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生駒市元町2-4-20
  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
幸せをおすそ分け
2022/04/30
至福の大宇陀時間  
「え〜、もう還暦?!」から一年を過ぎ。
さらにひとつ大きくなって。(歳をとって、というのをやめにした。…「ひとつ大きくなった」のよ。)
なんか。ゆっくりと食事がしたくなって。
それで、偶然見つけた、奈良県大宇陀市にある「プルイエ」というお店。
なんでも、営業が金・土・日・月曜のお昼だけ。しかも一日一組のみ!
その名も「正午の会」。12時始まり。

ダメもとで予約をしたら、なんと、29日にキャンセルが出て、空きがあって。

行ってみたら? ということか…と喜んだものの、さて誰と行く?

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人とのつながり
2022/04/23
安曇野の「森のおうち」からの手紙  
昨日、家のポストにちょっと見慣れない透明封筒が入っていて。
ん? あ! 「森のおうち」からだ!

「絵本美術館&コテージ 森のおうち」。
2020年9月に、ひょんなきっかけで訪れた。
とてもとても素敵な絵本美術館で。
その時は、長田弘の詩にいせひでこが挿絵を入れた絵本、『最初の質問』の原画展をやっていた。


一日中いても飽きない空間。
さらには、お泊まりできるコテージまであって。


いつかここにまた来たいなと思って、
その後、宿泊券を買い求めた。
…まあ、その後全くコロナが収束しないので。
そのまま「お預け」状態なんだけど。

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幸せをおすそ分け
2022/04/22
長谷寺の切り絵御朱印  
ボテっと重くて、あまり牡丹の花は好きではないのだけれど。
でも久しぶりに長谷寺に行ってみたくなって、アンジー連れてお出かけした。
カメラ。水筒。帽子。サングラス。アンジーの水筒。抱っこ紐。
そういった類のものは忘れないのに。
いつも忘れるのは「御朱印帳」!

この日も、やっぱり忘れていて。

あーあ。…まあ、直に書いて貰うのではなく、後で紙に書かれた御朱印を貼り付けてもいいのだけれど、ね。

でも、なんとなく「貼り付け」は味気ないなあと思っていたら。

なんと。「切り絵」の御朱印がある、というではありませんか!

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フォーカシング
2022/04/21
私のフォーカシング・レッスン Act2〜私を取り戻す〜筒井優介さんとのフォーカシング(2)〜  
4月19日。つっつんとの、月1回のフォーカシング・デイ。
とても楽しみにしている自分を感じている。

なぜなら。自分の気持ちを言葉にして確認する作業は、他でもやっているけれど。
長い年月を過ごしてきた友人とも違う、歳の離れた友人としての関わりは、また一種独特のもので。
…どちらかというと息子に近い歳の人で。でも息子でも教え子でもなくて。
うーん…なんとも言い難い関係…。

今回は、どの場所でセッションをお願いしよう?
その日に私が思いついたのは、4畳半の小部屋の、しかもロフト!

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フォーカシング
2022/04/19
私のフォーカシング・レッスン(4)〜セラピーの関係様式としてのフォーカシング〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈7〉  

池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。


午後の部に行く前の、私の中で想起されたあれこれを、もう少し。

「内省の必要性を伝えていくこと」
「内省慣れしていないクライエントさんへの対応」という質問に対して、池見先生は「まずその内省するということが大事だということを伝えていく必要があります」と答えられていた。
「ある種の心理教育みたいなことが必要なのかもしれません」とも。

そういうことで言えば、私もルームを開いて3、4年経って、クライエントの在り方がカウンセリングの進み具合に大きく関係することに気づき、それをコラムにまとめたことがある。


…そうか、それが「心理教育」だったんだ…! 腑に落ちた瞬間でした。

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アンジーとの暮らし
2022/04/15
里子に出された「さら」のその後  
そもそもは、我が母が「アンジー、なんぼあんじょうしたげても(いくら大事にしてあげても)、私は2番目や」と、のたもうたところから始まる。
「え? それ、どういう意味?」
「だから、ママが一番で、その次が私」
そりゃそうでしょ。だって私がママなんだから! 
 
