前回の続きです。
今日は、観我をやりたいと思います。
観我の説明は前にしたように思いますけれど、要は、座っているといろんな雑念がやって来ますよね。
ここも、もうエイジアンの考え方なんですよ。雑念が、「やって来る」。
「雑念」が主体ですね。「雑念」がやって来る。
「私」が考えている、じゃなくて、雑念がやって来る。こちらは座って見てるだけ、ですよね。
座って見てると、雑念がやって来た。
前回は、やって来た雑念に、「どこに行きたいか?」と聞いて、行きたいところに行かせてあげた。
その間、その雑念に気づいてあげたり、ちょっとそれに触れると言うか…あ、こんなんがあったんやね、みたいな形でそれに気づいてあげて。
あそこに行きたいんよね、というようなことを気づいてあげて、どっかに行ってもらう。
そうやって雑念が簡単に、どっか行ってくれたらいいんだけど、なかなか行ってくれない時もあって、そして、そこを考えてみると、まずその、雑念と言われているものには、ある種の「我(が)」がある、どんなことにもあるなあって、気がつくんですよ。
今日、昼間に買い物をしていて、今日何食べようかなとスーパーで買い物してたら、パッと浮かんだのが唐揚げとビール。
いやいや、あかんあかん、今日は夜、これがあるから、唐揚げにビール飲んでる場合やないと思って。
でも、ビールを飲んで唐揚げを食いたがっている、という発想をしているのは、どんな私だろう?って考えてみると、するとそこに「我」があるんですよ。
で、ちょっとそれを楽しんでみて、イメージしてみると、結構はっきりイメージできるんですよね。