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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
長田弘の詩
2021/06/22
古い鉄棒は、世界の心棒〜長田弘の詩「鉄棒」(『深呼吸の必要』所収「大きな木」から)〜  
昨日、ある人から紹介された論文があって。
昨日のうちにざっくりと、気になった箇所を抜き出して。
朝、目覚めた時に眺めて。
そこから浮かんできたものを、その人に返して。

なんてことをやっていたら、もう起きてから1時間経っていて。

あ、もう明るいや。
…そういえば、昨日が夏至だった、と思い出して。

『深呼吸の必要』を開く。
今朝は…「鉄棒」。

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2021/06/21
自分の触角を物指しにする〜折々のことば・鷲田清一#2068〜  
2021年1月30日の折々のことば。甲斐信枝の言葉。

蜂は最初の六角形の一辺の長さを決める時、自分の触角を物指しにするのです。

鷲田清一の解説。

郊外の山麓(さんろく)にある納屋で見つけた蜂の巣作りと子育てを毎日まぢかで観察した絵本画家は、蜂と人の間に「生きもの同士の親愛」を感じた。
掌(てのひら)や両腕の端から端の幅、指先から肘(ひじ)までの長さ、そして歩幅と、人もまたそれらを頼りに、みずからが棲(す)む世界を計り、整えてきた。
尺度をおのれの内に持つこと。
生きものの尊厳とはそれをいうのか。
『あしなが蜂と暮らした夏』から。

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ゲシュタルト療法
2021/06/20
うつるとも 月もおもはず うつすとも 水もおもはぬ さる沢の池〜陣内裕輔さんのオンラインセミナー「禅とゲシュタルト」〜  
この前のレズニック博士のオンラインセミナーのあと。
主催者の陣内さんが、オンラインセミナーをされる、というので早速申し込みました。
なんでも、今年の4月13日に、ブラジルのゲシュタルトセラピストとの交流会で、「サトリとゲシュタルト」というテーマで講演された、とか。
その時のお話に、実際の坐禅を加えた内容、というので。
とても楽しみにしていました。

事前に示された案内は次のとおり。

▽ 目的:ゲシュタルトが禅から受けた影響について学ぶ
     ・ゲシュタルトの理論ー現象学、実存主義、場の理論、“我と汝”と禅仏教理論の関係
     ・なぜゲシュタルトのワークをやる人が、坐禅をしたほうがいいのか(その逆も)
     ・セラピーの現場で、禅をどう活かすか

▽ プログラム
  ・レクチャー
  ・坐禅ー呼吸瞑想の実践
  ・実験ー坐禅が対話にどう影響するか
  ・ディスカッション

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長田弘の詩
2021/06/17
誰もいないのだが、花がそこにある〜長田弘の詩「路地」(『深呼吸の必要』所収「大きな木」から)〜  
夜明けが早くなってきた朝。
久しぶりに『深呼吸の必要』を開く。
…本当に。久しぶり。

「元気にしてた?」なんて声かけを本にする。
「あ、うん。私は元気だよ。いろいろあるけど。」

本の中の登場人物に話しかける、というのはあっても、
本そのものに声かけするなんて、初めて。

この歳になって。「初めて」があるなんて。
ちょっと嬉しい。
まだまだ「未知なる世界」があるんだな、きっと。と思えるので。

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仏教の学び
2021/06/12
仏陀が残したのは、自身の生き方〜『ブッダの<呼吸>の瞑想』お茶会〜  
6月11日。薄曇りの午後。月に1回の『ブッダの<呼吸>の瞑想』お茶会。
いつものようにカードを引いて。そこから得る「気づき」でチェックイン。

私の引いたカードは2枚。「ガーデンシリーズ」のからは「Listen」。

Be alert; the soft chiming bells call to nearby fairies.

