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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
詩の世界
2017/03/31
自分の気持ちを解放する〜山本 かずこの詩「あなたがきらいです」〜  
最近知り合った人で、今年になって「この人から離れよう」と思った人がいて、それは、接しているとどうも居心地の悪さを感じるというか、言葉にとげを感じるというか、会った後、心が沈んでいるのを感じたからです。
どこからその人のことを、??と思い始めたのかとふと考えてしまって、そうこうしているうちに「あなたがきらいです」という詩を思い出しました。「読書への誘い」の第20号で紹介した詩です。

続き
絵本の世界
2017/03/30
それぞれの時間を思い出させるもの〜岩合光昭『ねこのとけい』〜  
岩合光昭さんのネコ写真に、言葉が添えられて、ビジュアル絵本のような形で出されています。
2016年1月の第1刷発行で、クレヴィス社です。夜明けの時間から始まり、夕暮れの時間まで。
その時々の猫を撮りながらのコメントが効いています。「あとがき」を紹介します。


頬と頬を寄せているネコたちがいます。朝の光線が輪郭を浮かび上がらせます。さあ、出かけようぜ、という挨拶でしょうか。全身の五感をフルに使って、どちらに行くかを決めているようです。それは日の向き次第であり、良い匂いが漂ってくる方向でもあるようです。また、オスにとっては縄張りへの朝のパトロールの始まりであり、メスにとっては子ネコの待つ巣穴へ帰る合図かもしれません。それぞれのネコにそれぞれの時間があります。
それは時計の単位ではない、わたしたちが忘れてしまっている太陽や月やその他の自然が織りなす一瞬を、ネコの体の動きからハッとさせられるような感覚の時間といってよいのかもしれません。動くことは生きること、生きることは永遠へと引き継がれる命のゆるやかな時、これからも見つめ続けていきたいと思います。

「それぞれのネコにそれぞれの時間があります」。
私たちにもひとりひとり、それぞれの時間があるのですね。普段忘れがちですけれど。
もちろん、社会で生きて行くためには、「決められた時間」に合わせるところも出てきますが、…若いうちは、それが大半でしょうけれど、でも、時には「太陽や月やその他の自然が織りなす一瞬」を感じる時間を持った方が豊かですね。
憂いは、過去に起きた出来事を後悔したり、未来に不安を感じたり、いずれにせよ、「今、ここ」でないことは確かです。
ネコたちは、「今、ここ」にいるからこそ、伸びやかなのでしょう。

最後のページの写真が、またステキなので、紹介します。海を眺めているネコのシルエットです。(「明日があります。」というコメント付き。)




人とのつながり
2017/03/29
明見美代子さん(一般社団法人なら人材育成協会)との対話  
昨日は、以前から約束していた、一般社団法人なら人材育成協会の統括責任者である、明見美代子さんを訪ねて、奈良県高市郡高取町まで車を走らせました。ナビをかけると38㎞と出て、所要時間は約1時間半でした。生駒から南下して平群(へぐり)を通り、王子を通り、大和高田市を抜けて行きました。

なら人材育成協会は、「若者支援ー居場所企画ー」「就職支援ー中間的就労サポートー」「障がい者支援ー就労移行支援事業ー」を大きな柱としています。HPには次のような理念が載せられていました。


「人づくり」「まちづくり」をテーマに地域の資源や特性を生かした活動や就労、自立をめざす高齢者、障がい者、若者、女性等の学習の場や実践の場として活動できる環境づくりを行い、地域社会の健全な発展を寄与することを目的としています。

現在の主な事業として、奈良県中間的就労サポート事業委託事業を行っており、直ちに一般就労に就くことには困難がある若者に対して就労の経験を積むための「場」を設け、一般就労に向けた支援を行っています。


生駒で行われていた、不登校児童、生徒とその親、そしてその支援者を対象とした「親子セミナー」に1月、2月と参加して、主催者である「なら人材育成協会」に興味を持ち、その場にも来られていた明見さんと二人で話がしたくなって、訪問することにしたのです。

平成25年6月にスタートした協会で、もうすぐ4年、という割には事業の幅が広くて、馬に関わっての障がい者支援(乗馬、馬の世話)は、町役場にお勤めだった20年前からお手伝いされていて、主宰者の引退を機に引き継がれたそうです。なるほどそれで…と納得できました。町役場は5年前に早期退職されたとのこと。

12時過ぎに到着して、「結家(ゆいえ)」と名付けられた「居場所兼食事をとる場所」に案内され、そこで昼食となりました。部屋がたくさんある一軒家なので、そのまま別室で明見さんとのお話となりました。

「なぜ、こういった『出会いの場』を作ろうと思われたのですか?」私が一番知りたかったのは、そこでした。ポロリポロリと、ご自身の生い立ちを話されました。話されたことだけが全てではないでしょうけれど、相当にお辛かったであろうと思われるものでした。「親は私を気遣ってくれなかったけれど、別の人から暖かいものを受け取って、今の私がいる。だから、困っている人がいれば、放っておけなくて…」

そうなんですね…。それであなたの眼差しはそんなにも穏やかなのですね。

協会とは別に、介護ヘルパーの事業もされているそうで、それは、障がい者のお母さんの働く場を、ということで作られたようでした。「お母さん支援」というところで共通する想いを共有できました。

「介護ヘルパー」事業も、やはり人が複数集まると、人間関係のトラブルも発生するようで、お話を聞いていて「アサーション・トレーニングが必要ですね。アサーションっていうのは、相手も自分も否定しないで自己主張する、というコミュニケーションの方法なんです」というと、是非、講座を開いてほしいとのこと。…ということで、6月にまた伺うことになりました。

「アサーション・トレーニング」は人間関係のトラブルが頻繁に起こった高校で、「国語表現」という科目で、7時間ぐらいの単元を組んだことがあります。まあ、それを大人用にリメイクしようかと考えています。(「例」のシチュエーションを高校生バージョンから変えないといけませんので。)あと、2時間枠に収まるようにコンパクトに。

あれやこれやの話をしていたら、時間はあっという間に過ぎて、着いてから3時間近くになりました。夕ご飯を作らないといけない私は、そろそろおいとますることにしました。

明見さんとは、「同学年」だということが判明し(明見さんは早生まれ)、別れ際に今日のお礼を言うと「今後もよろしく! なんせ、同学年ですから…」と茶目っ気たっぷりに言われました。胸に暖かいものを感じながら、帰途につきました。

画像は、心斎橋筋の喫茶店。(昨日は話に夢中で、写真撮るの忘れました…)

子どもとの時間
2017/03/28
子どもとの時間(3)大学3年生  
昨日、子どもの成績が出て、卒業に46単位足りない、と、電話してきました。1年間に取れる単位は44単位なので、2単位足りない。「…留年?」「いや、検定資格を取れば、単位認定される。だから、まだ、決定じゃない。」…だそうです。成績が出れば、それを持って帰っておいで、と言っていたので、昨晩、帰ってきました。

朝4時半起きの私は、夜が早い。夜、いろいろ話をしようと思ったけど、私のおネムタイムがやってきてしまいました。

それでも頑張って、お風呂から出てきた子どもに、10時ぐらいから話を少ししました。「…今回は何単位落とした?」「…6単位」「…じゃあ、Kちゃん、『フル単位取得』は一度も達成してないわけね? …だったら、4年生で、前期も後期も『フル単』で、資格試験にチャレンジして、卒論書いて、その上就活って…ムリだと思う。」

決めつけるのもどうかと思ったけど、それを切り出すのに逡巡したけど、でもどう考えても2兎も3兎も追っている気がして、「二兎を追うものは一兎も得ず」「虻蜂取らず」とか…いろいろ言うでしょ? と。

