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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
教育
2017/05/31
公平であるということ  

今年の2月から1週間に一度、生駒市立俵口小学校に行っています。

3、4時間目にカウンセラー室で待機して、ちょっとしんどくなった児童に関わるのです。

昨日は初めてMちゃんに会いました。

 

先週お休みで、やっと学校に来たのはいいけれど、教室に入りづらいようで朝から保健室にいたらしい。

保健室の先生に連れられてカウンセラー室にやって来ました。

図工の道具を持って来て、授業課題をやり始めました。…ホント真面目。

 

描いているのが、デザインみたいに見えて、「アクセサリーのデザインみたいね」と言ったら、お母さんが昔、そういうお仕事されていたようで、今でもお家で一緒に作ったりするそうな。

 

子どものやっていることをじっと見ていると、何か、その子のこだわりが見えてきて、それがその子との「関わり」の入り口になるのですけれど、なかなかそういった「穏やかな時間」は、自分の子どもには持てなかったなあと思います。

自分の抱えている「問題」は横に置いておいて…という気持ちにならないといけないものですから。

一言で言えば「心の余裕」です。

 

あれをやって、これをやって、と時間に追われていると「心の余裕」は持てないですね。

頭は次の段取りで一杯で、目の前の子どもに寄り添えない。

…申し訳なかったなあと思いながら、私は今の「目の前の子ども」には、無心でそばにいるように心掛けています。

そうすると、いろんなものが見えてくる。

 

先週は熱中症気味でお休みだったということだけど、確かに身体に熱がこもりそうな体質に見えるなあ…私と一緒で。

でも「やらなきゃ!」の気持ちは強いんだなあ。これまた私と一緒で。気持ちが先走って、身体がついていかない状況? …うん、そうみたい…。

 

午後からのプール掃除も、参加しなきゃと思っているらしい。

でも、担任の先生は、「体調が悪いから休んだんだし、体調が悪いから教室に来れないんだから、プール掃除も無理でしょ?」と。

確かに、ね。気温も30℃超えで、日差しも強そうだ。

 

だけど保健室の先生は「まあ、本人に言ってもやるって聞かないから、やらしてみたら? でないと、また明日、学校に来れないかもよ」と担任の先生にアドバイス。

担任の先生は、ちょっと納得いかない様子だったらしい。…それはワガママではないの? と。

 

まあ、ね。担任の先生の気持ちもよくわかる。私も長いこと「どの子にも公平でないと」と思っていたので。

でもある時、生育過程も違って、感じ方も違って、抱えている問題も違うのだから、…つまりは「出発点」が同じでないのだから、「もう、今までのようにやっていけない!」と悲鳴あげてる子どもには、「皆がやっていること」をそのまま強要するのは、酷な気がした。

 

他の子の対応と違っていいのかもしれない…。

いや、むしろ、違えないといけないのかもしれない…。

 

「悲鳴」を聞くには、こちらの「心の余裕」が要りますね。

 

…今度行くときには、ちょっと、担任の先生と話をしよう。

「…うう〜、なんか、気持ちがモヤモヤする〜」と保健室の先生に言われていたそうだから。

私もそうだった、と。

でも、「悲鳴上げている子には、それが必要」なのだ、と。

私は自分の子どもの悲鳴を聞き逃して、苦しんだ、と。

今でも…自分の子どもには、申し訳なかったという思いがある、と。

 

画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ご近所の玄関先の置物。



絵本の世界
2017/05/30
考えるアタマが生み出すもの〜ヨシタケシンスケ作『りんごかもしれない』〜  
今朝は、ちょっと異色の絵本を紹介します。
表紙絵もなんだかごちゃごちゃしていて、一体何の絵本? という感じ。
ページをめくると…


イラスト風に、1人の男の子が出てきます。
「あるひ がっこうから かえってくると……テーブルの うえに りんごが おいてあった。
……でも……もしかしたら これは りんごじゃないのかもしれない。」

ん? どういうこと? と思ってページを繰ると…


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詩の世界
2017/05/29
心慰める音〜丸山薫の詩「風」〜  
今朝は、丸山薫の詩を。「読書への誘い」第42号で紹介したものです。
同じ題名の詩でも、見事に全く違います。

続き
詩の世界
2017/05/28
私は私の帰るところ〜高橋順子の詩「風」〜  
今朝は高橋順子の「風」という詩を。「読書への誘い」第39号で紹介したものです。

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仕事
2017/05/26
「情報がないことが情報」(『プチ哲学』文と絵 佐藤雅彦)  
10年ぐらい前の高校1年生対象の、桐原書店の「国語総合」の教科書だったと記憶しています。
表紙の裏に、イラストと、文字が印刷されていて、「問いの投げかけ」だけがあって何の解説もないのがありました。
出典が佐藤雅彦『プチ哲学』とあったので、後日買い求めたものが、今、手元にあります。






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セミナー
2017/05/25
志師塾塾長  五十嵐和也さんに会う  
昨夜は、志師塾塾長である五十嵐和也さんの「影響力セミナー」に参加しました。
既にfacebookで「お友だち」ではあったのですが、「生五十嵐」さんは、とにかくでかくてビックリ! 


まずは、五十嵐さんの経歴紹介から始まりました。
中小企業を営む父の59歳の時に生まれ、経営の難しさを見ながら育ち、大学卒業後、23歳でNECに就職して東京に出る。
25歳で「中小企業診断士」の資格を取り、29歳で独立。
独立早々、会社を立ち上げた他の2人とケンカして、1人になり、1500万円で受注予定の仕事を1ヶ月前倒しで引き受けるも、正式契約ならず…。
ホント、試練に次ぐ試練、ですね。

でも、その時の「先輩」のアドバイスがすごい。
「独立した全ての起業家に起こること、それは『問題』。
でも、うまくいってる起業家は、その『問題』をプラスに捉える。
だから、何が起きても『チャンス!』と言え!」と。

それにしても、そういってくれる「先輩」を持っていたのは、五十嵐さんのそれまでの生き方に依るのでしょうね。

そして、うまくいってる起業家は、「影響力を持っている人」が多い、と、ここで「テーマ」に繋がるわけです。

五十嵐さんの定義では「影響力とは、思考・感情・行動に対して、何らかの変化を与える人」。

志師塾の「成果の出る人に共通する3つの行動指針」の1つ目「志宣言」の「志」と「夢」との違いも語られました。
「夢」は、本人がいなくなったら、なくなるもの。
「志」は、本人がいなくなったら、誰かが引き継ぐもの。…なんか、いいですねえ…。

私が、一番心に残ったのは、「影響力はコミュニケーションから生まれるが、そのコミュニケーションは『話す』『聴く』。
(聞くではなく、聴く、という字を用いるのは、きちんと相手に向き合って、集中して、ということですね。)
そして、「『話す』のにはスキルが必要、『聴く』のは器が必要」だと。…器、ですか…。確かに。
これは、心に刺さりました。…はい、母のオチが見えない話も、もう少し聴いてあげるように心掛けます。

次に心に残ったのは、「何を言うか、より、誰が言うか」。
つまりは信頼関係が構築できないと、まるで聞いてもらえない、のですね。
だから、「生き方で見本を示す」、つまりは、どれだけ自分を語れるか、なのですね。それも、自分の志を。
そうか! それで、昨日のセミナーの半分以上が、「五十嵐、自らの志を語る」だったのですね! …なるほど。

でも、まさかのグループワーク有りの、ちょっと緊張するセミナーではありました。

そうそう、もうひとつ。「誰かのせいにした問題は解決しない」ということと、「どういう基準で自分を評価するかの軸を決めておく」ということ。これも、とても大切ですね。

私の「行動指針」もとりあえず作れました。
・思い立ったら吉日。すぐに実行。
・トライ&エラー とにかくやってみる
・うまくいかなかったら、原因を探って次に生かす
・楽しんでやる
・自分の好奇心を否定しない
 
…まあ、そのまんまの私、ですけれど。
シェアしあった、グループの人のでいいなと思ったのは、「失ったものを数えない」。…確かに、これは大事。…同い年の方でしたね、これを出されたの。
 
あっという間の2時間でした。

画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ご近所のテッセン。大輪の花が、五十嵐さんにピッタリです。

宇多田ヒカル
2017/05/24
宇多田ヒカル❤Love (5)  
宇多田ヒカルの最新アルバム「Fantôme」の10曲め(最後から2番目)は「人生最高の日」という作品なんですが、

    どんどん君に恋する
    もう止まんない  もう止まんない
    シェイクスピアだって驚きの展開
    That’s life

という詞が、元気なリズムに乗って始まります。
この歌で、え? と思ったのが

    一寸先が闇なら  二寸先は明るい未来

という「開き方」です。

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絵本の世界
2017/05/23
選択肢がいっぱいあっても…〜『ねえ、どれがいい』〜  
ジョン・バーニンガムの1978年の作品『WOULD YOU RATHER』を、まつかわまゆみ訳で評論社から1983年に初版が発行されています。持っているのは1997年の13刷のものです。

「もしもだよ、」という問いかけのページがあって、



選択肢が示されます。

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吉原幸子の詩
2017/05/22
言葉が作る溝〜吉原幸子の詩「ふと」〜  
今朝はちょっと、最近の自分自身の「気がかり」に向き合ってみたいと思います。吉原幸子の詩「ふと」。「読書への誘い」第45号で紹介したものです。

続き
セミナー
2017/05/21
夏井いつきの俳句ライブ〜今日からあなたも俳人です〜  
NHK文化センター梅田教室で、「夏井いつきの俳句ライブ」が行われるというので、ちょっと行ってみました。
夏井いつきさんはTBS系の「プレバト!!」の俳句コーナーを担当されている方です。
テレビでは着物姿なので、今日もそうかと思ってましたら、違いました。
普段は着物をお召しにならず、着物はスタジオが用意した「俳人コスチューム」だそうです。