近くにいる妖精を呼ぶ優しいベルに気づいて… ってとこか。それから。「樹木のカード」からは「SURPRISES」。

Under the  most  ordinary  stone is an undisturbed  garden (ありふれた石の下には、邪魔されていない庭があります。)

詢晃さんから、「土地の妖精さんに、いろんなお願いをしてみたらいいんだわ」という解釈の説明が入る。
…そうか。私の居場所は、少しずつ形を成してきたけれど。
何か漠然とした「不安」もあり。

そういうことは、妖精さんにお任せすればいいのね。妖精さん、もしくは精霊という「見えない力」に。
なんとなくほっとして。今日は「セクササイズ4 喜びと幸福から糧を得る」を読む。
 
五 息を吸いながら、喜びを感じる。息を吐きながら、喜びを感じる。
六 息を吸いながら、幸福を感じる。息を吐きながら、幸福を感じる。

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仏教の学び
2021/06/08
五蘊はどれも独立した実体ではない〜浅田慈照尼と読む『ティク・ナット・ハンの般若心経』(7)〜  
5月28日。土砂降りの雨が上がった午後。
「第十章 名前の中に何がある?ー仮名(けみよう)」を読む。

ゆえに空において、体、感覚、認知、心の形成、意識は、独立した実体ではない。

是故空中無色 無受想行識

インタービーイング(相互存在)のすばらしき体現としての体(色しき)は、私たちが頭の中で考えている、身体についての考えとはかなり異なります。

五蘊(ごうん)も同様です。ーーー五つのそれぞれの蘊(かたまり)は、宇宙がまるごとあらわれたものです。(p. 115)

初っ端に。「体」を「からだ」と読むのか「たい」と読むのか、で、立ち止まる。
…詢晃さんのところの「仏陀の呼吸の瞑想 ゆるゆるお茶会」で、「体」と「身体」の二つの表記が出てきて、
この二者は区別されて使われているのか、が気になり、訳者の島田啓介さんに問い合わせた。

先日、エクササイズ3を読み合わせていて、「身体」という表記をからだと読んでいたのですが、「体」という表記も併せて出てくることに気づき、二者は異なった言葉の異った訳語なのかどうか、気になりました。ご教授いただけたら幸いです。

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ゲシュタルト療法
2021/06/06
ゲシュタルトを学ぶことは、自分自身であることの探求〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト8〜  
いよいよ、終盤。
さすがに。ちょっと疲れを感じる。だって。コラム1つに3、4時間費やしているもの。
もう終わりたい気持ちが半分。
残り半分は、レズニックさんの言葉を最後までもう一度確認しておきたい、という欲望。
欲望が、ほんの少し上回って。それで文字起こしを始める。

<SV1 解説と質疑応答>
・酒にも煙草にも言えることだが、ワーカーはそれがバウンダリーに関するものだということに気がついていた。そしてそこにはお母さんが関わっているのだろうということも。プライベートな部分で。
・セラピストが、それが「おしゃぶりなんだよ」というふうにクライエントに言ったとしたら、その「おしゃぶり」というのは、おそらく、そのセラピストにとっての問題。
・人によっては、男性の場合は、煙草を吸うというのが、男の象徴だったりする。女性の場合は、煙草を吸うというのは、洗練された自分、という、その象徴だったりする。だが、そうした意味付けというものは、クライエントから出てくるものでなければならない。(今回)セラピストが何かしらの意味を、ワーカーに押し付けてなかった、というのは、とてもいい。そして、セラピストはちゃんとワーカーと共にいた。
・そしてもちろん、禁煙って難しい。だが、ほんの短い10分休憩の間にも、どうしても吸いたくなるというのであれば、ニコチン依存ではない。

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ゲシュタルト療法
2021/06/06
終わりがある中で、出会うということ〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト7〜  
30日にはワークが2つあって。
3つ目のワークの後の解説から。

<ワーク3 質疑応答と解説>

<質問①> (ワークは)ワーカーの、今ここで淋しさを感じる、ということを大事にされたように思う。それは、あなたが言う「新鮮な魚」を大切にするということか?