「…うん。知ってるよ。だったら、前期は就活しないで、前期にフル単取れたら、就活続行することにしていい?」「…それはいいけど、でも、3年の終わりに単位が足りてない人がどんな風にして卒業していったか、就活をどんな風にしたのか、留年した人の就活状況とか、情報を集めないと。そんな話は大学のどの課に相談すればいいの?」「…教学センター、かな?」「だったら、電話してアポ取って。私も話を聞きに行くから」「…それ、4年の前期終わってからじゃ、ダメ?」「情報は、早い方がいいの。考える時間が取れるから。無駄になるかもしれないけど、その時はラッキーなこと。いい?人の話を聞いて、その通りをするんじゃないの。人の話を聞いた後、自分はどうするのかを考えるの。自分はどうするかを選ぶの。早く情報を得た方が、選択の幅が広がるでしょ?」

「この歳になって、親が大学に電話するのもどうかと思うでしょ? 自分で電話しなさい。どう言ったらいいか、今晩中に考えて書き上げてごらん。明日朝、見てあげるから。それから自分で電話する。私は、ついていくだけだからね。自分で何を聞くか箇条書きにしておくこと。」

そう言って昨日は休みました。今朝は8時には起きると言ってたので、続きはそれからです。子どもの帰る日時が三日ずれたので、私は今日の日中、人と会う約束があります。10時には家を出ないといけないので、それまでの時間に子どものメモ書きをチェックしようと思います。

今日の夕食は、子どものリクエストで「鶏肉のカレー煮込み」。鶏のもも肉丸々を強火で焼き、日本酒で蒸して、その後カレー粉を二種類以上加えて煮込みます。セロリを丸々1本煮込みに使います。…これは若い時に自分で考えた料理なのですが、これが食べたいみたいです。うちの子どもの「おふくろの味」は「肉じゃが」ではないのですね…。

じゃあ、夜を楽しみにしててね。

画像は3ヶ月の頃の杏樹(アンジー)。子どもが帰ってくると、飛び跳ねて喜びました。

絵本の世界
2017/03/27
ちょっと変わったビジュアルブック〜谷川俊太郎 詩/吉村和敏 写真『あさ/朝』〜  
ちょっと変わったビジュアルブック。「あさ」の表紙から読むと絵本、「朝」の表紙から読むと詩集、という体裁です。

絵本側は、「だれよりもはやく めをさますのは そら」から始まり、「おひさまのてがふれると よるははずかしがって あかくなる」と続きます。夜明けの一瞬一瞬を、刻々と変わる、その色合いを留めた写真とともに、「朝の進行」を描写していきます。

詩集側は、谷川俊太郎の朝の詩のオンパレード。まずは「朝  1」という詩から始まります。


    「朝  1」

  朝は曇りたり
  雲厚く過ぎたる夜を隠せり
  かくして今日もはじまりぬと
  幼い希(のぞ)みは呟くのだがーー

  始まるに時なく所なし
  私が生き
  私が日日を殺してゆく
  ただ心のみをあふれさせて

  私はあふれる心を信ずる
  その無意味な涙を私は信ずる
  不安や証しについて何ひとつ知らぬままに
 
  朝は曇
  万象  未だ夜を残して黙する中に
  心あふれたり貧しきものの心あふれたり       (初出『六十二のソネット』東京創元社)


引き続き、中学校の教科書教材にもなった「朝のリレー」。


      「朝のリレー」

  カムチャッカの若者が
  きりんの夢を見ているとき
  メキシコの娘は
  朝もやの中でバスを待っている
  ニューヨークの少女が
  ほほえみながら寝がえりをうつとき
  ローマの少年は
  柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウインクする
  この地球では
  いつもどこかで朝がはじまっている

  ぼくらは朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば交替で地球を守る

  寝る前のひととき耳をすますと
  どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
  それはあなたの送った朝を
  誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ      (初出『谷川俊太郎詩集』(日本の詩人17)河出書房)

アリス館から2004年初版で発行されたものですが、2011年の第27刷版が手元にあります。奈良の友人からのお誕生日プレゼントでした。





工藤直子の詩
2017/03/26
見えないことづけを伝えるために〜工藤直子の詩「あいたくて」〜  
一昨日の夕方、杏樹(アンジー)のお散歩の途中で近くの小さな公園に寄ったら、よちよち歩きの女の子がお母さんと一緒にいて、アンジーを見つけると、にっこり笑って近づいてきてくれました。
アンジーも大喜びだったのですが、後足で立ち上がるとアンジーの方が大きいくらいなので、飛びついてはいけないとちょっとアンジーを制止しました。
お歳を聞くと、1歳になったばかり、ということでした。
アンジーに手を伸ばしてくるその女の子を見ていて、工藤直子の「あいたくて」という詩を思い出しました。
「読書への誘い」の第36号で紹介したものです。

続き
詩の世界
2017/03/25
フォークソング「海風」  
名古屋のライブハウス「馬車道」まで桑野聡さんに会いに行った時、マスターに「フォーク、聴くの?」と聞かれて思わず「いえ、全然!」と言ってしまって、そこは「フォークソングの館」だったのに申し訳ないこと言ったなあと反省しています。(根が正直なもんだから、マスター許してね。)それがきっかけとなって、私の好きなフォークソングってなんだろう?と思った時に、「風」というユニットの「海風」を思い出しました。

    海風  吹いてた
    あの頃いつの時も
    潮の満干に
    すべてを感じて
    幼な心に吹いてた

    淋しい時
    とても淋しい時
    今もぼくのなぐさめに
    吹くのは 海風
 
確か…この曲を初めて聞いたのは、高校の文化祭で誰かが歌ったものだったと思います。(…誰が歌っていたんだろう? コラムに書いたら、同級生が教えてくれるかな?)サビの部分しか記憶になくて、(なんせ、30年以上前の記憶!)YouTubeで検索したら、伊勢正三さんの演奏が出てきました。

イントロもカッコよくて、全然古びてない! と思いました。…でも、「フォークソング」のイメージとちょっと違うような…。「フォークソング」って聞いて、他に思いつくのは「なごり雪」とか「神田川」とか、ちょっとナイーブな感じがつきまとうのですが。

伊勢さんのは、ナイーブの方向性が違うのでしょうか? もう少し、カラッとしていて、私の好きなボサノバの乾いた感じと似ている気がします。「淋しい時  とても淋しい時  今もぼくのなぐさめに  吹くのは 海風」だなんて。なんて、いい詞!これは、歌詞というより「詩」ですよね。ちょっと、伊勢さんの歌詞をあれこれ調べたくなってきました。

今度さーくん(桑野聡さん)に会ったら、この曲をリクエストしてみようっと。

画像は、階段を上から見下ろした角度でのもの。ロートレックのリトグラフはヤフオクで買ったもの。「初版」という触れ込みだったのですが(そうだとすれば、100年前!)、格安だったので、私は怪しい、と思っています。

追記)調べたら、「なごり雪」も伊勢さんの曲だったのですね。「雨の物語」とともにイルカの歌だと思ってました。(私は「雨の物語」も好きです。)…ということは、伊勢さんには結構ウェットなものと、ドライなものとがあるということでしょうか…?