生後2ヶ月、手のひらに乗るぐらいの850グラムのアンジーに、ドッグフードをふやかして食べさせたところからアンジーと私との関係は始まる。
…そもそも、緩和ケアに入った父のセラピードッグとして買い求めたのに、その時はアンジーに触れもしなかったのに、さ。
そりゃあ、ママが一番、よね?
それがどうも、我が母はご不満のようで。(我が母は我がママ。) 

「じゃあ、お母さん、自分のワンコ飼えば? そしたら、お母さんが一番、になるよ」
「うん…でもこの歳やし…」
「最後まで面倒見てやれない、ことを心配してるんだったら、最後は私が面倒見るから」

そう。確かに、そんなふうに約束した。
だけど。私は思いもしなかったのだ。
「最後は私が面倒を見る」時期が、子犬を家に迎えて、5日後に来るなんて!

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フォーカシング
2022/04/14
私のフォーカシング・レッスン(4)〜フォーカシングのもうひとつの軸はスペースを取ること〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈6〉  
池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

午後の部に行く前に、先のコラム〈5〉で池見先生の言葉を拾い上げながら、私の中で想起されたあれこれを、少し整理しておきたいと思います。

「人が感じることは、いつも未来志向」
何か不都合な事態が生じた時、意識を持たないものについては過去に原因を求めるけれど、意識を持つ人間の場合は「次はどうであったらいいか、なんとなく知っている」ということを言われていた。
それについて、「今ここの体験から離れて、未来を扱っているような感じがするのですが」という質問も出された。
池見先生は「でもそれは、未来でなくて、今、なんです」と答えられていた。
そう。ね。未来について考えているけど、それを考えているのは「今」。だから、今、ここでの自分のありようを探っている。

で、不都合とか、何か不足を感じるような状況にあるとき、人は、というより生き物は、その「欠けた」部分を補おうと動く、のだろう。
それは、なぜか。

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書の世界
2022/04/13
私の書の時間(1)〜筆先の向きを意識する〜  
あれは…4月3日のこと。
いつものように、夕方、母のマンションに行き、いつものようにテレビの4チャンネルがついていて、その日、法隆寺で揮毫されるイベントのニュースが流れたのでした。
へえーと思って。
書かれた字のライン、私、好きだなと思って。
書道家の名前をフルでは覚えられず。苗字と法隆寺で、ということだけ。

手元にあったタブレットで検索かけると、なんとヒットして。

ふうん。脇田龍峯先生。
あ、書道教室もされているの? どこで、だろう?

そんな風に調べていって。

で、早速メッセンジャーで連絡を取ったのでした。

「初めまして。たまたま4チャンネルのニュースで、法隆寺で大書されているのを見ました。
書道教室をされているということですが、詳細をお聞きしたいです。
私は中学生の時まで書道を習っていましたが、それ以降は全くです。
ですが、墨をするときの香りが好きで、もう一度、初めて見たい気持ちになりました。
お忙しいところ、すみませんが、お返事よろしくお願いします。」

お返事をいただけて、それで早速4月の12日に伺うことになったのでした。

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フォーカシング
2022/04/12
私のフォーカシング・レッスン(4)〜人が感じることは、いつも未来志向〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈5〉  

池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。


午前中に出された質疑に対する応答。

ーー「フォーカシングは身体感覚?」
フォーカシングって、よく「身体感覚」っていうふうに捉えられるけど、身体感覚じゃないんですよ、厳密には。
言葉になってないところ、なんですよ。だから、身体感覚っていうふうに思わない方がいい、と思います。
でも人間の意識は「身体化」されているので、たとえば今も、「海にぷかぷか浮く」みたいな、そういう感覚ってある訳ですよね。
それは「身体の感覚」じゃない、だから胸が苦しい、とかそういうわけじゃないけど、人の意識って必ず身体性を伴っている、というのがジェンドリンの重要なところ

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フォーカシング
2022/04/07
私のフォーカシング・レッスン(4)〜「スペースに生きている」というあり方〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈4〉  
池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