まあ、テレビで見る「毒舌」はちょっと抑え気味ではありましたけど、でも、お元気でいらっしゃいました。
最近還暦を迎えられたそうで、ビックリ! (もう少しお年を召した方かと思ってました…)
追っかけファンの方が、「祝還暦」の横断幕を作って来られていました。
…まあ、群馬から新幹線で来たという親子もいらっしゃいましたから。(凄いですね。)

さて、どんな風に2時間の講座が始まるのかと思ってましたら、まずは、自己紹介。
30年間俳句普及に努めて来られたそうで、松山に住んでいらして、「松山大使」をされているそうです。
関わって来られた「俳句甲子園」も今年で20周年を迎えるそうです。
「人によって考え方はいろいろでしょうけれど…」と前置きされながら、ご自分は俳句人口の裾野を広げることを目指して来た、と。

NHKの「俳句王国」に出演されていたそうですが、それがきっかけで3年半前に「プレバト」に出演依頼が来て、1回限りだったはずが連続となり、今に至っている、のだそうです。
この3年半、どうしても先約があって断った1回を除いて、毎週ご出演だそうです。
あと、毎週木曜日に帝塚山学院大学での講義があるとか。客員教授をなさっているとのこと。

次に、会場参加者のリサーチ。
俳句経験の有無を手を挙げて意思表示確認をされました。きちんとなぜリサーチするのかの説明もされましたよ。
それによって、どこから解説するかを考えられるそうで、「だって、講座料払って、なんだ、あの程度かって不満が出てはいけないでしょう?」だそうです。

「俳句を作ろう!虎の巻」というプリント1枚と、「便利な5音の季語集」というプリント1枚の資料が予め椅子の上に置いてありました。私は、開場の5分前に行ったのですが、既に整理番号は151。会場参加者は230ぐらいだったでしょうか。

俳句の約束事として
  ①  5・7・5のリズム
  ②  季語を入れる

がプリントに示され、さらに俳句の作り方には「一物(いちぶつ)仕立て」と「取り合わせ」があり、例を出しての説明がありました。

  ◯ 一物仕立て…「白藤やゆりやみしかば薄緑」
  ◯ 取り合わせ…「しら藤や奈良は久しき宮造り」

「一物仕立て」で作られる俳句は約3、4%、「取り合わせ」で作られる俳句は約80%だそうです。
「一物」はこの場合「白藤」で、とことん観察しないと新しい発見に至らないから難しいらしい。
「取り合わせ」は起こっている出来事を拾い集め、例の俳句でいうと、「藤」だけでなく「奈良」や「宮造り」を出し、「久しき」という時間情報まで出して作り上げている、ということ。

で、示された作り方手順は次のとおり。
   ①  自分だけが見つけたモノ、景色、人、それらの様子などの「俳句の種」をまず作る
   ②  季語以外の12音に整える
   ③ 「俳句の種」に似合っている5音の季語を、季語集から選んでくっつけて、完成!

…まあ、わかりやすいけどね。でも、5分で作れって、ちょっと無理。
予め作って来てたらいけないから、とテーマを出され、それは「OK」。
ありがとう、大丈夫だよ、のOKでもいいし、大丈夫? ホントにいいの?のOK?でもいい、とのことでした。

でも、作れる人はいるんですねえ。入賞上位作品は次の三句。
・のみ込みの辛そうな母花衣
・水温(みずぬる)むやっと見つけた居場所かな
・ひらひらと笑ふ人ゐて豆の花

「花衣」というのは、花見に出かける「お出掛け着物」を指すそうなのですが、作られた人はよくわからないまま、この季語を選ばれたそうです。(作者を伏せて選考されるのですが、その後ご本人が立って名前と想いを発表される形でした。)
介護をされていて、もう飲み込みが辛くなって来た母を見ていて、昨年は花見に行けたのになあ…という思いが湧き起こってきたそうです。時間が交差するのが上手いですね。

2句目の方は、親に虐待されて育ち、逃げるようにして結婚したけれど、夫の暴力が絶えず、やっと離婚して、人生の半ばを過ぎて今、優しい人と再婚して感じる幸せを詠みました、という人生を語られました。…確かに「人生を共有する」俳句、ですね。

3句目は、ご自分を題材にしたそうなのですが、「ケラケラ」と自分は笑うけど、「ひらひら」と笑えたらいいな、と理想を詠まれたそうな。「豆の花」の薄い花びらの風になびく様子と穏やかな笑いが「ひらひら」に表現されているようで、上手いなあと思いました。夏井さんは「豆の花」が慎ましやかな花であるのがまた、いい、と言われていました。

俳句も面白いですね。ちょっとハマりそうです。

画像は杏樹(アンジー)との朝の散歩で見つけたご近所のディモルフォセカ。


幸せをおすそ分け
2017/05/20
同級生と「はじめまして」のランチ  
昨日は、フェイスブックつながりで高校の同級生の、歌川剛さんに初めて会いました。…変な表現ですね。
でも、歌川さんは理系だったので、そして、理系の友人は高1の時のクラスメートぐらいなので、全く接点がなく、本物(!)の同級生とのランチに呼んでもらった、というもの。

いやあ…やっぱり「初めまして」でした。「全く」記憶がなく、ご本人も、ご友人も、私のこともご存知なくて、同級生ながら、近況、というより概況報告となりました。…まあ、よろしいですけれど。

歌川さんは、4年前に会社を辞めて北海道に移住した人です。
北海道で住むことは以前から考えていて、定年後かなあと思っていたそうなのですが、何か、会社勤めの先行きの閉塞感と、それから、「定年後だったら、エネルギーが残ってない気がして」思い立ったそうです。
介護のために仕事を辞めてらした連れ合いさんの、ご両親が亡くなったこともきっかけとなったといいます。

いろんなタイミングで、「その時期」って来るのですね。…なんだろう…変わり目。潮目。

それにしても、何も考えていなかったら来ないでしょうけれど。
何か、本当に望んでいたら、「その時」が来るのですね。
それは私も経験済みで、大学院進学も、10年待ちました。
大学出てすぐはダメでしたが、10年経って、チャンスは訪れました。
そして、大学出てすぐより、もっとずっと豊かな大学院生生活が送れました。

諦めないこと。本当に望むなら。

歌川さんの「物事の決め方」っていいなあと思いました。
北海道も広いけど、どうして、今の場所なの? って聞いたら、
「気に入った家がそこだった、というので決めた。仕事がどう、バス停からの距離がどう、近所がどう、ってあれこれ考え出したら、動けなくなる気がして。動かない言い訳を作る気がして、嫌だった。」と。
ふう〜ん…そういう決め方したんだね。

そうね。半世紀過ぎて、未知な場所に動くって、相当エネルギー要るよね。
でも、なんだろう…私は広島に残るか、奈良に帰るかという選択肢しか立てなかったけど、第3の、全く別な場所で人生を送るっていう選択もあるんだ!というのは非常な驚きでした。…しかも北海道!

しかも!歌川さんは長男だというのです。ご両親は弟さんに任せたと。10歳年下の弟さんだそうです。
あれやこれや、もっといろんな事情があるのでしょうけれど。
でも、みんなにとっていいことなら、それでいいんですよね。

ああ、もっと私も自由に生きていいのかもしれない…まだまだ「枠」が私にはあるのではないか、という問いを、歌川さんとの出会いで、いただいた気がします。…ありがとう。

画像は昨日の朝、霊山寺に出かけて撮った薔薇。満開でした。薔薇のお祭りが明日5月21日、日曜日午後から行われるそうです。

仕事
2017/05/19
白庭台幼稚園での保育観察  
昨日の午後は、白庭台幼稚園に行く日でした。保育観察は年中さんクラスでした。保育観察時に、園児のひとりが「誰のお母さん?」から始まって、あれこれ言っていましたが、「あ、おばあちゃんの手だ!」には参りました。
…はい、長年何の手入れもしてこなかったので、車に乗るときも日焼けの防御もしなかったので、私の手の甲は、シミとシワでいっぱいです…。

まあ、でも年齢的にも、この子たちのおばあちゃん世代かもしれない…。私の子どもは大学生ですけど、産むのが遅かったものね。
それにしても、何? ごにょごにょと擦り寄ってきて、膝の上に座ろうとするのは!
続き
ボイスアート
2017/05/18
ボイスアートでの「死ぬ前の過ごし方と望むお葬式」レッスン  
昨日は1ヶ月ぶりに、まやはるこ先生のボイスアートのレッスンを受けに、梅田まで行きました。
「あれこれ、楽しそうにしているね」とお声をかけていただいて、この前の週末の「シニアライフカウンセラー養成講座」の話となりました。
他の受講生から「それは何?」と聞かれたので、簡単に説明する中で、「エンディングノート」の話となりました。

「エンディングノートも、一番大切なことは、遺された家族のためというより、それを書くことで、今生きている自分が、残りの人生をどう生きたいかを見直すこと。書いた時点での自分の人生がそこに表されているわけで、だから、何度書き直してもいいし、むしろ書き直す度に、自分の人生が明確になる、ということ。」と言われました。

「じゃあ、今日はそのテーマで、あれこれ考えてみましょうか?」と言われ、先生の誘導で、どんどん齢を重ねていくことをイメージしました。

「死ぬ1年前は、あなたは何をしていますか? 旅行していますか? 家にいますか? 誰と一緒? 自分が死ぬことを意識していますか?」

私は、旅行している気がしました。誰か、友達に会いに。まだ、死期が迫っていることをそんなに意識していません。ただ、ぼんやりと感じている、かな。

「死ぬ半年前になりました。あなたは何をしていますか?」

私は、そろそろ自分が死ぬことを悟り、身辺整理を始めます。

「死ぬ1ヶ月前。あなたは何をしていますか?」

私は、もうベッドに横になり、あれやこれや自分の人生を振り返りながら、眠ることの多い毎日。…そう、病院にいる気はしません。父が在宅で亡くなったので、自分もそれがいいと思っていることに、気がつきました。
父は在宅で緩和医療を受けました。だから、苦しまなかった、と母は言います。母もそういう風なのがいいと思っている様子…。