アロマオイル
2017/03/24
今日はアロマアドバイザーの試験日  
今日は、ナードジャパンの「アロマアドバイザー」の試験の日です。最後のレッスンから2週間後、と決められているそうで、今日が2週間後になります。最後のレッスンから1週間後、「メディカアロマ」の中田先生は、わざわざ「試験対策講座」を開いてくださったのでした。

それでやっと、1週間前にエンジンがかかったのですが、途中、知多半島を走ったりしたせいで(2日間の走行距離は470㎞だった…)、帰った日には(夕方5時に辿り着いたけど)、ご飯食べたら7時半にはもうおネムで、翌朝5時半まで10時間も!眠り続けたけど、やたらと肩、首が主張して、なんだかテキストを開く気になれなくて、そのままズルズルと2日間を過ごして、本格的に「やらなきゃ!」となったのが、木曜日。昨日であります。

旅行にテキストとノートを持って行ってた、なんて、まるで高校生みたいなんだけど、結局、一度も開かず仕舞い。

昨日やっと、14種類の芳香成分類ごとに、「芳香成分類の主な作用」と「芳香分子の固有作用」をまとめ、40種の精油がどこに位置付くのかを整理しました。我ながらうまく整理できたと思うのですが、これを覚えるとなると、はあ…タイムオーバーかな…。14種類の芳香成分類を挙げてみます。(これが試験範囲の全てでないのが悲しい…)

    1 モノテルペン炭化水素類…オレンジスィート、ベルガモット、レモン、ユーカリラディアタ、サイブレス、他
         ①  樹木から採る精油や柑橘系果皮から採る精油に多く含まれる
         ②  イソプレン(C5H8)が2つ結合したC10H12の芳香分子
         ③  分子量は136。分子量が小さいため、揮発性が高く、皮膚への浸透もしやすい。

     2 、3  セスキテルペン炭化水素類…カモマイルジャーマン、パチュリー、イランイラン
         ①(ー)に帯電すると、鎮静作用や抗炎症作用をもち、(+)に帯電すると、強壮作用や刺激作用を持つ
         ②  イソプレン(C5H8)が3つ結合したC15H24の芳香分子
         ③  分子量は204。モノテルペン炭化水素類より分子量が大きいので、揮発性低く、皮膚への浸透もしにくい

     4 モノテルペンアルコール類…ゼラニウムエジプト、ローズ、プチグレン、ラヴィンツァラ、ネロリ、パルマローザ他
         ①  モノテルペン炭化水素類の基本骨格に官能基のーOHが付いた分子
         ②  抗菌作用や抗ウィルス作用、抗真菌作用が強く、かつ皮膚への刺激が少ない

     5  セスキテルペンアルコール類…ネロリ、パチュリー
         ①  セスキテルペン炭化水素類(イソプレンが3つつながったもの)の基本骨格に官能基のーOHが付いた分子
         ②  ネロリに含まれるネロリドール、パチュリーに含まれるパチュロールなどがある
         ③  ホルモン様作用(主にエストロゲン様)があるため、禁忌事項がある

     6  ジテルペンアルコール類…クラリーセージ
         ①  ジテルペン(イソプレンが4つつながったもの)の基本骨格に官能基のーOHが付いた分子
         ②  クラリーセージに含まれるスクラレオールがある
         ③  ホルモン様作用(主にエストロゲン様)があるため、禁忌事項がある

     7  エステル類…プチグレン、ベルガモット、ラベンダーアングスティフォリア、ジャスミン、ウィンターグリーン 他
         ①  ラベンダーアングスティフォリアやプチグレンなどに含まれる酢酸リナリルがある
         ②  主に肉体や神経系を鎮めるような作用が特徴

     8  ケトン類…ラベンダースピカ、ローズマリーカンファー、ローズマリーシネオール、ヘリクリサム、ペパーミント
         ①  脂肪溶解作用があり、ダイエットを目的としたブレンドに用いられる
         ②  神経毒性や堕胎作用(流産惹起作用)を持つ成分のため、この成分を多く含む精油には禁忌事項がある

     9  フェノール類…クローブ、オレガノ
         ①  抗菌作用が強い
         ②  皮膚刺激が強いので、十分に希釈して使用する(10%以下)。飲用が安全。

   10  フェノールメチルエーテル類…バジル、イランイラン
         ①  バジルに含まれるチャビコールエーテルが含まれる
         ②  鎮痙攣(けいれん)作用が強い

   11  テルペン系アルデヒド類…ユーカリレモン、リトセア、レモングラス
         ①  リトセアやレモングラスに含まれるゲラニアールやネラールがこのグループ
         ②  抗炎症作用が非常に強い(肩凝り、腰痛によく効く)
         ③  皮膚刺激が強いため、この成分を含む精油は十分に希釈して使用する(50%以下)
 
    12  芳香族アルデヒド類…シナモンカッシア
         ①  シナモン・カッシアに含まれるケイ皮アルデヒドなどがこのグループ
         ②  抗菌作用が強いことが大きな特徴。(飲用が効果的)
         ③  皮膚刺激が強いので、この成分を多く含む精油は十分に希釈して使用する(10%以下)

    13  酸化物類…ユーカリラディアタ、ラヴィンツァラ、ラベンダースピカ、ローレル、カモマイルジャーマン 他
         ①  ユーカリ・ラディアタやラヴィンツァラなどに含まれる1,8シネオールがこのグループ
         ②  去痰作用、抗カタル作用など呼吸器系に関連する作用が特徴

    14 ラクトン類…ベルガモット、レモン、グレープフルーツ、柚子、ライム
       <スキンケア利用に注意を要する芳香成分類>
         ① 光感作(光毒性)作用:フロクマリン類
                皮膚塗布してすぐに直射日光(紫外線)に当たるとシミになることがあるため、塗布後4〜5時間は直射日光に当たらない。
         ②  皮膚刺激
                 皮膚を荒らす危険性があるので、十分に希釈して使用する。

試験は、10時半。試験まであとわずかですが、今から頭に詰め込みます。(…大丈夫?  …なんともはや…)

画像は、一昨日にランチをした、淀屋橋の洋食屋さん。地下に降りて行きました。
   
     

宇多田ヒカル
2017/03/23
宇多田ヒカル❤Love (4)  
宇多田ヒカルの最新アルバム「Fantôme」の最初の曲は「道」という作品なのですが、何時ぞやの「Songs」という番組で彼女自身が話していたように、母藤圭子を「自分の原点だと感じている」ということを素直に表現したものです。

    私の心の中にあなたがいる / いつ如何なる時も
    一人で歩いたつもりの道でも/ 始まりはあなただった
    It's a lonely road /  But I'm not alone 
    そんな気分

    どんなことをして誰といても / この身はあなたと共にある
    一人で歩まねばならぬ道でも / あなたの声が聞こえる
    It's a lonely road /  You are every song
    これは事実

    私の心の中にあなたがいる / いつ如何なる時も
    どこへ続くかまだ分からぬ道でも / きっとそこにあなたがいる
    It's a lonely road /  But I'm not alone 
    そんな気分
 
8ビートの軽快なリズムに乗せて歌い上げられていくのですが、サビの部分を並べてみると、「あなた」の存在は、言うならば「神」と同じー神格化ーされている感があります。
傷ましい亡くなり方をしただけに、逆にこのような位置付けをすることで、彼女は母の死を乗り越えようとしたんだろうか、という気がしました。

続き
絵本の世界
2017/03/22
『リトル ターン  Little Tern』  
ブルック・ニューマン作、リサ・ダークス絵、五木寛之訳で、2001年に集英社から出版された絵本です。
当時、五木寛之訳ということで、大々的に宣伝されていた記憶があります。
「リトル ターン」とは「小アジサシ」のこと。
ある小アジサシが、或る日突然、飛べなくなって…ということで物語は始まります。

主人公の小アジサシの「ひとり語り」という形で進んでいくのですが、この小アジサシくん、やたらと理屈っぽい。
非常に哲学的に自己分析していくのです。
あれこれ、翼、羽、脚…と自分の「部品」をチェックするのですが、どこも異常なしという結果で、そして早い段階で、次の考えに辿り着くのです。

