前回の続きです。
15分の休憩後、「アニマル=クロッシング(Crossing with Animals)」という「ペア・ワーク」を行うことを池見陽氏から提案されました。
「アニ=クロ(アニマル=クロッシング)」とは、どんなものか?
・最近の自分の生きているありさまを振り返って、動物で表す
・たとえば、「私は、荷物を運ぶのに疲れた蟻です。」「私は、アスファルトの道路に出てきたミミズです。」など。
・その動物は、途中で変わってきてもOK!
・また、現実にありえないことでもOK! たとえば、飛ぶはずのないものが空を飛んでいてもいい。
・人格理論を挟み込まないこと。たとえば、「猫が出てきた、ということは、自己愛を表していますね」というような決めつけは、NG。
始めるにあたって、先に「体験過程」の説明がありました。
「体験過程」
「体験」→「表現」→「理解」→「体験」→「表現」→「理解」→「体験」→…
というように、「体験」は「過程」を辿り、どんどん変わっていく。
ぐるぐる回りながら、意味が発生していく。
・人の体験は「からだ的」(=身体性を持っている)
・「実存」はからだで感じられている(ジェンドリンの言葉)(「実存」=私の生きているさま)
・体験には生の可能性が暗示されている。(なぜなら、「感じていることは心のメッセージ」で、人の体験は精密だから。)
ペアになって、15分ずつ。
私は、チーターになって、攻撃するというより防御していました。
襲ってくるものに対して、身を守るために噛み付く、というか。
それから、例に出されたものが引っかかっていたようで、アスファルトに出たミミズになっていました。
アスファルトは熱くて。
「アッチッチ」とぴょんぴょん跳ねながら、ミミズは一旦出てきたら戻ることは出来ないんだよね、と考えていました。
アスファルトには割れ目がないようだけど、でも! アスファルトの割れ目から出てきたのなら、きっとどこかにまた別の割れ目があるハズ、と思って探しました。
あ、あった! とその割れ目めがけて入っていったら、からだは土でぎゅうぎゅう押されていて。
なんか息苦しいなと思って、もっと伸び伸び息したい!と思って。
…飛行機の翼になっていました。
でも…飛行機の翼は動物ではないよね⁉ってことで、う〜ん…と唸っていたら、サバンナのキリンになっていました。
風が耳の横をすり抜けて行きました。
おお!キリンさん! やっぱり好きなものが出てくるんだね、と思っていたら、夕日がどーんと沈み出して。
しばらくぼんやりその夕日が沈むのを眺めてました。
あっと気づいたら、真っ暗で。サバンナの夜は怖くて。
何か襲ってくるかもしれない。
夜でも怖くないのは…と思っていたら、黒猫になっていました。
辺りは暗い中、塀の上をしっぽをピンと立てて、しゃなりしゃなりと歩いていました。
私のアニ=クロはこんな風。
…最初から気づきましたよ。
襲ってくるものに対して防御するために噛み付いている私。
まさしく、母に向かって噛み付いている私。
土の中が不自由で、飛び出した先が焼け付いたアスファルト。
これはまさしく、広島を引き上げて帰ってきた私。
こんなつもりじゃなかった…けど、戻るに戻れない。
アスファルトは熱いから、生存かけて別の割れ目に入ったら、馴染みのある息苦しさ。
飛びたいんだけど、私は翼にはなれない。
…で、私に翼はないから、ゆったりとサバンナを駆けるキリンになっていた。
いい感じ…だったのですが、それも日があるうちみたいで。
雄大な夕日が沈むのを、吸い込まれるように眺めてたというのに、真っ暗になったら怖くてたまらなくて。
サバンナも私の生きる場所ではないようで。
そしたら、街の路地にある塀の上を歩く黒猫になっていて。
一匹、でした。
月が出ていたかどうかはわからない。
でも、程よい薄暗さの中、不安もなく塀の上を、ちょっと気取って歩いていた。
ああ!こんな風に、私は好きな時間に好きな場所にいたいんだ! とわかりました。
いつ、どこで、何をしていてもいい!という感覚。
私は自由なんだ!とふつふつと身体中から笑いが込み上げてくるような感覚。
…久しく忘れていた…。
そう、ね。
まさしく、「最近の私の生きているありさま」。
自分の置かれている状況を、外から眺めることができました。
次回に続きます。
画像は、ここはやっぱり飛行機の翼、で。旭川に飛んだ時のもの。