…そうか、父はこんな死に方もある、と見せてくれたんだ…。病院で亡くならなくてもいい方法。前日まで、自分で自分の朝食の準備をして、ホント眠るように…。…ありがとう。

「あなたは死にました。どんなお葬式をしたいですか?」

私は基本、自分のお墓は要らないと思っています。以前からそう思っていて、20年近く前に両親が墓地を買った時にもぽろっとそう言ってしまって、不評を買いましたが。でも、その考えは変わっていません。

でも、父はよく、悩んだら墓に参ったそうです。まあ、父にとっては「よりしろ」だったのですね。だから、両親の墓を欲しがる気持ちは理解しています。けれど、私自身は、あまり必要ない。仏壇だけでいいような。…いや、仏壇も要らないかもしれない。写真は1枚欲しいかな。そんなに大きくなくていい。

だから、子どもが私の墓を欲しがらなかったら、散骨でいいと思っています。…二上山(ふたかみやま)がいいなあ…。散骨も海は怖いので、嫌。

それより樹木葬がいいな。木の養分にでもなれたら、それがいい。

妄想はどんどん膨らんで…。「はい。では、少しずつ今の自分に戻ってきましょうか…」の声掛けで、レッスン会場に戻ってきました。みんなでシェアして、なんか楽しい時間となりました。

画像は杏樹(アンジー)との朝の散歩で見つけた、近所の薔薇。そろそろ薔薇があちらこちらで咲き始めました。

詩の世界
2017/05/17
塀の上を気ままに散歩〜佐伯祥の詩「猫」〜  
今朝は、ちょっと長い詩を。「読書への誘い」第46号で紹介したものです。
続き
セミナー
2017/05/16
シニアライフカウンセラー養成講座<初級>(3)  
前回の「初級講座B」の続きです。
第3講は「高齢者の住まい」。今年3月まで施設長をされていた福村拓良さんのお話です。
なぜ、高齢者の住まい探しが難しいかというと、「保証人の問題」「金銭面の問題」「情報源の問題」があると、テキストにありました。

主な老人ホームの種類と特徴は次のとおりです。
◯特別養護老人ホーム(特養)…〈要介護3〜5〉65歳以上で、常時介護が必要で、在宅で介護を受けるのが困難な人。全国での待機者は36万人。
◯介護老人福祉施設(老健)…〈要介護1〜5〉病状が安定しており、入院の必要はないが、看護や介護、リハビリを必要とする人。3ヶ月ごとに退所または入所継続の判定が行われる。
◯介護療養型医療施設…〈要介護1〜5〉病状は安定しているが、常時医療的な管理が必要な人。
以上3つが「介護療養型三施設」と呼ばれるもの。

◯軽費老人ホームケアハウスA型・B型…低額な料金で、居宅においての生活が困難な人を入所させる施設。生活相談・入浴サービス・食事サービスの提供を行い、車椅子も可。B型は自炊が原則。
◯グループホーム…認知症の高齢者が少人数(5〜9人)で居住・生活し、食事の支度や掃除・洗濯などを職員と共同で行う施設。
◯有料老人ホーム(介護付・住宅型)…ホームの職員が介護保険のサービスを提供する「介護付き」と介護サービスを提供せず、入居者が自ら外部の介護サービス業者と契約する「住宅型」がある。入居に際し、一時金が必要。
◯サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)…居室内は25㎡以上でバリアフリー、トイレ・洗面施設を備えなければならず、安否確認と生活相談が義務付けられている。契約は「賃貸借契約」。サービスは、別途介護保険料がかかることもあり、要注意。

福村さんの用意された資料には「ざくっと目安  介護の度合いとサービスの性格」と称した、介護の度合いによる老人ホームの選び方が図で示されたものもあって、非常に分かりやすかったです。
他には「介護の度合いと費用(予算)」の図もあり、「ホーム選びのチェックリスト」まであって、さすが、施設長をされてきた方だなあと思いました。

第4講は「整理収納・片づけ」。整理収納アドバイザー・認定カラーリストの出原好(いずはらよしみ)さんのお話。
「整理はお片づけではない」という話から始まり、「整理とは不必要なものを取り除くこと」=断捨離であるとのこと。
「いつか使うかも…」「まだ使える」「まだ使い切っていない」から捨てられない。
でもそれにとらわれず「使っている・使い道がある」かどうかで判断する、ということ。

「1、出して  2、分けて  3、収める」…この3行程だそうです。
持ち物全部を出して、「使っている・使い道がある」かどうかで仕分けして、必要なものを収納する…ということらしい。

モノの数は暮らす年数に比例して増えるので、理想は子どもの独立を期に減り、老後に向かって減るのが理想、だそうです。

そのために何より大切なのは「目的を設定する」こと。
どんな暮らしがしたいのか、どんな部屋にしたいのか。
それには、「いつ・誰が・どんな目的で使うモノか?」がポイントになる、と。

整理整頓の効果は次の5点。
  1 時間的効果…探し物をする時間がなくなる
  2 経済的効果…二度買いや備蓄の持ちすぎを防ぐ、引越しやリフォーム時にも荷物が少なくて安価
  3 精神的効果…スッキリ感や爽快感。人も呼べる。
  4 空間的効果…居心地のいいくつろぎ空間、車椅子が必要となった時の十分なスペース
  5 健康や介護に関する効果…ケガの予防にもなる

整理収納の5つの手順
  1 物を持ち続ける基準を作り、自覚を持つ
  2 不要なものを、勇気を持って処分する
  3 収納のための定位置を決める
  4 収納方法を決める
  5 収納空間の維持と管理をする

時間の経過による書類の使用率は、NAREMCO(アメリカ記録管理を協議会)の統計によると、6ヶ月以上経過で使用率10%以下、1年以上経過で1%以下の使用率となるそうです。「1年以上使用相手いないものは、『過去において使っていないものであり、今後も使い予定がないもの』と判断してよい」とテキストにありました。

他人に整理収納をすすめる時の注意点は「否定しない」だそうです。前向きな声かけで心を動かしてください、と言われました。

第5講は「代表的な葬儀トラブルとその防止法」。葬祭ディレクターの井上康孝さんの話。
前日に縦横無尽なお話を繰り広げられたので、指名もバンバンあったので、当てられないか、ちょっとドキドキでした。
トラブルは、やっぱりお金。

葬儀屋のいいなりにならないこと、複数人で葬儀屋と話をすること、だそうです。
いいなりにならないためのあれこれを教えていただきました。
たとえば、祭壇にも「白木」で8段階、「花」で15段階のランクづけがあるそうな。…びっくり! 全部で23段階ですね。

固定費として祭壇、お寺さん、寝台車(病院から連れて帰る)・霊柩車(火葬場へ連れて行く)があり、通夜供養として渡す品も、段々である、と。

できれば、見積もりを2、3社取ること。簡単に値引きするところはアブナイ。
セット料金になっているところは、そのセット内容を確認すること。
病院が勧めたところはダメ。
玄関、トイレが綺麗な葬儀社がいいけれど、それには事前に見ておかないといけない。 ということだそうです。

その後、20分の認定試験があり、終了。「中級講座」を受けに7月、旭川に飛びます。

画像は「ひろしま美術館」内のカフェの精算書入れ。ネコ付き。



セミナー
2017/05/15
シニアライフカウンセラー養成講座<初級>(2)  
「初級講座B」の第1講は、「終活」から始まりました。(有)キャリアプラン 代表取締役の大田晶子さんが講師です。特定社会保険労務士と、精神保険福祉士の資格をお持ちの方でした。
ご自身のご両親を見送られた経験をもとに、「就活とは何か」「公正証書とはどんなもので、どのように作成すればいいのか」「財産管理・整理の進め方」終末期医療への備えに必要なもの」という内容をお話しいただきました。

終活とは「『自分が死ぬまでのこと』と『自分が死んだ後のこと』の準備を意味します」とのことで、この言葉が広まったのは、2012(平成24)年に41歳で亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、「生前から自分の通夜や葬儀・告別式、墓の準備を決め、人生の最期を自分の望むように自分で準備して話題となったため」。(テキストからの引用)

大田さん独自の資料として、この金子哲雄さんの「相談していた医師への最後のメール」や、葬儀に用意された挨拶文など、その具体を知ることができました。(その他、大田さん独自の資料は、テキストに書かれていることの具体を示すもので構成されていて、内容を深めることができました。)

財産の管理については「整理することと、家族の共有の認識が必要」とのことでした。パソコン関連で、目に見えないものの整理にも注意を向けることを言われました。パソコンについては、平成15年から市町村回収からメーカー回収・リサイクルに変わったこと、パソコン以外の家電では、どのように定められているかの確認もありました。…この辺りのテキストの構成内容に、「非常に親切にできている」と感じました。…まあ、テキスト全編にその「親切心」が溢れているのですけれど、改めて感じた次第です。

テキストの終末期医療の項には愛知県半田市のホームページの「私の事前指示書」や日本尊厳死協会の「宣言書(リビング・ウィル)」そのものが載せられていて、さらにどのようにしてこの宣言書を登録するかまでを丁寧に説明されていて、感服しました。「ただし、医療現場では医師の判断も尊重されることから、実現されない場合もあります。」との但し書きも添えられていました。

大田さんの資料では、「尊厳死海外事情」として、カナダ・ケベック州の事例、カリフィルニア州の事例、台湾や韓国の事例まで挙げられていました。

第2講は「認知症あれこれ」と題する、寿指圧鍼灸院 院長の嘉内 寿(かない ひさし)さんのお話。脳の図を用意されて、ものの認識がどのように行われるか等の解説があり、「認知症とは、いったん獲得した知的能力(記憶・思考・判断)が脳の障がいにより持続的に低下し、物忘れなどによって、日常的に支障を来すようになった病的な状態」であるという定義に落とし込んで行かれました。(「障がい」という表示に、きちんと認識されているんだなあと感動しました。)