「そして結局、ぼくは、自分の内面が壊れたとの結論に達したのだ」

…まあ、こうなると、小アジサシ、と思わない方がいいですね。
小アジサシの姿をした人間、とでも。
そして、「飛べない生活」に突入した彼は、飛んでいた頃には気づかなかったあれこれを発見していきます。
そうして、どのようにして飛べるようになったか。…ネタバレになってはいけないので、ここでやめますが、この哲学的な小アジサシに、私は不調に陥った人間の姿を見ました。

これまで当たり前にやってきたことが、ある日突然、理由もわからず出来なくなる。
何がいけないのかと、あれこれ探ってみるけど、一向にわからない。
身体はどこも悪くない、ということしかわからない。
ただ、焦りだけが自分の中で一杯になっていく…。そして、焦れば焦るほど、アリ地獄にはまり込んだアリのように、もっと足を取られて身動きできなくなっていく…。

この小アジサシが賢明なのは、どこも悪くないとわかった後、無理矢理飛ぼうとしなかったことですね。
地面に張り付いた生活を始めたことです。
その生活で発見したことを元にまた、飛べない自分について考える。
これはまるで、「おこもり生活」と同じですね。
学校に行けなくなったら、学校に行くことばかりを考えるのではなく、「学校に行かない生活」の中で、あれこれ考える、というのもアリなのではないか、と問われている気がします。
訳者のあとがきの一部を紹介してこのコラムを終えたいと思います。

「思うに、二十世紀は高く飛ぼうとする時代だった。
いまは逆に飛べなくなって呆然としている鳥たちの時代だ。
そういう時に、この物語が登場するというところがおもしろい。この本は必ずしも多くの普通の人に読まれる本ではないのではないか。
飛べないことで悩んでいる人、急に飛べなくなって困惑している友に、この一冊をそっと手渡したい。」

母との暮らし
2017/03/21
知多半島の海岸で  
昨日は朝から知多半島の南端に日の出を見に行ったあと、宿に戻って朝食を取って、それから伊勢湾沿いに車を走らせることにしました。
一昨日は、西念寺での彼岸会法要の後の講話を聞いたあと、高校時の同級生(実は、小、中、高と一緒だった!のに、一度も同じクラスでない)の歌を聴きにライブハウスに立ち寄りました。名古屋市を出るのが少し遅くなって、高速道路で知多半島の南端まで走ったので、まるで海岸線から離れた山の中、でした。甘いものより煎餅類が好きな母は、途中で「えびせん」を売っているらしいよ、という情報をあげると、「欲しい!」と。「そっち側通って帰ろうよ!」と大いに乗り気。「…花より団子、景色より食い気…」と呟きながら、「なんて?」と聞く母に「なあんにも」と答えながら、出発しました。

よく晴れて、ほとんど雲がかかっていない青い空を眺めながら、ゆっくりと車を走らせました。

途中、砂浜に降りられる場所があったので、車を止めて、歩いてみました。「杏樹(アンジー)、波にどうするかな?」と母が好奇心満々で、それで、波打ち際を歩かせることにしました。実は、4ヶ月ぐらいの子犬の時に、山口の周防大島に連れて行っているのですが、でも、記憶ないかなあと思ったら、やっぱり海の記憶がないようでした。引く波に釣られて追いかけて、でも、寄せる波にびっくりして逃げて、を何回か繰り返しました。

「ワンコってやっぱり三歳児なんやなあ!」と母はご機嫌で、「子どもとおんなじ反応するわ。」と大はしゃぎ。「…いやあ…、お母さんも同じやけど…。」と心の中で呟きながら、にこやかに「そうやね。」と返す私でした。

画像は、海水をなめてみたアンジーがペロリと舌を出しているところ。…辛かったでしょ?

ゲシュタルト療法
2017/03/20
西念寺 彼岸会での講話 「いのちの問題とどう向き合うか」  

ゲシュタルト仲間のかずりんがフェイスブックで「いいね!」していたので、何?と思ってチェックした、西念寺彼岸会での講話「いのちの問題とどう向き合うか」。

ちょうど母が「名古屋コーチン食べに行きたい!」と言ってきたので、じゃあ、連れてってあげるか、と思って「行く?」って聞いたら「行く行く!」と二つ返事で返ってきました。「私は西念寺での講話を聞きたいから、その間、別行動する?」と言ったら「そんな…知らんところで放り出されても…」と、一緒に講話を聞くということでした。

 

西念寺の住職さんがお話になるのかと思ったら、なんと、禅宗の住職さんがお話になるそうで、フェイスブックの紹介には、「岐阜県関市にある大禅寺のご住職で、僧侶の本業のかたわら若者を中心に、対面だけでなくネットやメールも使った独自の自死防止相談活動を行っておられる根本師にいのちの問題についてお話いただきます。当山住職も所属している『いのちに向き合う宗教者の会』の代表でもあり、ご一緒に活動させていただいています。」とのことでした。

 

宗派を超えて、ってなんか凄いなあ、と、それだけでも魅せられて、名古屋行きを決めたのでした。

 

それから杏樹(アンジー)連れでも泊まれるところを予約し、経路を調べて、176㎞、約3時間の行程であることがわかりました。

 

午後1時半過ぎから根本紹徹師の紹介が始まり、引き続き講話。印象に残った「体感年齢を伸ばそう」についてまとめます。

 

歳を取るほど年々、時間が早く感じるのは、行きてきた年数に合わせて時間は進むから。たとえば、2歳なら1/2の時間感覚で1年が過ぎるから長いけど、10歳なら1/10の感覚だから、5倍の速さになるし、20歳なら1/20になるから、2歳の時の10倍の速さ。皆さんは20歳を何回か繰り返された歳だから…、もう言わなくてもわかりますね。…と笑いを取りながらのご説明。

 

でもそういった時間感覚よりも、「慣れ」て心が動かなくなることの方がもっと影響が大きい、と。さっき、休憩時間に美味しいお饅頭をいただきましたが、これが、5個にもなると、最初の「ああ、美味しい!」という感動は薄れますね。…とこれまた、笑いを取りながら、「心が動かなくなる」というのが、いけないんです、と。

 

だから、思考を止めて、五感や感情を働かせることをしていきましょう、と言われました。…なんだ、ゲシュタルト(療法)と同じじゃない! 思考の働きを否定するわけではないけれど、現代人はそれに偏りすぎてるから、それを一旦手放すことを勧めるのです。…確か、チーム医療主催のゲシュタルト療法プレトレーニングのキャッチコピーも「頭のスイッチを切ろう   〜ゲシュタルトを学ぶ過程は、何かを学ぶことではなく、今まで学んてきたことを外していくこと〜」でした。

 

座禅も、読経もみんな、頭の中を空っぽにする作業なのです、と。速読を20分間行うと、鬱状態が改善されるそうです、とも言われました。さっきの読経、ちょっと速いなあと思われたでしょう? あれぐらい速かったら、ついていくのに精一杯で、何も考えてられないでしょう? と。

 

…そうか、仏教の「修行」のあれこれは、無心になる方法だったんだ、と気づきました。そういう「目的」が明確だと、宗派を超えることができる。山を登るのに、登り道はひとつではないのだから、と思いました。

 

思考に偏ることがなぜいけないか。ゲシュタルト療法のワークで「思考は、既に終わっているはずの過去にとどまったり、まだ起きてもない未来のあれこれを心配したり、『今、ここ』にいないことが問題なのです。『今、ここ』にいる自分を味わっていないことでさまざまな問題を作り出している。だから思考を止めるのです。」と言われたことを思い出します。

 