・クライエントの、その時のその状態のクライエントに出会いたい。先程のワークの中にも、ワーカーの状態は、淋しさを感じて、それを押し殺そうとしている、そういう状態だった。その時の、今のワーカーに出会うことができれば、それを変えようとすることなしに出会うことができれば、第一幕は上がってくる。出てくる。
・第一幕の問題は、自分は永遠には存在しないだろうという、実存主義的な問題だった。生物が永遠に存在するということはない。そのことに対する心配が、第一幕の主要な部分。だから、淋しさを押し殺す。人と繋がりたいけれども、いずれその人たちもいなくなってしまうから、終わってしまうから、繋がれない。
リアルに留まるということが非常に重要。その実存的なリアリティを認めるということが重要。私たちみんな、いずれは死ぬ。いつか死ぬかどうかということに対して、私たちには選択権はない。必ず死ぬから。私たちに選択できるのは、その時までの時間をどう過ごすか、ということ。
・多くのセラピストたちが、いずれ死ぬということ、それでもいいんだ、OKなんだというふうにしようとしている。それを考えたり感じたりしないように、クライエントを手助けしようとする。だが、クライエントはそれは真実ではない、ということを知っている。私たちみんな、それが真実ではない、と知っている。
私たちは皆、それぞれに終わりがあるんだということを知っている。関係性においては、その死が来る前でさえ、誰かと別れる、その関係性の終わりが来る可能性があるんだ、ということも知っている。
・つながることのリスクというのは、いずれ自分の心が病んで、がっかりする、という、そうなるかもしれない、というリスク。
・そして、ひとりでいるということを保障していくと、覚悟していくと、そのままずっとひとりぼっちで淋しいということになる。ワーカーが実際に今、どういう状態にいるのか、ということを表現した時に、私とワーカーとの間での繋がりができた。
そのワーカーが、私に影響を与えたから。そして私がこういうふうに影響を受けました、ということをシェアしたことによって、繋がりができた。その瞬間の、ワーカーの人となりと私の人となりが、出会った。

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ゲシュタルト療法
2021/06/05
ホメオリシスとは、状況の変化の中での自己調整〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト6〜  

ゲシュタルトの流れ(つづき)

私たちは1935年のゲシュタルトセラピーを冷凍保存しておきたくはない。その状況に合わせて、場に合わせて、場の変化に合わせて、常に進化していくもの。それが発展というもの。状況が変われば、自己調整が何か、ということも変わっていく。

・マラソンを走っている時には、走り終わった時には大きく息を吸うのが、自己調整にすごく役立つ。でも海に飛び込んで海中にいる時に、大きく息をしたら死んでしまう。こっちの状況においては、大きく息を吸うことは自己調整になる、でも別な状況においては大きく息を吸うことが自殺につながってしまう。大事なのは、状況。その状況にどう合うか、ということ。

・だから文化を変えようということは私たちはしない。あるいはみんなを同じにしようとすることも、私たちはしない。ただ、その人がその人の環境の中での自分の自己調整を発見していく、その手助けをしていく。

変化や、調整や、バランスを取っていくということは、決して終わりがないもの。

・たとえば、日本の教えられているゲシュタルト、それはパールズが椅子やエンプティーチェアを使って、たくさんの実験をしていた頃にゲシュタルトを学んだ人が教えてきたもの。その当時は、カリフォルニア・サンフランシスコで、春だった。そのサンフランシスコの春のようなもので、サンフランシスコの全体ではない。

・2年後には、パールズはエンプティーチェアではなく、現象学に焦点を移していた。また2年後には、もはや現象学ではなく、対話に焦点を移していた。セラピーも、より大きな状況に合わせた自己調整をしていく必要がある。

続き
ゲシュタルト療法
2021/06/04
洞察とは異なる「気づき」という方法〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト5〜  
29日分が、まだ終わらない。
二人目のワークがあって。その後。

<ワーク2後のコメント>

<質問①> ワークではなく、最後のフィードバックについて。レズニックさんはいつも「クライエントから、自分がどのように影響を受けたかについて、話してください」というふうに言うが、それがとても新鮮な感じがする。つい、クライエントに対して何か思ったことを言おうというか、そういう感じになりやすいんだけど、自分はどう影響を受けたか、という言葉を使われるところについて、少し説明してください。