独自資料の中の「認知症を理解しましょう」の項に
  ◯ 認知症を病気として正しく理解する
  ◯ 認知症高齢者にも心の葛藤が有ることを理解する
  ◯ まず、認知症を知る事から適切な対応を学ぶ
とありました。この3項目が大切な事だと思います。

必ず見られる症状を「中核症状」と言い、主には「記憶障がい」と「見当識障がい」があるようです。記憶障がいのメカニズムを独自資料で説明されたのですが、これも非常にわかりやすかった。結局のところは、「自分が充実していた、輝いていた時代の記憶が根強く残る」とのことです。

過去に生きることで自分を守っているのでしょうか? …ということは、常に新しいことにチャレンジし、楽しんでいれば認知症にならないのかなあ?とふと思ってしまいました。でも、認知症の半分はアルツハイマー型だそうですから、脳の神経細胞の変性によって脳が萎縮するのですね。…いやいや、まだ私自身「病気」認識が足りないことが露呈しました。

周辺症状(すべての人に共通して現れず、個人差があるもの)として「もの盗られ妄想」の解説が非常に分かりやすかったです。「中核症状」として記憶障がいを起こし、大事なものをいつもと違う場所にしまい、その場所を忘れてしまいます。自立心が強い性格から「自分が忘れるわけはない」と思い、「息子が通帳を盗った」だの「妻が印鑑を隠した」だのという妄想に発展するのだというのです。ここで大事なことは、「憎いからではなくて、記憶に残っている人が、ふだんよく接している人」だからということなんだそうです。このことをわかっていると、疑われた子どもや配偶者、お嫁さんは救われますね。それにしても、こういうことは、普段から認知症の方と接しているから出てくる言葉だと感じ入りました。

長くなりすぎました。続きは次回に。画像はミリアムの台所から撮ったもの。

セミナー
2017/05/14
シニアライフカウンセラー養成講座<初級>(1)  
この週末は「シニアライフカウンセラー養成講座」の受講に、神戸・三宮まで通っています。「一般社団法人シニアライフサポート協会」が主催しているものです。「自分自身のシニアライフの準備が整えられ、家族や身近な人へのアドバイスも可能になる」とパンフレットにあります。

「具体的には、高齢者の住まい、不用品処分、不動産処分、遺言、相続、後見人、医療、介護、在宅支援、生きがい支援、就労支援、税務、保険、葬送仏事支援、お墓、遺品整理のことなど、高齢者が抱えている様々な困りごとや悩みを総合的にサポートし、解決へと導いていくのがシニアライフカウンセラーの役割」とも。

昨日は「初級講座A」として、まずは協会理事の小番一弘(こつがい かずひろ)さんから「超高齢社会の将来展望」についての講義。

総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を「高齢化率」といい、高齢化率が7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」ということ、日本は2007年に「超高齢社会」に入ったこと、諸外国に比べて、日本の高齢化のスピードが速いこと、それらは高校で小論文の指導にあたっていましたから知っていました。2025年には団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)に達することにより、介護・医療費等の社会保障費の急増が懸念されるという、いわゆる「2025年問題」も知っていました。ですが、「1人の若者が1人の高齢者を支える社会となる」という「2050年問題」は知りませんでした。…まあ、生きてないような気もするのですが、微妙ですね。

あと、平均寿命と健康寿命の差が約10年あることも知りませんでした。…ふう〜ん…。

次の講義は「介護保険」について。介護施設の施設長をされていた方からの講義。介護認定は「要支援」の場合は「地域包括支援センター」で、「要介護」の場合は「居宅介護認定は支援事業所」で、というのを初めて知りました。
介護保険利用者の負担割合も、原則1割負担ですが、一定以上の所得がある場合2割負担であることも初耳。

この介護保険制度は3年に一度法改定されるそうで、2015年に改定なったので、次回は2018年だそう。…高齢化の状況変化に対応させるわけですね。…ということは、今の介護保険適応が、どんどん外されていく可能性もあるということです。…う〜ん…。

午後からは「相続」の話。大阪市浪速区で事務所を構えていらっしゃる松田一郎さんから。司法書士、土地家屋調査士、CFP(フィナンシャルプランナー)でいらっしゃるそうです。
私は3年前に父を亡くし、その後の手続きのあれこれがあったので、総ざらいのようでわかりやすかったです。ですが…初めて聞かれる方は、この時間だけでは盛りだくさん過ぎて、わかりにくかったでしょうね。

次は「エンディングノート」。別の講座でお仲間の方の講義となりました。M&M社会保険労務士事務所代表の北村滋郎さんです。

エンディングノートとは「自分に万が一のことがあった時に、残された家族が困ることがないように、自分の考えや自分しか知らないことを記録するノート」であるとテキストにはあります。また「自分自身の希望を実現するため、気持ちをキーパーソンに上手に伝えるための終活ツール」であるとも。キーパーソンとは、同居の家族、近くの親族、遠くの親族、友人知人、専門業者を指すようです。

しかし本当に大切なのは「家族への思いと感謝の気持ちを伝えること」と「自分自身の今後のよりよい人生のための指針ともなるもの」だというのです。…前者は理解していましたが、後者の視点は持っていませんでした。

テキスト以外の北村さん独自の資料が魅力的でした。「書き方よりも考え方が大切で、自分がどう生きてきたかを遺したい。」「考え方(価値観)を切り替える。『足し算』の人生から『引き算』の人生へ」「同じことを繰り返して身に付ける知識・技能(ノウハウ)ではなく、自分を発見するための思考力が『価値観』。自己を批判する力であり、出会いによって磨かれるもの」。…う〜ん、なるほど!

最後はこの道43年という葬祭ディレクターの井上康孝さん。(株)日本葬儀社 代表取締役であられる方でした。50分の講義時間は短い!とばかりに縦横無尽にお話を繰り広げられました。訃報を聞いた時にまず発する言葉は「お悔やみ申し上げます」。これは亡くなった方への言葉だそうです。「御愁傷様です」は残された方に対する言葉。まずは「お悔やみ申し上げます」という言葉を、というお話から始まりました。…なるほど。「『葬儀』とは『葬送儀礼』の略です」とも。

最後に20分の認定試験があり、それで終了しました。結果は1週間後だそうです。今日は「初級講座B」です。楽しんできます。

画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ご近所の薔薇。

セミナー
2017/05/13
セミナー「アルバムセラピー」  
「生まれてから今までの人生で、撮り貯めた写真やアルバムと筆記用具を持参するように」とのことで始まった、アルバムセラピー。昨日の午後、「日本アルバムセラピー協会」によるセミナーに参加しました。参加者5名。インストラクターは代表理事の林さゆりさん(なんと直々に!)。ステップごとの課題に取り組みながら、一定時間後にはみんなにシェアします。一巡したら、ひとりの人にシェアの感想を言ってもらいます。

用意された「基礎セミナーテキストブック」に従って、「Step1 生まれたての赤ちゃんの時の写真」。参加者の写真は皆モノクロ写真でした(時代を感じさせます)。写真を貼るスペースの右側には、2つの記入項目欄があって、ひとつは「その時のお父さん、お母さんの気持ちはどんなものだったのだろう?」でした。もうひとつは「あなた自身の思うことを書いてみてください。」

屈託なく笑っている私。こんな笑顔を見ていたら、父も母も幸せ気分だったろうなあと思われました。でも、そもそも赤ちゃんの私が笑っていられたのは、私が笑いかけてもらったから。…なんだと気づきました。

「Step2 幼少期(小学校3年生くらいまで)の一番思い出深い写真を探して見てください」。右側の記入項目欄には「小学校の時の得意だったことは?」と「宝物は…?」。

ふう〜っと、時間を遡って、私は小学生の頃に戻っていました。その時の家の雰囲気。部屋の様子。…私の好きなことは何だったっけ? 私は幼稚園の時、尿にタンパクが下りて、腎臓病ということで、5歳の時、走ることと醤油ダメと言われた…。それで外で遊ばせてもらえなくて、片っ端から絵本を読んでた。絵本だけじゃ飽き足らずに2歳上の従姉の教科書も読んでいた、らしい。…そうそう、4年生では、毎月届く「世界文学全集」が何よりの楽しみだった。

「Step3 自分の『大好き』を見つけよう!」。サブタイトルに「とびっきりの笑顔の写真を探して貼ってみましょう」とあります。とびっきりの笑顔。…ということは、楽しかった時の写真ですね。それはいつ頃のことなのか、何をしていた時なのか、誰と一緒にいたのか、その時のシチュエーションがリアルに蘇ります。右側の記入欄には「その写真を見て出てくる感情を書き出して見てください」とあります。「出てくる感情」…直球です。

20代の写真。結婚する前。夢と希望に溢れてた、わけではなく、何が、ということなく不安で、自分で自分を持て余してた。私は自分に自信が持てなかった。私は自分が嫌いだった。…ホント、私は「若い時」に戻りたいとは思いません。今の方が気持ちが穏やかです。

「Step4 自分の『大嫌い』を探してみよう!」。サブタイトルは「今度は大嫌いな写真・見たくも無い写真を探してみましょう」でした。…これはちょっと困りましたね。急いで用意して持参した写真は、やっぱりまあまあお気に入りのものばかりでしたから。右側の記入欄には「その写真を見て出てくる感情を出してみてください」でした。「手元にない場合は、想像してきてもらってもいいですよ」とのことで、いつの頃の写真が嫌いかなあと思い出しながら取り組みました。

私は中学生の頃を思い出して、、周りのみんなと合わさなければいけなくて苦しかったことを記入しました。けれど、他の人の発表を聞いていると、「あ、私も職場の集合写真が嫌いだ」と気づきました。私の中学時代と同じで、同調の圧力を感じた学校社会。…そうなんだ、中学時代と同じだったから息苦しかったんだ、と気づきました。