そうでした。私も子どもが「おこもり」して苦しかった時、「今しなければいけない仕事」が救いでした。考えても考えてもどうしようもないあれこれは、過去に「こうしていれば…」という後悔や「これからどうなるの?」という未来についての不安に基づいていました。だけど、それをストップさせるのが難しくて、苦しみました。

 

「考えるの、やめたら?」というアドバイスは全く意味をなさない。気づけばもう考えているのだから。だから「心がけ」的なことでなく、具体的な座禅とか読経とか、そういったことが有効なのですね。ゲシュタルト療法の「気づきのワーク」や、ボイスアートのさまざまな呼吸法と同様に。

 

そして、ゲシュタルト療法のワークにはファシリテーターがいてくれるように、座禅や読経にも「お坊さん」がそばにいてくれるのですね。ひとりで行うのではなく、寄り添う人がいてくれる、というのが、そもそも「救い」のような気がしました。

 

「体感年齢を伸ばそう」とは、「心が動く=体感」することで、それぞれに決められた寿命を伸ばしていきましょう、という意味でした。それは、自分の人生を深く味わう、ということですね。限りある命ですが、一瞬が永遠につながるほど「心が動い」たならば、それは寿命を伸ばしていることと同じ、ということですね。と私は理解しました。

 

仏教の宗派を超えるだけでなく、心穏やかに、満たされた自分を生み出す方法として、ゲシュタルト療法も呼吸法も繋がってくる!ということは、私にとって限りなく嬉しい発見でした。

 

 


心理療法
2017/03/18
KSCC統合的心理療法セミナー(5)ーW講師による、ケース スーパービジョンー  
最後に、東豊先生と野末武義先生による「ケーススーパービジョン」に入りました。「臨床事例」は、「夫の定年を前にして、家事を教えようとする妻が、なかなか上手くならない夫に対して苛立ってしまう」というものでした。最初は妻一人でカウンセリングに来たけれど、「夫も連れて来ます」ということで夫婦でのカウンセリングになったということでした。

事例報告者から逐語的な記録が提示され、3パートに分けて、随時に参加者から質問を受け付けたり、二人の講師からのコメントがあったりしました。(資料は、研修後回収)

まず、最初の部分で、東先生から「家族の構成メンバーが知りたい」との質問がありました。これは、「今後、誰がどう動く子どができるか?」を確認するためだと言われました。家族構成は夫婦以外に、長女、長男で、両方共30代。まだ結婚はしていない、とのことでした。仕事もしていて、両親には余り関わってこない、ということでした。

野末先生は、「夫は、どのように妻に言われて、それをどう思ってカウンセリングに来たのか?」と聞かれました。「妻から、もっとできるはずなのになかなか出来ない、それで困って相談に行きたい」と言われ、それに夫も同意している、とのことでした。続けて、「なんでこの段階で来たんだろう?」と質問されました。妻の両親は健在かどうか、聞かれました。つまり、「親の亡くなった年齢に近くなったら鬱っぽくなる人もいる」ということで、それを気にかけていらっしゃいました。「それともempty nest?」と言われたので、ん? empty nest?空の巣症候群? ああ、何か喪失体験を言われているのか、と思いました。妻の両親は、妻の最初の結婚時には健在だったようですが、上の子が生まれた時に亡くなった、とのことでした。ここで、妻は今の夫とは再婚で、姉は、先夫との間にできた子であることがわかりました。(夫は初婚)
その他、野末先生からは、「セラピストはふたりとも、うなづけることを最初に言うことが大切」という指摘がありました。

次の部分で、妻の夫に対するDVが出て来ました。すぐさま東先生から、「あなたはそのままカウンセリングを続けたのですか? 僕ならもうここでアウトですよ。」と言われました。継続するなら「暴力をしない、という契約のもとでセラピーを継続する」と。契約できないなら、セラピーは打ち切りだし、DV対策も含め、対応できるところにリファーする、と言われました。

東先生の強い語調に、私を含め参加者は、ちょっと、え? という反応だったと思うのですが、引き続き先生が「だって、そうでしょう? これが、夫から妻への暴力だったら、皆さんすぐにDV、と思って対応するでしょ? なのに、妻から夫ならいいんですか? まあいいか、になるんですか? それは、明らかにジェンダーバイアスがかかっているでしょう?」と言われて、ハッとしました。

「皆さん、よろしいですか、セラピストの陥りやすい間違いは、共感することを訓練されているから、『この人もこの人なりの傷つきがあるのだから、と暴力を甘く受け止めてしまうことですよ。『受容』『共感』に反すると思うからでしょうか?」

「妻自身が、暴力的な家庭に育ったのでしたね。そうすると、『子どもの時に嫌だったことを、今自分自身がやっている。そのことをどう思うのか?』と妻に問うべきなんですよ。そうでないと不適切な養育の反復が起こる。」

「ダメなことはダメと言うことで、関係が深まるのですよ。」

野末先生からも「暴力を振るう前に何が起こっているかを見る必要がある。怒りの前に傷つきがある。『暴力を続けていると二人の関係を壊すことになるけれど、その覚悟はあるのか』と聞く必要がある。悪循環を作っているのは妻なのだから。」という言葉がありました。「『暴力を振るって、結果、何かいいことはあったのか?』とメタ認知させることも必要」と言われました。

さらに、野末先生からは、「もう少しセラピスト主導でいいのではないか? 夫婦合同面接と個人面接とを組み合わせ、妻の個人面接だけでするという選択があっても良かったのでは」とのコメントでした。「夫との個人面接では、どのように妻と関わるか、アサーション的な関わりを勧めること、また、『暴力を受けている、この関係でいいのか? どこまでそれに付き合うのか?』を夫に聞く必要がある」と言われました。

最後の部分からは、妻の躁鬱が疑われる状態が示され、参加者からも医療機関との連携はできないのか、といった質問もありました。

野末先生は「妻の鬱ってどんなものなのか、源家族の時のキズつき? 個人としてのキズつき? それを聞いてみて、本人が触れたくないようなら『なぜ触れたくないのか』と聞く必要がある」と言われました。野末先生が(これとは別に)合同面接のトレーニングを見ていて、傾向として「なぜ、それ以上聞かないの?」と思われることが多々あるそうです。クライエントの話される言葉だけを拾ってそのまま受け止めてしまう。「踏み込み過ぎ」を恐れるのか? と。

「エモーション・フォーカスト・セラピー」はそうじゃないはず。丁寧に関わるということは言ってないことに触れないことではない。それは本当の受容でも、本当の共感でもない。

また、「循環的に何が起こっているか」への気づきを促すこと、「結局は本人にとってプラスのことはない」に気づかせることも、「共感」になる、と。「クライエントの視野を広げる」こともセラピストに必要なことで、それは次へのステップになる、と。

他の事例として、「親に謝罪させたい」と要求してきたクライエントに対して、断った、という話をされました。「自分のやっていることが自分にとってプラスになっていない」ことをきちんと伝えたそうです。

東先生は、「限界設定が必要」という話をされました。それはまず、セラピスト側の問題として、「問題と思う意識が出てくるものは、自分が苦手としているものなんだ」ということだそうです。それは悪いことではなく、人間誰しもオールマイティーではない、とのこと。その場合、リファーできる関係機関を数多く持っているか、が大事だと。そして、リファーする場合は、クライエントにもそのことを聞くこと、と。