・「クリアリング・ア・スペース」なんですが、「クリアリング・ア・スペース」をやっていて、いろんなことに気づく。実例をひとつ一緒に見ながら、それを僕がどんなふうに考えたかを紹介したい。これはこのクライエントにとっても転機だったと思っているんですが、僕にとっても転機だったかもしれない。ワークショップでやった事例の逐語記録。(『傾聴・心理臨床学 アップデートとフォーカシング』に収録。p.123〜)ー事例の前半省略ー

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フォーカシング
2022/04/04
私のフォーカシング・レッスン(4)〜「念」は今の下に心と書く〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈3〉  
池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

「スペース」が鍵
・今からお話しすることも、今日の「エイジアン・フォーカシング」の中にも、この「スペース」というところがとても大事になってくる。
・「クリアリング・ア・スペース」。それは以前、僕が「間を置く」と訳して、でも関東では「心の空間づくり」と訳していて、日本国内で違う訳があってややこしいので、最近はもうカタカナで「クリアリング・ア・スペース」と言っている。
・心の中は散らかった部屋みたいだと思ってみて、いろんな「気がかり」があるので、それをひとつずつどこかに置いておく。そうすると、ちょっと心の中の部屋が広くなった、と。スッキリしたとか、そういう状態になっていく。
・一度、高野山に行って、高野山の僧侶と仲良くなって話していたら、「悟りを開きたい人は、まず部屋を片付けなさい。」みたいなことを言う。部屋を片付けると、部屋の中が広くなって、スッキリするでしょう、と。それが大事なんだ。だから手始めに部屋を片付けなさい、と。
・僕、聞いていてもう、本当に同感で、ただ、僕らは心の中の部屋を片付ける。いろいろ散らかった部屋があるので、それを一つずつ置いていくように整理していく、と思って、そんなふうに「クリアリング・ア・スペース」をやるんですけれど、タイに行って帰ってきた時に、『アップデートする仏教』という本が出ていると、僧侶の人に教えて貰って、それでこれを読んでみて「これは面白いな。藤田一照さんと山下良道さん、ここに書いてあることは、まさにフォーカシングと同じことになるよね。」と。
・要点は何かというと、「いったい誰が瞑想しているのか」そこがポイント。瞑想しようとか、悟りを開こうとか、思いすぎてそれができない、という実態が書いてある。それはそう。フォーカシングしようと頑張り過ぎるとフォーカシングにならない。それから「空間づくり」をしようと思い過ぎたらできないとか。部屋を綺麗に片付けようと思い過ぎたら、頑張り過ぎたら全然片付かないとか。そういうことがある。

なんか。自分の部屋が散らかっているのは、自分の状態が散らかっている証拠。だから、自分の心を整えようと思うとまず自分の部屋を片付けなさい。
そういうふうに聞いたことあります。なんとなく、そうだろうなと思った記憶があるけれど。
今回私は「僕らは心の中の部屋を片付ける。」という言葉に立ち止まった。
なんというか…確かにカウンセリングというのは、とっ散らかった心の中のものを、ひとつひとつ丁寧に拾い上げて、収めるべき場所に収める作業。
収まりきらないものは、どうしたら「今の居心地悪い状態」を少しでもマシにできるのか、を考えていく営みのような気がする。

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仏教の学び
2022/04/02
理解は心を解放する〜『ブッダの<呼吸>の瞑想』ゆるゆるお茶会〜  
4月1日。
街路樹の桜も満開で。
晴れた空の下、車を東に走らせる。
外環(状線)と呼ばれる道路はアップダウンの激しい道。
緩やかに降りたり登ったりしながら、心弾ませる。
今日は、月一度のお茶会の日。

いつものように、最初にタロットカードを引いてチェックイン。

今日の私は大アルカナの「2 女教皇」だった。

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フォーカシング
2022/04/01
私のフォーカシング・レッスン(4)〜可能性としての「クリアリング・ア・スペース」〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈2〉  

池見陽先生の「Asian Focusing Methods」セミナーの続きです。

 

 