・2つある。1つは、そういうふうに言ってもらわないと、クライエントは自分がみんなにどう影響を与えたのか、与えないのか、与えるとしたらどんなことなのか、ということがわからないから。井戸に小銭を落とすようなもので、ぽとんと落として耳を澄まして、あ、底に届いたな、ということに気がつくというような微かなもので。みんなの反応がどんな感じなのか、というのは言ってもらわないとなかなかわからない。感覚的に同じようなことをみんな感じているのかなとか、あるいは全然違うことを感じているのかなとか、そもそも私のワークに、みんなは関心あるのかどうなのか、ということも、言ってもらわないとわからない。
・もう1つの理由は、そういう時間を持つことによって、見ているみなさんがただ引いて見ているだけではなくて、ちゃんと、自分が感じたことを表現する機会が得られるから。ありがとうと言ったり、なんてワークなの! 怖かったよって言ったり、そういうふうに自分を表現する機会が得られるから。

<質問①–2> 特に「影響を受ける」という言葉が新鮮だったが、そこはどうでしょう?

・どんなふうに、それが自分を変えたのか、どんなふうな衝撃を自分に与えたのか、影響を与えたのか、ということを聞きたくて、そういう表現を使っている。自分が感じたことをフィードバックして欲しい。
・クライエントがワークの中でしたことに関するコメントを言うが、それが自分にどんな影響を与えたか、ということを全然言わない人もいる。言葉の違いがあると、その辺りがとても難しくなるが、同じ言語で聞いても、そういうふうなフィードバックをするというのはすごく難しいこと。

続き
ゲシュタルト療法
2021/06/03
プロセスに焦点をあてると「機会」が得られる〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト4〜  
29日の続きです。

<質問2> 第二幕の問題と思って来ているクライエントに第一幕に気づいてもらうことはとても大事なことだと思うが、あまりそこに触れたくないクライエント、抵抗があるということに対してはどう考えるか


・最終的には、いつも困った状況になっていて、その状況がどんなふうに生み出されているのか、にフォーカスすることを、繰り返し促していく。

・元々の困ったところを見たくない、感じがしているクライエントは、その見たくない感じ、はどこから来ているのでしょうね、とそこに目を向けてもらうようにする。

その人の今の状態をこちらから変えようとするとか、その人が今やっていることをやめさせようとするとかではなく、どうもそこをやりたくない、というその気持ちがどこから来ているのか、そして、その気持ちが、今悩まされていることにどう関係しているのか、どう「寄与」しているのか、ということを見ていってもらう。

・最終的な結果、「あなたは直したいと思っているような傾向があり、そのことに私が気付いています」ということを相手に伝えることもある。

・「何回ぐらい、それを試みてみましたか?」「何回ぐらい試みたけど、うまくいかなった、ということがありましたか?」あるいは「一度はうまくいったけど、続かなかったということをどれくらい繰り返して来ましたか?」ということを聞く。「ダイエットを何回試みたか?」と聞くと大抵は笑う。100回ぐらい試みているから。「100回試みて、それで次にあなたはどういうやり方をするのか、どういうふうに違ったやり方をするのかに、私は興味があります」と伝える。

 

続き
ゲシュタルト療法
2021/06/01
ニーズは「意識を変える」こと〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト3〜  
29日の最初のレクチャーの続きです。

(問題解決を望んでいるクライエントと共にいる、ということに話を戻す)

<本当のニーズを探る>
 (例)こういうクライエントがいた。他の人の望みにどんどん合わせていく人、そして自分の中でイライラがどんどん溜まっていく人。一歩引く。そしてちょっとしたことがきっかけとなって、爆発してしまう。彼の望みは爆発しないようにする方法を見つけること。脛を自分に立てて、一生懸命怒りを抑えようとしたりした。私はそれはいいことだと思う。彼が自分の子どもを打ったり妻を打ったり友人をぶったりしないでいることは。でもどうやってその、ワーとなるギリギリのところに自分を持っていっているのか、そこに目を向けて欲しかった。どうして望まないことに対して、それはイヤですとか、やめてくださいとか、言わないように自分をしているのか、そこに目を向けて欲しかった。
我慢している時に彼は自己調整を妨げている。


続き

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