あっという間の2時間半でした。本当に考える視点をたくさんいただいた、実り多い時間でした。

画像は、自宅の階段。お気に入りのミュシャのリトグラフが、下半分になってしまいました。

補注)エモーション・フォーカスト・セラピー
感情とはいわば「自己の内なる他者」であり、自己を破壊するものにも自己を構成するものにもなりうる。EFT(エモーション・フォーカスト・セラピー)は、神経科学や基礎心理学の最新知見、「空の椅子の対話」「二つの椅子の対話」という特徴的な技法、多様な心理療法の統合によって、この感情という未知の領域を踏み分け、感情調整を試み、かつてない自分に変容するための好機(chance)としていく。EFTの創始者は、レスリー・グリーンバーグ。

補注に対する感想)う〜ん…エンプティチェアー(空椅子)は、ゲシュタルト療法ではなかった? レスリー・グリーンバーグって何者?  もうちょっと調べます。




心理療法
2017/03/17
KSCC統合的心理療法セミナー(4) ー野末 武義 先生 ③ー  
個人面接と夫婦・家族合同面接の比較をするにあたって、まず、それぞれの「メリット」と「難しさ・留意点」を整理されました。それは次のとおりです。

<個人面接のメリット>
  ・  目の前にいるクライエントの語りに集中することができ、観察も複雑ではない。
  ・  信頼関係を築くことはさほど難しくない。
  ・  クライエントは家族の反応を気にしないで自由に話をすることができる。
  ・  セラピストは、クライエントと家族との葛藤や衝突に直接介入する必要はない。
  ・  クライエントと家族との境界を明確にすることができる。
  ・  セラピストは、自分の価値観とクライエントの価値観が違っていたとしても、クライエントに合わせて尊重することはさほど難しくはない。

 <個人面接の難しさと留意点>
  ・  クライエントが語る家族像や家族との関係は、あくまでもそのクライエントにとっての心的現実であり、実際の人物や関係とは異なることが珍しくない。
  ・  クライエントと家族との実際の関係やコミュニケーション・悪循環を観察することができない。
  ・  クライエントと家族とのコミュニケーション・悪循環に直接介入できないので、クライエントが変化するしかない。
  ・  クライエントの感情や認知が変化しても、家族との関係は変わらないことがある。
  ・  クライエントの肯定的な変化は、家族には否定的に捉えられることがある。
  ・  セラピストがクライエントやパートナーとの関係に与えている影響を意識化しにくい。
          ①  うなずきもクライエントに影響を与える。
          ②  セラピストとクライエントが秘密を共有することによるパートナーの排除
          ③  見えない三角関係に巻き込まれる危険性:セラピストが促進する離婚(therapist–assisted divorce)

いやあ…、これにはびっくり! でした。最初の「心的現実」は認識していましたが、それ以外の指摘は、ホント目から鱗、でした。特に最後の項目は、そうなのか…と、考え込んでしまいました。

<夫婦・家族合同面接のメリット>
  ・  一人ひとりの言い分を公平に聴くことができ、それぞれの違いも明確になる。
  ・  クライエントと家族の個人としての特徴や、コミュニケーション・悪循環を直に観察することができる。
  ・  セッションの中で夫婦・親子の関係や葛藤に直接介入し、変化をもたらすことができる。
          ①  語りの少ないメンバー、パワーの弱いメンバーの自己表現の促進
          ②  語りすぎるメンバー、パワーの強いメンバーの聴く姿勢の促進
          ③  より公平な関係へ:衝突・喧嘩から対話へ
  ・  複数のメンバーに同時に同じメッセージを伝えることができる。
  ・  関係の中での自己理解・他者理解・関係性理解の促進
  ・  セラピストの関わり方が、家族と関わる時のモデルとなる。
  ・  症状を抱えている個人のサポート資源として家族の理解や協力を得られやすくなる。

この中での私の発見は、「セラピストの関わり方が、家族と関わる時のモデルとなる」ということでした。…そうなんですね。セラピストは「関わり方のモデル」を体現しているのですね。…確かに。言われてみればそうなのですが、意識して考えていませんでした。

<夫婦・家族合同面接の難しさと留意点>
  ・  家族全員が同じ目的・動機・意欲で来談しているとは限らない。
  ・  家族と同席していることで、語りにくいことが生じる可能性がある。
  ・  複数のメンバーがいるので、より複雑な観察が要求される。
  ・  セラピストは、セッション中に生じる家族の葛藤・衝突に対処しなければならない。
  ・  葛藤状態にある家族とセラピストとの適切な距離の難しさ。
  ・  セラピストの価値観が家族のいずれかの価値観と似ていて他と大きく異なる時、セラピスト自身の感情的反応に気づき、その影響を適切にモニタリングしていないと、否定的な影響を及ぼす可能性がある。
  ・  もし、家族に内緒で一人で面接を受けに来たいと言われたら、どうしたら良いか。

「セラピストは、セッション中に生じる家族の葛藤・衝突に対処しなければならない」ことの補足説明として、「どのタイミングでとめるかか、が大事」と言われました。家族間の言い争いを、どの時点で介入してとめるか、という意味です。衝突がこれまで顕在化していなかったのなら、少し出させた方がいい、という判断もあり得るということか、と理解しました。

また、最後の項目については、「ケースバイケース」と言われながらも、「パートナーや家族にそのことを話していますか?」「どう言われましたか?」というように、パートナーや家族がそのことを了解していることを要求し、OKなら引き受ける、と言われました。特定の家族との「秘密を共有」することは、その後のセッションを続けて行く上で危険だから、ということでした。それで、「言いたくない」と言われたら、なぜか? と聞く、ということも言われました。

「セラピストの価値観が家族のいずれかの価値観と似ていて他と大きく異なる時」など、確かにそのことをうっすら意識はしていましたが、このように明確に言語化されて、問題がはっきり認識できました。

という流れから、「個人面接と合同面接の併用」(Feldman,1992)を紹介されました。

    ・  対称型:合同面接と個人面接を交互に同じ頻度で実施する。
    ・  非対称合同面接主導型:合同面接をより多く行い、それよりも少なく個人面接を組み入れる。
    ・  非対称個人面接主導型:個人面接を主とし、合同面接を組み入れる。

印象に残ったのは、最後の先生の補足説明でした。特にパートナとのセラピーについてです。「セラピーにくるから関係を維持したいと考えているかどうかは定かではない。修復したいかどうかもわからないから、確認したくてくる場合もある。」なるほど。全くそうですね。最初からセラピストが「関係修復したいのだろう」と決めつけてはいけませんね。その辺りのクライエントの心のひだを丁寧に聴き取って行くことが必要ですね。

この後、東豊先生と野末武義先生のダブル講師によるケーススーパービジョンが行われました。これは、次回。

画像は、自宅の玄関。「Rカフェ」のまねをして、昨年、奈良に帰った時に、壁に時計を取り付けてみました。


ボイスアート
2017/03/16
ボイスアート〜まや はるこ 先生〜  
昨日は、久しぶりに梅田まで、ボイスアートのレッスンを受けに行きました。JRの事故があったとかで皆さんの到着が少し遅れ、ボイスアートマスターのまや はるこ先生と二人きりの時間がありました。以前「自分のインナーチャイルドと出会う」ワークをした時に、私のインナーチャイルドを抱っこしてあげようとして、暴れられて困ったのですが、その時に私が「子ども時代の楽しい思い出が思い出せない」と言ったのを、先生は気に留めてくださっていたのです。

最近、雛人形を買いに行った話をして、結局というか、やっぱり、というか、「母の雛人形」を買った話をしながら、「私は今から母のインナーチャイルドを母と一緒に育てていこうと思っている」ことをお伝えしました。「それじゃあ、まさこさん自身は満たされるの?」と心配してくださるので、「う〜んと、母からはもう私のインナーチャイルドを満たすようなことを期待していない、というか、別に母からでなくても、他の人に母を求めてもいいような気がして。」と答えました。

