。
こんなふうに、「おれ」と「おまえ」の対比でしばらく進みます。

「おまえ わらう。/ おれ しっぽ ふる。」
「おまえ てで かく。/ おれ あしで かく。」
「おまえ なでる。/ おれ なめる。」
「おまえ たたく。/おれ かむ。」

そして、

「おまえ すぐ なく。/ おれ がまんする。」
と、ちょっと「おれ」のエラさが示されて。
(おしっこするとき)「おれ あし あげる/ おまえ あげない。」


「おまえ なんでも すぐに きく。/ おれ じぶんで かんがえる。」
と、またもや「おれ」の方がエライみたいで。
でもね、こんな面もあるんだよ。
「おまえ ほんが すき。/ おれ ほねが すき。」


「おれと おまえ ぜんぜんちがう。
   だけど すき。
   だから ともだち。」

…全くもって、「おれ」の名前も「おまえ」の名前も出てきませんでした。
タイトルから子どもの名前は「ゆうた」ってわかるけど。
「おれ」の名前は? …なんだか、聞いたら「おれはおれだ」と叱られそうな勢いですね。
さすがは「いばりいぬ」。…なんか、立場が逆転しているような気もするけど。

昔、大阪教育大学教授で、幼児言語を研究されていた早川勝廣先生の月1回の教材研究の会にこの本を持っていったら、「だけど」という逆接に引っ掛かりを感じられたようでした。

「全然違う、だけど、って言うからいかんのやなあ。全然違う、だから、って言わんと。」

「だけど」だったら、違うことが好きになれない前提になっていることになる、というご指摘だったのです。
「だから」だと、違うことがあたりまえで、違うからこそ好きになる、そういう風通しの良さが日本社会には必要ではないのか、ということなのでした。
当時、長く差別問題に取り組まれていらっしゃったからこその視点だなと思い、それで今も記憶しているんだと思います。

久しぶりにこの絵本を開いて、そんな遠い記憶が蘇ってきました。

追記:全3冊と思っていたら、全11巻のシリーズでした。…知らなかった…そんなに増えてたのね。
続き
詩の世界
2017/10/11
「好き!」という気持ちがなせるワザ〜入沢康夫の詩「未確認飛行物体」〜  

今日は、タイトルからイメージした詩の内容がかなり違っていて、ん? と思う詩を。

入沢康夫の「未確認飛行物体」という詩です。

「読書への誘い」第57号で紹介しました。

続き
絵本の世界
2017/10/05
自分にできる精一杯で大丈夫〜『どんなにきみがすきだか あててごらん』  
サム・マクブラットニイ:文、アニタ・ジェラーム:絵の1994年の作品です。
日本語訳は評論社から1995年に。
私は…いつ買ったのだろう? あ、裏表紙に「1997年X’masに Kちゃんへ♡」とありました。



チビウサギとデカウサギのお話。

でも、親子ってわけでもないみたい。

 

 ‘ちいさなちゃいろいノウサギは、おやすみのじかん。

おおきなちゃいろいノウサギのながいみみにつかまって、ベッドへいくところ。’

 

 ‘ちいさなウサギは、おおきなウサギに きいてみたくなった。

「どんなに、きみがすきだか あててごらん」

「そんなこと、わからないよ」と、デカウサギ。’


 

「こんなにさ」

チビウサギは、うでをおもいきりのばした。









デカウサギのうでは、もっと

ずっとながかった。

「でも、ぼくは、こーんなにだよ。」

 

なるほど、それは、うんとだ。

チビウサギは、かんがえた。




こんなふうに、チビウサギは自分の身体を使って、「どんなにきみがすきだか」を一生懸命表現しようとします。

でも、そのたびに、デカウサギの身体の方が大きいから、言い負かされてしまうのです。

 

身体で表現することに限界を感じたチビウサギは、距離で表現しようとします。

「きみのこと、このみちをずっといって、かわにとどくぐらい すきだよ」と叫ぶ。

なのに…

「ぼくは、きみのこと、かわをわたって、おかをこえたぐらい、すきだよ」な〜んて、あっさり返されてしまう。

 

もうねむくて、なんにもおもいつかないチビウサギは、

「ぼく、おつきさまにとどくぐらい きみがすき」と言うと、眠ってしまいます。

 

‘「それは、とおくだ」と、デカウサギ。

「それは、とてもとても、とおくだ」

 デカウサギは、チビウサギを木の葉のベッドに、そっとねかせると、かがんでおやすみなさいのキスをした。

 それから、チビウサギのそばによこになり、ほほえみながらささやいた。

「ぼくは、きみのこと、おつきさままでいってーーーかえってくるぐらい、すきだよ」’ 

 




他愛もない、と言ってしまえばそうなんですが。

私はいつの頃からか、現代文の授業開きは『百万回生きたねこ』で、授業の最後はこの『どんなにきみがすきだか あててごらん』で閉じていました。

チビウサギは、いつもいつもデカウサギにかなわないのですが、でも、それでもいいよね、その時にできる精一杯で、というような話をしたような。

でも本当は、そんな「理屈」より、単に「好きだよ」の連発が、なんだか心地良かったような。

 

子どもにもそんなふうに「だあい好き!」と言いたかっただけだったように、1年間を過ごしてきた生徒たちにも単に「あなた方が大好きよ」と言っておしまいにしたかった、ような気がする。

いろんな生徒がいたけど、もちろん、相性の合う合わないもあったでしょうけれど、1年間、いろんな文章を書かせてきて、ひとりひとりの個性がよくわかって、書くことが得意な人も不得意な人も、それぞれに1年間の成長が見られて、いとおしい気持ちになりました。

…そんなことを、この絵本を読み返して思い出しました。

続き
川崎洋の詩
2017/10/03
ないものねだりをしてみても…〜川崎洋の詩「鉛の塀」〜  

10月になりました。

朝夕が随分涼しくなりましたね。

特に朝は、何か上に羽織らないと肌寒いぐらいです。

…というのは、杏樹(アンジー)の朝の散歩で、6時半頃、ご近所を歩いているので。

 

今日は、川崎洋の「鉛の塀」という詩を取り上げようと思います。

「読書への誘い」の第56号で紹介したものです。

続き

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