みんなのシェアを聞いて感想を言う番だったので、次のような感想をシェアしました。
「私もなんだかやりにくいなあと思いながら取り組んだのですが、みんなそれぞれ『嫌だった』のは自分が納得できないことを無理矢理やらされている時のものでした。でも、それがあったからこそ、その状況をなんとかしたいと動き出して『今』がある、ということがわかりました」

最後のステップ、「Step5 一番『思い出深い写真』を探してみよう!」。サブタイトルは「強烈に心に残っていること、自分の人生に大きく影響を与えた人、大切な人と一緒の写真、子供の頃の深く傷ついた写真、忘れられない出来事、人生の転機など転機など…そんな写真を探してみましょう」。右側の記入欄は「湧いてくる自分の感情を書き出してみてください」。

自分の人生に大きく影響を与えて人は何人がいるけど、私は子どもの写真を選びました。2歳ぐらいの時の。生まれてきて、こんなに可愛いのか、と思いました。すごく活発な子だった。好奇心旺盛で。聞き分けも良かった。…後年、おこもりして、本当に心配したけど、それもいい思い出。教員としても、母としても、鍛えて貰った、と思います。

可愛くて可愛くて…だけど、私は親に束縛されて苦しかったから、同じ過ちは繰り返したくないと思っていた。…今から思うと、ちょっと気負いすぎだったかな…。もう少し、ゆったりと接してあげればよかった。そうしたらこの子が生来持っているエネルギーは、もっと伸びやかにこの子を育ててくれたような気がする…。今は、何か、エネルギーの行きどころがなくて、自分の中で、滞っている気がする。…でもまあ、そんな時期も必要か…。

面白いですね。昨日のセミナー3時間で湧き起こった気持ち以外に、今、湧いて出た気持ちもあります。
写真を見ることは、過去を見ているようで、「現在の自分がその時をどう見ているか」ということだから、「現在の自分」がクローズアップされてくるのですね。ふう〜ん…そういうことか。

「写真をここに持ってくる過程で、アルバムを見ていた時から、もう始まっているのです」とインストラクターの林さんに言われました。…そうですね、確かに。そして、セミナー後も影響は続くのですね。

単に「撮りためた写真を持参するように」とのことでしたが、5つの項目の概略を予め示して、それに合う写真を何枚かずつ持ってきてもらう、というのもいいかもしれません。展開が予測できて面白味に欠けるという危惧があるから、何の指示も出されなかったのでしょうけれど、でも、候補を何枚かずつ、とすれば、その場で最終的に何を選ぶかで自分のこだわりが一層見える気がします。

「この作業を通じて生まれる気持ちは『感謝』ではないでしょうか? 参加者の半数は泣かれます。」とのことでした。…そうですね。一緒に写っている家族の若い姿に、様々な思いがよぎります。私はひとりではなかったんだ…こんなにも愛されていた…など。家族と何かの事情で断絶している人の心を癒したり、自分史を残したい人に取り掛かりやすいツールなのではないかと思います。インストラクターコースを考えたいと思いました。

画像は「Step3」での私の写真。

幸せをおすそ分け
2017/05/12
錦帯橋での再会  
ピーターラビット展のあと、今度は山口・錦帯橋目指して、移動しました。CDA資格を一緒に目指して勉強した友人がそこに住んでいるので。CDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)、いわゆる「キャリアカウンセラー」資格は二人とも無事1回で合格しました。…もう5年近く前のこと。私が勤めていた広島県廿日市西高校に、「キャリアカウンセラー」として週1回やってきた彼女と、就職担当だった私は、一緒に仕事をすることになって知り合ったのでした。

「ねえ、一緒にCDAを目指さない?」と持ちかけたことを覚えています。確か…、ペアで受講すると講座受講料がちょっと安かったような。それで誘ったのでした。

そのあと、CDA資格を持っていたら、国家資格の「キャリアコンサルタント 2級」資格が、「学科免除」となるのが、確か、平成25年度までで、CDA資格を取ってから1年間しかなくて、それでもとりあえずチャレンジするためのあれこれ…「免除講習」なるものを大阪まで受けに行くのとか、面接練習とか、を一緒にしました。

残念ながら、「キャリアコンサルタント2級」資格は取れなかったのですが、その時以来、お互い忙しくて会ってないような気がします。…となると、4年ぶり、でしょうか。

相変わらず背が高くて(いや、背は変化しないか…)、涼やかな声で、ほんわかした笑顔が素敵な彼女でした。キャリア関係のお仕事以外に「行政書士」のお仕事も始めたそうな。え? 行政書士持ってたの⁈ と驚く私に、「うん…もっと若い時に、取ったものよ」って。(「もっと若い時」という言い方が、いいなと。「若い時」ではなくて。うふふ。)

遅いランチを取った後、錦帯橋を渡りました。久しぶりの錦帯橋でした。

この場所は亡くなったお父さまの故郷で、彼女自身は広島生まれの広島育ちだそうな。自分の生まれ育った場所ではないところで今後を生きて行く、というのは私も少し似たところがあります。でも、彼女の方が県も違うし、大変。友人もいなくて辛かった…と言いました。でも、偉いね。ここで根を生やして生きて行くんだね。親の介護で東京を引き払って、ここに移り住んで、もう11年なのね。

彼女の密かな「チャレンジ」も聞かせてもらって、あっという間に2時間半が経ちました。

ありがとう。時間取ってくれて。また、会おうね。また、どんな仕事を作ったのか、聞かせてね。私も自分の仕事を作って行くから。

絵本の世界
2017/05/11
ビアトリクス・ポター生誕150周年  ピーターラビット展  
子どもの下宿に泊まった日、「明日は何時に出るの?」と聞いたら、「1時間目からだから8時過ぎ」と。
子どもの1限目の授業にくっついて行って、一緒に授業を受けようかと思ったのですが(生来の好奇心がむくむくと湧き上がって、経済学の授業ってどんなかなぁと思って)、子どもが嫌そうな顔をしたので、おとなしくやめることにしました。

それで、アストラムラインの駅で別れたのですが、さて、どうしたものかと思っていたら、吊り広告で「ピーターラビット展」が案内されていて、行くことにしました。

ピーターラビットの作者は女性で、最後は広大な土地を環境保護のためのナショナル・トラストに寄付した…ことぐらいしか、知りませんでした。以下は、会場で購入した図録の解説からの抜粋です。


ピーターラビットのお話は、作者ビアトリクスの最後の家庭教師だったアニーの、病気の息子に宛てた一枚の絵手紙から始まりました。「ノエル君へ あなたに、なんて書いたら良いのか分からないので、4匹の小うさぎの話をしましょう」1893年、ビアトリクス27歳の頃でした。

手紙に書かれた物語を他の子どもたちのためにも出版すべきだと考えたのは、ノエルたち8人の母アニーで、大切に保管していた手紙をビアトリクスに送り返しました。

絵本より先に彼女の描いたクリスマスカードが販売されていた(1890年)のですが、絵本はなかなか出版を引き受けてもらえず、最初は自費出版で数百冊を作り、1902年にようやくフレデリック・ウォーン社から『ピーターラビットのおはなし』が出版されました。

母ヘレンはビアトリクスが40歳になるまで、独裁的できわめて支配的であった上に、子どもが社会的に身分の低い人と結婚することを許さない人だったようです。
ビアトリクスの母に対する服従心は強いものだったようですが、そこから逃れることができたのは、イマジネーションの世界と暗号日記の中においてだけでした。(彼女が15歳から31歳まで書いた暗号日記が初めて解読されたのが1958年)

フレデリック・ウォーン社を訪問しているうちに、ビアトリクスは編集者のノーマン・ウォーンと知り合います。やがて1905年に、ノーマンは当時39歳のビアトリクスに手紙で結婚を申し込みます。両親はビアトリクスがこの求婚を受け入れること、そして婚約を公表することを許しませんでした。

1ヶ月後、ノーマンは悲劇的なことに急性白血病で亡くなってしまいます。ビアトリクスは自分の出版の収入と叔母からのわずかな相続金で、湖水地方にあるヒルトップ農場を購入しました。そこは子どもの頃、夏に過ごしていた場所の近くでした。

その後、農場での生活に関心を持つようになったビアトリクスは、周辺の農場も買い取っていきます。その時に知り合った弁護士ウイリアム・ヒーリスから1912年に求婚され、両親に隠し続けますが、1913年に47歳で結婚します。(ウイリアムは43歳)

美しい湖水地方は、産業革命を拒んできた場所であり、ワーズワース他「湖の詩人たち」と呼ばれていた英国詩人たちのグループがそこに住んでいました。後に、偉大な美術評論家で、今日で言うところの環境保護、持続可能性、手工業を推奨した社会工学者でもあったジョン・ラスキンが1871年に移り住んできました。彼はオクタヴィア・ヒルとともに不動産に投資し、貧しい人々に貸し出して、彼らの自立と自己改革を求めました。(ヒルは1895年にナショナル・トラスト設立者のひとり)

ビアトリクスはナショナル・トラストに参加し、1943年に亡くなった時には、彼女が所有する湖水地方の土地は、彼女の写真と水彩画とともにナショナル・トラストに遺贈されました。


ビアトリクス・ポターは自分のことをフェミニストだとは思っていなかった(女性の権利運動、婦人参政権者には反対だった)とありますが、でもその生き方は、女性が自分で働いて賃金を手にして、親の価値観とは異なる自分の価値観を貫いて…と、女性の自立を実現する人生だったと思います。
いろいろと制約があり、大変な人生であるにもかかわらず、一歩一歩、自分の歩みを進めているところが凄いなあと思います。47歳で結婚、というのも、いくつになっても、新しいことにチャレンジできる人だったのですね。

思わぬ「拾い物」をしたようで、いい時間を過ごしました。




美術館敷地内のカフェ。

展示館までの道に、いたるところに動物たちが!