そう…多分、大学生の時の私は6歳年上の同級生に「母」を感じたし、今は…まや はるこ先生に「母」を感じている。

なんだろう…そっと気遣ってくださる優しい眼差しに、ホント涙が出て来そうになるくらい安らぎを感じられるし、気遣ってくれる存在がある、というだけで、ああよかった、と思えるものなんですね。

レッスンの後、ちょっと照れながら「まや先生に私は『母』を感じるんです。」と申し上げ、ハグしていただきました。「そうですか、それでいいんですよ」と返していただき、私のインナーチャイルドも、穏やかに笑っていました。

多分…私がボイスアートのレッスンに通うのは、ボイスアートのワークそのもので自分が「からっぽ」になれるのと、まや先生に会いたいから、ですね。だからと言って、私はまや先生に依存しているわけではない。私の抱える問題は私の抱えるものとして自分で取り組みながら、だけど、ご褒美のように、「自分を気遣ってくれるまなざし」に会いに行くのですね。

私も人に「自分を気遣ってくれるまなざし」をあげられる存在になっていきたいと思ったことでした。

画像は昨年春の奈良の馬見丘陵公園です。

心理療法
2017/03/15
KSCC統合的心理療法セミナー(3)ー野末 武義 先生 ②ー  
野末武義先生の講義の続きです。

「3 相互作用システムの次元〜関係性を理解する〜」では、家族構成メンバーの関係を見る、次のような視点を提示されました。
    ・ 刺激と反応の連鎖、問題や葛藤をめぐる悪循環
    ・ コミュニケーション、境界、パワー
    ・ 堅固な相補性
    ・ couple dance (ex.追跡者と回避者のダンス Middelberg,2001/  怒る女性と引きこもる男性Simon,2012)

「カップルにおける相補性」とは、「感情と論理」の点において、妻は感情偏重で夫は論理偏重である場合が多く、これは「愛情飢餓の妻と冷淡な夫」という構図で説明されました。また「関係性と個別性」の点において、妻は関係性偏重で夫は個別性偏重である場合が多い。これら二つともバランスを取ることが求められるのに、いずれもどちらかに偏ることで、固定した二人の関係ができあがる。当人らは意識していないけれど、そういう二人の在り方で、双方の足らない部分を補い合っている、という意味で「相補性」と名付けられたのかなという理解を私はしました。しかし「相補」の意識は当人らにはなく、双方の「違い」(=違うこと)が問題とされていくのです。

次に、夫婦間の葛藤や緊張を回避するために、子どもなどの第三者を巻き込むことで表面的には安定する「三角関係(triangleが生まれるとの話になりました。この時の留意点として、次のことが挙げられていました。
    ・ 一般的に、母親が子どもと密着し、父親が疎遠になる
    ・ 巻き込まれた子どもに症状や問題行動が現れることがある
    ・ 母子関係のみに注目することの落とし穴

さて、その次に見られるのは「迂回連合(detouring coalition)」です。夫婦間の葛藤や緊張を否認し、子どもを問題とすることで表面的・一時的には夫婦は連合する、というのです。この時の問題として、次の点が挙げられました。
    ・ 子どもへの虐待、子どもの非行などの反社会的な問題
    ・ 子どもの問題解決、子どもとの分離に対する親側の不安と抵抗

う〜ん…、「子どもへの虐待、子どもの非行」が生じるのは、なんとなく理解できましたが、次の「問題解決することへの親側の不安」というのには、唸ってしまいました。…そうか、そうなんだ…。子どもの問題が解決してしまうと、今度は自分たちの問題に向き合わないといけなくなるから、限りなく不安になって抵抗するんだ…! この場合、「子は鎹(かすがい)」というより「子どもの問題は夫婦の鎹」ということですね。

「4 多世代家族システムの次元」では、まず「現在に生き続ける過去を理解する」視点として、次のことが挙げられました。
    ・ 世代を超えて伝達されるものは、個人内に内在化され、夫婦の・親子・他者との関係性に影響を及ぼし、次の世代に伝達される。
    ・ 源家族(夫婦それぞれの親との関係)・拡大家族の人間関係・葛藤や問題のパターン
    ・ 家族観・夫婦観・理想
    ・ (後述)破壊的権利付与・親役割代行
    ・原因・犯人を捜すのではなく、痛み・重荷・心理的遺産を共感的に理解し、負担を軽減する(世代間伝達・世代間連鎖から自由になる)

補足説明として、「世代間連鎖を断つ」ということも巷で言われるけれど、「断つ・切る」というのは、まだとらわれがある状態なので、「自由になる・とらわれなくなる」という方がいいということでした。「断つ」というのは「断たなければならない」と必要以上に、そのことを意識している結果の行動だからか…と私は理解しました。

「破壊的権利付与(destructive entitlement)」とは、源家族での体験として、家族とりわけ親から虐待や暖かい肯定的な関わりを受けることができなかった人(親の精神疾患・虐待やネグレクト・親の離婚や死別などはもちろん、もっと見えにくい小さな苦悩の積み重ねによることも)が、その後の人生でそうした苦労を誰かから理解され情緒的にサポートされなかった場合、次のようなことが見られるというのです。
    ・ 子どもやパートナーの欲求、感情、不安、考え方などに対する感受性や関心や配慮の欠如
    ・ 自分の言動が子どもやパートナーにどのような影響を及ぼしているのか、傷つけているのかについて自覚が乏しく、子どもやパートナーとの良好な関係を維持することの難しさ

この場合、そうならざるを得ない過去の体験が現在の否定的言動の根底にあることを理解し、過去の傷つきや痛みを受容し共感的に理解し応答することが必要であるとのことでした。

「親役割代行(parentification)」とは、家族の中で、子どもが(両)親に対して、きょうだいに対して、あたかも親であるかのような養育的な役割を取るような状況になること(短期的or長期的)で、物理的あるいは情緒的に親の面倒を見たり、親の夫婦関係に介入して葛藤を解決しようとする行動を指すようです。両親夫婦のストレスは拡散されますが、子どもが、結果的に自分自身の成長を犠牲にすることになるといいます。なぜなら、アイデンティティが混乱し、対人関係における孤立と融合を生むことになり、配偶者選択や夫婦関係・親子関係に影響するからだというのです。

「5 より大きな社会システムの次元」として、まず、社会的な文脈の理解が必要ということで、次のような視点が示されました。
    ・ 個人・夫婦・家族を取り巻くさまざまな社会システムや人間関係。ストレッサーにも資源にもなりうるもの。
    ・ 社会的経済的状況
    ・ 文化・差別や偏見
    ・ 職場システム・仕事(ex.夫の職場の特徴や子育て家庭に対する理解の程度、通勤時間も)
    ・ 地域社会・友人
    ・ マスメディア(映画・TV・インターネットetc.)
    ・ジェンダー(夫婦とは・仕事とは・浮気とはetc.)
    ・援助システム(専門家・非専門家)

さらに「ジェンダー:夫(父親)を理解し援助する難しさ」として次の6点。
    ・ うつ病の有病率は女性の方が高いが、自殺率は男性の方が高い:2005年の男女比は2.7対1(高橋,2006)
    ・ 男性は女性ほど自ら心理療法を求めない。(Gilbert & Scher,1999)
    ・ 男性は怒り以外の感情を隠蔽する。(中村,2000)
    ・一般的に心理療法では感情の表出が重視されるが,男性は女性ほど感情を表出しない傾向がある:標準的な男性の失感情症(Levant,1998)
    ・悩みを語ることや感情表現:男らしさへの脅威・恥の感覚(Wexler,2009)→妻・母親によって強化され悪循環に陥ることも
    ・ 男性は、セラピーの中で依存的な立場になることに抵抗を示したり、セラピストと競い合うことがある。(Worden & Worden,1998)