「クリアリング・ア・スペース」

・6つのステップはどんなものか、というのがここに出ているが、ここでジェンドリンの「体験過程理論」で扱っているのは2番目の「フェルトセンス」以降。そこに、「言葉にならない体験」を「フェルトセンス」として、それを表現する言葉を「ハンドル表現」として、一体それは何を伝えているんだろう、何を必要としているんだろう、この感じには何があるだろう、とかそういうことを考えていく、というサイクルがある。これがフォーカシングの中心部分。

・ジェンドリンはどこからか「クリアリング・ア・スペース」という一番目のステップを持ってきた。これは非常に不思議。不思議というのは、本を書く前に論文で発表していることが一般的(そして2から先の「体験過程」のプロセスはたくさん論文がある)。「クリアリング・ア・スペース」については何の論文もなく、いきなり本に登場する。

・しかも、読んでいると、(これは)かなりこなれているやり方。

・ここはフォーカシングの本体部分と異色であって、たとえばフォーカシング指導者のアン・ワイザー・コーネルは、1番目は削除して、本体部分とあまりに違うから、ということでやらない。

・これは一体何かというと、セッションを始める前に、今自分はどんなことが気になっているのか、今どんなことを感じているのか、たとえば、面接に来たクライエントが、話したい話題があって来ているが、来る途中で電車に遅れたことでドキドキしている、そして1日のスケジュールが狂ったことにイライラしている、そういう気持ちを持って来てしまっているので、ちょっとイライラを横に置いといて、その他にどんな気持ちがあるのか、一旦、前に並べて、それらからちょっと距離を置いて、そこから一つ気がかりを選んで進んでいきましょう、とこういうようなステップ。

・おそらくこれは現象学の「エポケー」みたいな意味があるんだろうと思うが、しかし、理論の説明はなく「クリアリング・ア・スペース」が紹介されている。

・日本にこれが入って来たときに、ここが一番、日本人には分かりやすかった部分がある。

                                                                   
※エポケー…エポケーは現象学の用語で、判断中止の意味。事実についての判断を差し控え、事実をあるがままに受け入れることをいう。フッサールママ)世界がそれ自体で実在するという日常的な自然的態度を反省し、世界の実在についての判断を括弧に入れて停止し、自我の純粋な意識の領域を取り出す方法論。
古代の懐疑主義者ピュロンは、ものごとを見あやまる誤謬の根源は「・・・である」と断定してしまう判断(エポケー)にあり、人間の心の動揺もそこから生まれてくると考えた。誤謬を避けて心の平静を保つためには、何ごとについても判断をさしひかえなければならない。ピュロンは「いかに生きるべきか」という意味合いが強かったが、フッサールはここから着想を得た。
フッサールはピュロンの懐疑論を借りて現象学的考察の基本方法においた。日常生活において自明なことのように思われている事実も誤謬が生まれるかもしれない。フッサールは、世界とその中にある存在者は、自分の経験にかかわりなく、それ自体で存在しているということでさえ、あえて反省の目を向け、エポケー(判断中止)することから、その思索を始めた。
フッサールは、事実を無批判に断定してしまう態度を自然的態度とよぶ。日常生活において暗黙のうちに前提されているこの態度を主題化し、哲学的な反省を加えるためには、自然的態度をいったん留保して、そこから距離をとらねばならない。このような意図のために方法上の手続きとして現象学的エポケーを用いた。 (Hitopediahttps://hitopedia.net › 人文科学)
 
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フォーカシング
2022/04/01
私のフォーカシング・レッスン(4)〜フォーカシングとは言葉にしていく過程での意味の形成〜池見陽先生のエイジアン・フォーカシング・メソッヅ〈1〉  
2022年3月19日。オンラインでのセミナー。
セミナーがあることに気づくのが遅くて、申し込みがギリギリになったこともあって、ろくに案内も読まずに申し込んだものだから。
…「エイジアン・フォーカシング」って何? ということも理解しないままで。
勝手に「age」(年齢)に関係するのかな? なんてぼんやり考えていただけで、セミナー当日を迎えてしまった。

今回、「Asian Focusing  Methods」と池見先生の命名されたものについて、話された言葉を拾っていきます。(小見出しは私がつけたもの)

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カウンセリングルーム 沙羅Sara

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電話番号:090-7594-0428

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定休日 :不定休

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