子どもとの時間
2017/05/10
子どもとの時間(5)大学4年生 ②  
広島駅に午後5時前に着いて、そのまま在来線で横川駅に行きました。子どもとの待ち合わせ場所をそこにしていたので。ラインで少し遅れるという連絡が入り、…そういえば、リアルタイムで連絡が取れるようになって、若い人は待ち合わせ時間もあまり気にしなくなったという記事を読んだなあ…と思いつつ、私はやっぱりアナログだから、約束の時間前に来てないと不安だなあと。

無事会えて、予約していたイタリアンのお店に。

子どもは少し元気なさそうだった。…単位不足を補うための資格検定試験は今月の21日だそうな。スパークリングワインで乾杯しようと思っていたのに、お酒はやめているとかで、「まあ、今日ぐらい…」と勧めても頑なに「いや、いい」と。…願掛けでもしてるのかしら?

ママは構わず、スパークリングワインと白ワインを空けました。

「3686gで、20時間頑張った後に帝王切開になって、大変だったよ」と言っても話に乗って来ず。…いやそういうことを言いたいんじゃなくて、…生まれて来てくれてありがとう、と言いたかったんだよ。

今朝は7時に起きて、8時過ぎに下宿を出ると言ってた。1時間目の授業があるそうで。私も同じ時間に出るつもりだけど、その前に、…なんて唐突に変だよね。…まだ時間はある。もう少し考えよう。

幸せをおすそ分け
2017/05/09
奈良公園・飛火野(とびひの)  
奈良公園の一角に「飛火野」と呼ばれるところがあります。どこからどこまでをそう呼ぶのか定かではないのですが、私が知らないだけで、定まっているのかもしれません。(どなたか、ご存知だったらお教えください)
東大寺から春日大社の鳥居、高畑へと抜けるバス通りに沿っていて、なだらかな傾斜があるところなんですが、大学生の私の「お昼寝」の場所だったりしました。

お昼を食べて、あるいはお昼をそこで食べて、午後すぐの授業がない場合、そのままぼんやりとそこで過ごしたりしていました。もちろん、夏の暑いさなかは日陰を探すのが大変で、それに鹿フンが臭うので、ダメでしたけど。

昨日は朝8時にミリアムと別れて、そのまま家には帰らずに、鹿にあって来ようと、トコトコ飛火野までやってきました。朝の光は柔らかく、空は青く、鹿は一頭もいなかったのですが、丘のようになっているところを越えていったら、大きな木の下にたくさんいました!

「おはよ」と挨拶して手招きしたら、若い子は近づいてきたりしました。手をさしのべると、頭を撫でさせてくれる子もいました。(でも、エサを持ってないと知ると、すぐ離れて行きました)




昨年春に早期退職を決めるまで1年間悩んだのですが、最終的に老後をどこで過ごすかを考えた時に、やっぱり私は広島にいる自分をイメージできなかった、ことがあります。
広島では最後の10年ぐらいは海近くで暮らしたので、ほとんど毎日見る海はホント飽きなかった。
奈良には海はなかったので、海は憧れでもありました。

けれど私は、あのだだっ広い、何の変哲もない飛火野が恋しかったりしたのです。…ふるさとって、そういうものかもしれませんね。…今住んでいる生駒は、やっぱり「ふるさと」ではない。私の「ふるさと」は、基本「平地」なのです。

30分足らず、でしたけど、いい朝の時間でした。

幸せをおすそ分け
2017/05/08
お誕生日会  
友人のミリアムと私は誕生日が近いので、昨年に私が奈良に帰ってから、二人で「お誕生日会」をすることにしています。…そもそもは、ミリアムと亡くなった夫君、節夫さんの誕生日が同じ日なので、お誕生日は淋しいだろうなと思ったのがきっかけ。今年は2回目。今年は、ミリアムのお店が終わった後、食事に出かけることにしました。奈良に住む、高校の同級生に「いいお店、教えて」と頼んだら、奈良ホテルから東寄りのところにある「梛(なぎ)の木」という、奈良産の食材にこだわったレストランを紹介してくれました。

「梛」なんて、読めませんよね。でも私は「なぎ」と聞いて、その昔、…20代の頃、梛の苗木を買ったことを思い出しました。記憶が定かでないのですが…確か、春日大社か…のご神木とされているのが、数少なくなって、絶滅しないように増やしましょう、というのだったような…。(でもその苗木は、どうなったのか…定かでありません…)

ネットで調べると「梛(ナギ)はマキ科マキ属に含まれる常緑高木。雌雄異株。日本の本州南岸、四国九州、沖縄、台湾、中国の海南島などの温暖な地方に分布します。世界に約100種あるマキ科マキ属のなかで最も有名で、最も美しいといわれる木が梛です。針葉樹でありながら広葉樹のような幅の広い葉を持つユニークな木なので独立してマキ科ナギ属とされることもあります。」とありました。

そのお店が、なんとミリアムの長女の友人の妹さん夫婦がやっていたのです。…世間は狭いですねえ…。ちょうど、長女から「お店を始めたようよ」という連絡が来ていて、お店を探そうとしたけど、ちょっとわからなかった…というところだったみたいで。聞いたら、開店してまだ1ヶ月だそうです。

コース料理の「お魚」を選んで、「お肉」一品を外してもらったのですが、それでもお腹いっぱいになりました。デザートのお皿には、「おたんじょうび おめでとうございます」の文字が。

ちょっぴり嬉しい、6歳と7歳でした。(10の位は置いといて。)




お店から戻って、私が持って来た日本酒を開けました。…1年以上前に、広島の友人から頂いたもの。なかなか飲む機会なくて、「1年も置いといて、大丈夫?」と心配しながら、でしたが、大丈夫でした。辛口のいいお酒。そのまま、「みりあむ」でお泊まりとなりました。

画像は、今日のために用意した小ぶりのタンブラー。猫とお月さんと、それからスワロフスキーが星となって輝いています。


絵本の世界
2017/05/07
にしのあきひろ作『えんとつ町のプペル』  
4月の末に、午後からの予定が詰まっているにもかかわらず、ちょっと遠いなあと思える葛城市まで、絵本の原画展を見に行ったのは、ネットで『えんとつ町のプペル』が無料公開されているのを見たからです。
ちょっとだけ見せるのは、アマゾンでもよくあるけれど、全部を無料公開するなんて、聞いたことなかった。
それは、お金がなかったら読めないの? という子どもたちの声に突き動かされてのことだったそうです。

けれど、よくしたもので、そういった心意気に賛同する人たちが本を買い、結局売り上げは落ちていないそうな。
すぐさま本を買おうとしたけど、原画展があるならその時に買おうと思い直しました。

さて、お話は、4000メートルの崖に囲まれて、外の世界を知らない町が舞台です。町はえんとつだらけで、煙だらけで、町の人たちは青い空も輝く星も知らないのです。
そんなある日、「ゴミ人間」がどこからかやってきて、町中の人から嫌われます。
そんな中、少年ルビッチが「ゴミ人間」に話しかけてきて、「プペル」という名を付け、毎日一緒に過ごすようになります。

少年ルビッチはプペルに、亡くなった漁師の父が話してくれた「ホシ」の話をします。
そして「信じ抜くんだ。たとえひとりになっても」という父の残した言葉も。

プペルと一緒にいることで、いじめられるようになったルビッチは、ある日プペルに別れを告げます。
ふたりが会うことはなくなり、プペルはますます汚れていき…。

ある日、いじめられて変わり果てたプペルがルビッチを訪ね、用意した船に大量の風船を膨らまして取り付け、「ホシを見に行こう!」と誘います。
ふたりは船に乗り込み、…。

あんまり書くと楽しみがなくなるので、この辺りまで。
プペルの正体が最後に分かり、ちょっと涙ぐんでしまいました。カンのいい人は気づいたかもしれませんね。ハロウィンにまつわらせてのストーリー展開となっています。

画像は大阪で開かれる「えんとつ町のプペル展」のチラシ。会場でもらいました。




会場で用意してあった、「消しゴムハンコ」。

幸せをおすそ分け
2017/05/06
穏やかな時間  
GWがゆっくりと過ぎていきます。今年のGWの前半は、マイク・リードさんのゲシュタルト ワークショップで濃密な時間を過ごし、後半は、友人たちとランチを取っておしゃべりしたりの穏やかな時間が流れていっています。

昨日はゲシュタルト仲間のともこさんがカウンセリングルームに遊びに来てくれました。
気温が25℃を越えた日で、ベランダ側の掃き出しのガラス戸を開けても暑くて、今年初めてのクーラーを入れました。

空は初夏の色合いで、おしゃべりの途中で、ともこさんがパステル画の画材一式を持って来てくれたので、5月の風物、鯉のぼりを描くことにしました。
棒状のパステルを茶こしで削って粉にして、指でゆっくり刷り込んでいく…。
ホント、自分の指を使っての表現っていいですね。
力の入れ方で、用紙に刷り込まれていく濃度が変わり、指の動かし方でも濃淡ができ…。
どうしても苦手意識が先に立つのですが、指を動かしているうちに、そういった「雑念」は飛んでいきます。

下地の白を塗り、まず空を塗り…空の色は好きな青色を選び、それに何色かを混ぜ合わせたり、重ね塗りをしたり…。
次に、雲の形を画用紙に鉛筆で描き、それをくり抜いて型紙を作り、雲を置きたい場所にその型紙を置いて、消しゴムで色を抜く。
雲を3つほど飛ばしたら、次に、鯉のぼりの形をくり抜いた型紙を置いて、消しゴムで消し、新たに青の鯉のぼりの色を選んで、尾っぽのところを指で塗り込み…。
鱗は綿棒で、型押しみたいに点々と描いていきました。

次は、緋鯉。可愛い感じにしたかったので、ピンク系の赤に赤色を混ぜて色を作りました。
目を描き、それから、ポール。

私の鯉のぼりを見て、ともこさんが「上の鯉が、まこさんみたいね。ちょっと跳ね上がって元気で。気持ち良さそう!」
と言ってくれました。
そうね。青い鯉がホント跳ね上がって、気持ち良さそうだ。
ホント、これ、私だね。でも、下の緋鯉のように、素直にまっすぐ、っていうのも私だよ。

なあんて、軽口を叩きながら、私の2作目のパステル画が出来上がりました。
ともこさん、いい時間をありがとう。


吉野弘の詩
2017/05/05
父と息子〜吉野弘の詩「I  was  born」〜  
しばらく「ゲシュタルト療法」のコラムが続いたので、今日は、吉野弘の詩「I  was  born」を。「読書への誘い」第43号で紹介したものです。

続き
ゲシュタルト療法
2017/05/04
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(5)  
2日目の、ワークに入る前にマイクが行なった質問受け付けの内容は前回紹介しましたが、質問の合間に、マイクが「一人語り」のように話した内容を記しておきたいと思います。

私の興味の1つが「若い人たちの健康」。博士号(論文)が「心療内科系の医学ー思春期の家族関係ー」だった。家族関係のどのような点が思春期の子どもに良い影響を与えているのか、あるいは悪い影響を与えているのか。奨学金を貰って、世界中のセンターを訪れた。そのうちの1つがロサンゼルスの○○病院。(※聞き取れませんでした)思春期の子どもたちの病院をディック・マッケンジーと一緒に歩いて見回っていた。

「大人が思っている問題って、若い人には解決法だったりする」私はその言葉を自分のセラピーに取り入れた。だから、「最初は問題だと思えるものが、解決法であるかもしれない」と考えてみる。

2日目のワーク直前のマイクの言葉。
「図が浮上してプロセスが展開します。クライエントがいて、私がいて、プロセスが展開する様子を味わってください。それがあなたの学習をサポートします」

2日目の最初のワークの後のマイクの言葉。
「癒しは出会いによって起こる。癒しはゲシュタルトの形成のプロセスを完結させることをいう。ゲシュタルトセラピーにおいて、中核(コア)となるのは、接触によって起こる」

この後「gestalt  formation process」についての説明が行われました。(②は『ゲシュタルト  トレーニングコース  テキスト』p.19の「気づきのサイクル(経験のサイクル)」として、トレーニングコース生には馴染みのあるものです)

① clesine → need → (※不明)-ment →calm
② sensation(感覚) → awareness(気づき<図形成>) → movilization(行動に移そうとする) → action(取りに行く) → part contact(水を取る) →suggestion(1997〜),assimilation(2005〜)(水を飲む)→withdrawal(引きこもり・うるおう)
(※( )内は「人が水を飲みたくなるプロセス」として、テキストでは説明されている)

① 図がなくなって、背景と化する
② 図が固まって、そこに居続けたら、次の瞬間、次の瞬間、と移行していく

「水を飲む」という段階の表現が「suggestion」から「assimilation」に変わった、ということでした。マイクからはそのことについての説明が特にありませんでした。「示唆・提案」から「同化・吸収」に変わった理由を聞けば良かったと、今、思っています。

「セラピストはコンタクトしている間、とても注意を払う」
「どこかで途切れたりすると…『何か言いたいけど、何と言っていいかわからない」とか「感覚はあるけど、どう言っていいのかわからない」というのが途切れの例」
「途切れがあることに気づき、口に出して行動に移すと終えることができる。それが明らかなこと。でも明らかでないこともある。話から話へ紡いでいく、それはつながりたいのに、ありのままの自分で居たいのに、別のストーリーが浮かんでしまう(状態)。」

午後から2つ目のワークが始まり、その後のマイクの言葉。
「人にとっての本当の困難というのはバランスを確立すること。で、それは時間が経つと変化する」
「子どもにとっては環境からのサポートが重要。それに対しての時間割はない。10歳までには、とか20歳までには、とかの。いくつになっても環境からのサポートは必要」

「自分にできるサポートは、自分の足で立つこと。何にも頼らないで、自分で。30歳でも80歳でも何かにもたれかかることで得られるサポートは、勿論ある。あなたは自分自身をサポート(受け入れて)していますか?」
「バランスを見つけること。周囲から自分はどれだけもらっているかということ。それによって自分という人間を定義すること。ゲシュタルトは周囲からのサポートと自分からのサポートとのバランスを大切にしてきました」

「(このワークをしたBについては)こういう愛は好きじゃない、と言えること。大事なのは彼女が自分で言えるということ。そこがポイントだった。私の観測を彼女が受け入れたのがターニングポイント」
「私は環境に過ぎない。私がBに何か言ったのは、きっかけに過ぎない。私はBがすでに知っていることを、思い出させるために言ったに過ぎない」

 「movilization →action のところで 行き詰まりがあった」
「サポートがあればできる。Bは、ハグでもなく握手でもなく、ちょこっと優しく、指を合わせることを選んだ。繊細で優しいのは彼女。それが十分だったらありがとうで終わる。それが足りなかったから、もう一方の手を出した。そして指を組んだ。」
「すべての動きはメッセージを担っている」

「自分が自分でいるって、なかなか大変。でも、楽しくやらしてもらっています」

午後からのワークはあと2つあったのですが、メモを取ることより味わうことを選んだので、記録はありません。
メモを取ると、確かに後で振り返りができるのですが、どうしても、その場で「味わう」ことが十分でなくなります。そういうジレンマにいつも苛まれます。私はだいたい、メモを取るのと取らないのと半々ぐらいにするのですが、さてそれもいいか悪いかわかりません。

メモの取り方も、出来るだけその人の息遣いが残るように、その人の言葉を移すように書き留めるのですが、そうすると、時間がかかって全部は書き取れないこと多いです。…それはいいことにしています。必要なところだけが残るのだと思えば。

濃密な二日間でした。また来年お会いしたいです。(そのように言った人が何人もいました!)

画像は最後に撮った写真。GNKのトレーニング仲間であるごおちゃんも一緒に入ってもらいました。マイクのカラフルなソックスに注目‼

ゲシュタルト療法
2017/05/03
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(4)  
2日目のワーク内容に入る前に、前回の補足を少し。

「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」という問いに対して、「Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。『客観的』ではなく、『違う視点』で」という答えに対して。

 

昨年の時点だったら、おそらく私は「客観的」と「本人が自分を見る目とは違う視点」の違いがわからなかったと思います。マイクにとって「客観的」とは、自分を相手に介在させないで見ている見方、相手とはキョリを置いて「観察」しているような見方、なのではないかと私は感じています。

 

それに対して、「違う視点」とは、相手の痛み、悲しみを受け止める「関わり」を持ちながら、けれど、その「痛み」「悲しみ」の出どころとは異なる相手の在りようの可能性に視点を当てる、在り方なのではないかと。…う〜ん、説明が難しいですか?

 

Aさんは、○○という見方を自分に対して、していた。そこから「悲しみ」も「苦しみ」も生じていた。それに対してマイクは、Aさんの「悲しみ」「苦しみ」を受け止めながら、△△という見方を示し、そうすると、Aさんにどんな気づきが生まれるかを共にその場にいて待っていた、という方がわかりやすいでしょうか?

 

その時「間主観性」ということが少し分かった気がしたのです。相手との「関わり」を感じさせない「客観的」とは異なる在り方としての「間主観性」。…この場合、「待つ」というのがとても大切です。Aさんのペースで「待つ」ということ。

 

さて、2日目。

 

ワークに入る前の「チェックイン」で、「行動は『図』、意識は『地』。タイムラグがあるから、無理に行動を変えていかなくても良いという気になった」との発言に対して、マイクはこのように応じました。

 

「行動のみならず、味わってみる、体験する(ことが大切)。あっという間にさっさと終わるのではなく、だからといってやり直せと言っているわけではないですよ。何かをする時の時間のかけ方を自分で意識すること。おそらくは、何かを素早くやってしまうと、味わうことから遠ざかる」

 

「『時間をかける』と『時間を無駄にする』とは違う」

 

次に、前日のワークを終えての質問の受付がありました。

 

1 「ゲシュタルトって何?」という問いにマイクなら何と答えますか?  


ゲシュタルトというのは、「セラピーへのアプローチ」であり、「癒しへのアプローチ」でもあり、「人間としての成長へのアプローチ」である。中には人生そのものという人もいます。

 

ゲシュタルトは意識を高めるために注意を払うこと、注意を払うのは、人と人との間に起こっていること。そしてそれぞれの人が、それぞれの世界を持っていて意味付けしている。そのことが成長を助ける、あるいは阻止してしまう。いずれにせよ、ゲシュタルトは二人の人間同士の間に起こっていることに注意を払う。

 

ゲシュタルトはプロセスに焦点を当てている。そのプロセスはゲシュタルトの形においての「完結」することに焦点を当てている。ゲシュタルトセラピーでは、「解決」に縛られていない。「完結」とはプロセス。

 

(「癒し」と「セラピー」がどう違うのか? という追加質問を受けて)

マルティン・ブーバーの哲学に基づいている。「出会いによって癒す」「癒しは出会いによって生まれる」。セラピーは「完結」すること。

 

世界を創り上げるということの基本的な概念(fandamental concept)は、「図」と「地」、そこで新しい「図」が生まれるということ。(人に)興味を持てば持つほど、あなたの人への接し方は固定概念から解放される。そうすると、可能性が広がる。それはあなたのニーズが満たされることでもある。

 

2 どうして「ゲシュタルト・セラピー」は「ゲシュタルト・サイコセラピー」と言わないのか?

 

ゲシュタルトが個人だけに適応するのでなく、夫婦、家族、グループ、組織…に適応するものだから。(※少し分かりづらいのですが、マイクの捉えは、個 or 集団というもののようです)

 

3  昨日のワークで、「不安を持っていることに対してリスペクトする(認める)と言われたのに対して、半分は理解できた。不安を持つことで成長できることは理解しているが、しかし不安を感じると、「今、ここ」にいられなくなるのではないか?

 

それはそうだと思いますよ。未来に意識が行く、(それは)未来において役に立つかもしれない。(けれど私は)「あなたの不安」があなたの思うほど役に立っているか、疑問だと感じた。あなたの不安はあなたが現在に留まることを阻止している。それはなぜだろう? 

「不安」は私たちが世界を創ることの要因となっている。私が言っているのは、あなたが「今、ここ」にいることに不安を覚えるということ。(※「不安を感じる」から、「今、ここ」にいられなくなる、ではなく、「『今、ここ』にいることに不安を感じている」ということか?)

 

今日でまとめ終了と思っていましたが、長くなりましたので、続きは次回。

 

画像は、昨日の朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ハナミズキの蕾。こんな風にして花びらが開くのですね。…知らなかった。

 

 


ゲシュタルト療法
2017/05/02
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(3)  
初日の続きをもう少し。
理論説明のあと、補足説明がありました。(「質問は?」と言われたのですが、しばらく誰も質問しなかったので、マイク自身が言葉を紡ぎました。)

「私が5歳のとき。世界の中で、こんな風にしたらうまくいく、というやり方を身につけた。大人になって5歳のときと同じやり方でやったらうまくいかなかっただろう。でも一部の人は一旦身につけたやり方にこだわる。新しいやり方がわからなくて、しばらく同じ癖、習慣でやるが、同じようにはうまくいかない」

「人それぞれである、そのプロセスに、私たちがどう向き合うか、なのです。それが異なるのをみるとワクワクします」

(マイクがひとりひとりに「何に興味があるか」を尋ねたときに、「自分が感じる怖さ」について話し始めて、泣いた人に向かって)
「私はあなたに付き添うつもりがありますから。あなたが、その怖さに向き合おうとするとき」
「私は勝手に、あなたの涙は悲しみばかりだと決めつけるつもりはありません。喜びの涙かもしれないから。それとも、誰か自分の怖さに付き添ってくれる人がいるという安心かもしれません。わかりません。」

ここで、ワークの前の「チェックイン」について、質問がありました。「チェックインは必ずするのか?」

「状況による。札幌(でのワークショップ)では、人が多すぎてやらなかった。(※30名を超えていたそう)ここだとできるし、私は皆さんが何に興味を持っているかを知りたかったので、そうした。それがチェックインと呼ばれるものなら、そう」
「でも、わざわざ『チェックイン』と呼ばなくてもいい。『チェックインしましょう』というと初めての人は途惑う。それよりは『あなたの興味のあることは?』といった方が抵抗感が少ない」

続いて「チェックインには形があるのか?」という質問に対して。

「だから、状況によると言えるんですね。礼儀がどうとか、下手すると形式張ってしまうという害が出てくる。形式ばらないのがポイント」

「そして、フィールドの形は、(私と皆さんが)だいたい同じキョリであること。平等に、ということです」

「理論をどのように実践に当て込んで展開できるか?  歴史・過去からではなく、『今、ここ』で、浮上するものに注意しましょう」と言われて、ワークが始まりました。

守秘義務があるので詳細は提示できませんが、マイクの言ったことで、心に残ったことだけ書き留めます。
「このキョリでいい?」
「それは存じ上げませんでした。近くなると何が怖いのでしょう?」
「わかります。…ただ、このキョリの問題は、あなたにとって何なのだろうと思ったのです」

「そういう風におっしゃると、人生を描写しているみたい。やりたいのに言えなくて運命に任せた。運命がジャンケンに勝たせてくれたら、それはそれでよい、と。」
「あなたにとって馴染みのある感じ? よくある感じ?」
「あなたの人生と、何かよく似てない?」

「あなたは負けることに慣れてきた。そのことに分かる、と言っているんです。私が悲しくなるのは、あなたは明確に説明しているのに、それを自分でわかっていないということ。」

(マイクは自分に自信がありますか? という、ワークを受けている人からの問いかけに対して)
「自信をつける練習をしていますよ。過去においては、あなたは自分で自信をつけるサポートを得られていなかった。私はあなたをサポートすることで、私の自信を掻き集めているんです。」
「じゃあ、終わらせましょうか? 自分の課題がわかりましたか? 自分の言いたいことを言う練習。ちょうど私とやったように、自分がちゃんと言った時に『あ、今、ちゃんと言ったな』と認識することが大事です」

「立ち上がって握手はどうですか? (それとも)やらなくてもいいんですよ」
「あなたの選択。自分にとってしっくりくる選択をしてください。」
「別に許可は入りませんよ。時間をかけてください。ここにいますからね。」
「あなたは自分で選択しましたね。だから、ちゃんとそのことにも気づいてください。」
 
ここでワークは終了し、質問受け付けです。

1  「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」
Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。Aは自分をあまり表に出さない。でも今回はちょっと見せることができた。だから「客観的」ではなく、「違う視点で見ていた」ということです。

2  「マイクはワーク中に自分の感情を表現されましたが、それは?」
「悲しかった」というのは自分の自然な感情として出てきた。(「悲しい」と感じても、自分は表現できない、という質問者に対して)そういう風に考えているうちは、思考にあって、感情とつながっていない。次は「体験する」(ことが必要)ですね。
「関係性」からいうと、ある人が表現して(それは、思考からかもしれないが)、セラピストにはそれはない。それは「関係性」と言わない。私にとって大事なのは、そこに関わること。「私にはこういうことが起きています」と伝えること。それが生き生きと関係を築くこと。

Aさんのワークは午後から始まり、次に私のワークとなり、それで初日は終わりました。…こうやってマイクの言葉を拾い上げるだけでも、なんだか暖かいものを感じます。とても丁寧に人を見ていることがうかがえます。そして、とても丁寧に、人に対していらっしゃる。穏やかに。その出発点は「自分に対して正直である」ところから生まれているように思いました。…今、吉野弘の詩「奈々子に」の一節「自分があって、世界がある」がふと浮かびました。

画像は、杏樹(アンジー)との朝の散歩で見つけた、ご近所の庭先のスミレ。…微細な中に真実は宿っているのですね。





ゲシュタルト療法
2017/05/01
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(2)  
一昨日のワークショップで、前回取り上げていなかったところから。
1日目の午前中は、「ゲシュタルト・セラピーの理論」として、5つの特徴を挙げて説明されました。(ところどころ、書き取れなくて抜けているところがあります。参加された方で、ご指摘いただけたら幸いです)

<ゲシュタルト・セラピーの5つの特徴>
1 Health/Wellbeing (健康/幸福)
ゲシュタルト(セラピー)は、病気の治療としてではなく、健康と幸福を高めるために進化した。
今日の実証的なものはある。それは病を治すもの。(※精神医療のことか?)それらは人間の一般的な状態を考慮に入れていない。CBT(※Computer Based Training - コンピューターを利用した学習支援システムのこと。ユーザーの理解度に合わせて、学習の進行状況を調整できるのが特徴。最初はコンピューター1台を使うだけだったが、ネットワークを利用したeラーニングへと発展した)のいくつかのアプローチはうまくいっていないという声がある。実際に精神病患者の数は上がっている。自分たち(※医者?)は持たずにゲシュタルトセラピーが持っているものはなんだろう?と注目し始めた。

2 Orientation to growth (成長への希求)
ゲシュタルト(セラピー)は、人間は自然の状態にあれば成長するという理論を受け入れている。私たちの自然の状態は成長に向かっている。でも、人生で常に成長を支える環境が整っているわけではない。何かのバリア(※障害?)があったりする。そしてそれが私たちの違いとなる。あなたの経験は私の経験ではない。
そして求めるのは成長のための理想的なサポート。自助的なサポートも求める。時間をかけて成長し、環境にばかり求めるのではなく、自助的なサポートにより成長しようとする。

3 Organising principle (構造についての大切なこと)
人生のどこかで死を迎える。人間のみならず生き物全てにこのことが当てはまる。…木だろうと蝶だろうと、どこかで自然な要因によって、成長が止まり、死ぬ。でも、自然の状態では成長に向かっている。子どもがいること自体、自分の成長。あるいは、子どものいない人も。

4 Meaning making (世界は意味づけを持った構造物である)
世界を組み立てて見ている。そして意味づけをする。自分の興味を表明しながら、自分の世界の意味づけに気づいた人もいる。世界をどう経験するか、それが「自分が何者であるか」につながる。それがゲシュタルト。

 5 Relational (関連性)
「私」という人間と私の「環境」について。その環境の中で私は特定の状態に立たされている。それが私という人間を形成する。それは時間を経て、常に変化している。その環境に合わせて、私は常に変化していかねばならない。
ゲシュタルト・セラピーの理論は65年〜70年の歴史がある。
ここ20年で、フロイトの精神分析から発達してきたことも認められた。そのことがゲシュタルトセラピーの「関係性」を受け入れ、発展させることにつながった。
理論の基礎の前提は他と異なる。でも、違う理論の基盤(パラダイム)を持っていて、まるで私が英語で話して皆さんが日本語で答えるかのよう。
2つの概念(コンセプト)。
「人間は原則的には関係性を持っている」という理論を持っている。
ゲシュタルト(セラピー)は、65年70年かけて、科学者たちがここ15年で明らかにしたものを、実証してきた。
他の発見として「マインドフルネス(感情の安定)」がある。あるいは「アタッチメント」とか。でも、わざわざそれを唱えている人がゲシュタルト(セラピスト)にいますか?  取り立てては言わないけど、実証してきたのです。

「4」について。私はこの4月からビジネス系の講座に参加していて、「自己棚卸し」のための質問項目に「30年という時間を与えられえたら、何をしますか。それはなぜですか。」というのがありました。私は「世界中を旅して、いろんな場所から朝日・夕日を見たい」と答えました。その理由として「世界は美しいというのを感じたい」としたのです。それが正直な気持ちだったので。…なんだろう、私はこの世に生まれてきてよかった、と思いたいから、かもしれません。こんな美しい世界に私は生まれてきたんだと思いたいのでしょうね。いろいろ悲しいこと、苦しいことあったけれど。それが私の「世界の意味づけ」なのでしょうね。…そんなことを、講義を受けながらふと思ったりしました。

今日はここまで。続きは次回。

画像は、「世界は美しい」と感じられる、朝の光。朝の杏樹(アンジー)との散歩で撮ったもの。

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