ここまでのまとめとして、次の4点。
    ・ 5つの次元は相互に関連し影響を及ぼし合っている。
    ・ どの次元に焦点を当てて介入するかは、心理療法の理論によって異なる。
    ・ どの次元に介入すると良いかは、ケースによって、また治療プロセスによって異なる。
    ・ ある次元に対する間接的な関わりが、他の次元に直接的な影響を及ぼすことがある。ex.子育てに関わらない多忙な夫
 
今日はここまで。次は「個人面接と夫婦・家族合同面接の比較」です。
画像は、広島市西区井口台のキッシュのお店です。



心理療法
2017/03/14
KSCC統合的心理療法セミナー(2)ー野末 武義 先生 ①ー  
関西カウンセリングセンター主催の「KSCC統合的心理療法セミナー」の午後の部は、明治学院大学心理学部の野末武義先生の講義でした。(野末先生はIPI統合的心理療法研究所にも関わっていらっしゃる方だということでした)「個人療法と夫婦・家族療法の統合」というテーマでお話しになり、「個人・夫婦・家族を理解するための5つの次元」を提示され、それぞれについて説明がありました。


「個人・夫婦・家族を理解するための5つの次元」

      1  客観化可能な事実の次元〜ライフサイクル(個人&家族)の視点〜
      2  個人システムの次元
            ①  一人ひとりを理解する
            ②  カップルにおける非合理的思い込み
      3  相互作用システムの次元〜関係性を理解する〜
      4  多世代家族システムの次元
            ①  現在に生き続ける過去を理解する
            ②  破壊的権利付与(destctive entitlement)
            ③  親役割代行(parentification)
      5  より大きな社会システムの次元
            ①  社会的な文脈の理解
            ②  ジェンダー:夫(父親)を理解し援助する難しさ

「1 客観化可能な事実の次元」とは、次のようなものです。
     ・ 個人の属性に関するもの(年齢・職業・教育歴・宗教など)
     ・ 結婚生活に関するもの(交際期間・結婚式・婚姻歴・子どもの有無・居住形態・離婚・再婚など)
     ・ 心身の健康状態(通院や入院など)
     ・ 何があったか(背景)、どのようなプロセスを経てきたか(発達と変化)、何を抱えてきたか、未解決か、今どのような状態か
     ・ 社会的機能(休職・頻回転職・未就職など)

それを、ライフサイクルから見ると、次の二つに分類できるというのです。
     ・ 状況的危機       …一部の家族しか経験しない、予測不可能な危機(家族の急死・事故・失業・災害など)
     ・ 発達課題的危機 …ライフサイクルの移行に伴って平均的な家族が体験する危機で、ある程度予測可能。個人のライフサイクル(エリクソン)+家族のライフサイクル(中釜他,2008)の2つの視点から見る

「2  個人システムの次元」では、まず個々人に対して、次のようなことを理解する必要性が説明されました。
    ・ パーソナリティスタイル(強迫性・演技性etc)
    ・ 感情・認知・不安
    ・ 自尊心・自己愛・防御機制・アタッチメントスタイル
    ・ 症状・問題・葛藤に対する認識の仕方
    ・ セラピー(セラピスト)に対するイメージ・動機づけ・期待・抵抗
    ・ 夫婦・親子・家族に対する価値観・思い込み
    ・ 親密さへの恐怖
 
ここで私は「親密さへの恐怖」に、少し? と思ったのですが、確か、生育過程における親との関係で、何か解決されていない問題を抱えていた場合、親密になることに対して無意識に恐怖を感じて、避ける行動を取ってしまう、というような補足説明がされたと思います。
「アタッチメントスタイル」は、エインズワース(Ainsworth)らの研究で、子どもと養育者の一時的な分離と再開というストレンジ・シチュエーション法による観察により、 乳児の アタッチメント・パターンを「安定型」「不安(アンビバレント)型」「回避型」の3つに分類したものです。親との親密度で乳児の反応パターンが変わるとされています。ここでは、それが成長後にどのような影響を及ぼしているかを取り上げているのだと私は理解しました。

「カップルにおける非合理的思い込み」とは、たとえば次のようなものです。
  ・ 結婚は人を孤独から解放してくれる
  ・ パートナーが自分のことを本当に愛しているのなら、気持ちや考えは言わなくても分かってくれるはずだ
  ・ パートナーとの間で葛藤はなるべく避けた方が良い
  ・ 夫婦であれば、言いたいことは何でも言うべきだ
  ・ 子育てについて夫婦で意見が食い違ったとき、どちらかが間違っている
  ・ 夫婦の関係が良いものになるためには、相手が変わらなければならない
  ・ パートナーが頼りにならないとき、子どもや実家の親に頼るのは当然だ

こういったことを頑なに思っていると「問題」になってくるというのです。「違うこと」が問題なのでなく、「違うことをどのように夫婦で共有できていくかが大切」と野末先生はおっしゃいました。なお、「察してくれて然るべき」というのは、何も日本文化特有のものではなく、カップルセラピーが生まれたアメリカにもあるとのことです。そこでも、「お互いの弱い(=悲しみ、怒り)感情を、どう上手く表現して受け入れられるか」が扱われている、とのことでした。

まとめ始めると長くなってきたので、一旦、ここで置きます。続きは、明日。(東豊先生のが長くなり過ぎた反省を踏まえて。)

画像は、3月11日にお誕生日を迎えた広島の友人に送った、プリザーブドフラワー。震災以降、お誕生日が素直に祝えなくなってしまった、と悲しんでいたので。(震災以前に生まれているものね、それはそれ、とお祝いに。)



心理療法
2017/03/13
KSCC統合的心理療法セミナー(1)ー東豊先生ー  
昨日は関西カウンセリングセンター主催の「KSCC統合的心理療法セミナー」に参加しました。全6回で構成されたセミナーの、最後の回ということでした。テーマは「統合的心理療法とシステムズアプローチ」で、家族療法家の二人の先生からの、それぞれ1時間半の講義の後、「W講師によるケーススーパービジョン」が行われました。

まず午前の部は、「会話で新しい現実を作るーシステムズアプローチ、家族療法、ブリーフセラピー」と題された、龍谷大学文学部教授の東豊先生の講義でした。今回の講義は、システムズアプローチの観点から
   ※「問題」とは何か
   ※ 効果的な援助とは何か
   ※ 効果的なコミュニケーションの方法とはどのようなものか
を明らかにする、という目的が明示されました。

東先生がシステムズアプローチの原理原則として示されたのは「『現実』は会話(相互作用)によって作られる。言い換えれば、作り変えることができる」ということです。私たちの身の回りにある「真実・現実」とは、人々があるものを「認識し(=注目し)」「思考し(=意味付けし)」「言葉にする(=コミュニケーションする・行動する)」というプロセスを経て、あたかもそれが「真実・現実」であるかのように構築されたものにすぎない、という社会構成主義の立場を取っているのです、と説明されました。それが、システムズアプローチの「哲学」だと。

そういう視点に立つと、「◯◯が原因である」、「◯◯が問題である」などといった現実もすべて当事者たちによって構成されたものである。それには、時代や文化の影響も大きい、というのです。ですから、
   1  何が当事者に注目され
   2  どのように意味付けされ
   3  どのようなコミュニケーション(行動)によって増幅されているか
を見ていくことで、親子、夫婦といった家族のシステムを硬直させているものが明らかにできる、というのです。

ここで、私にはゲシュタルト療法でおなじみの「図と地の反転の絵」が示されました。「どこに着目するかによって見えてくるものが異なる絵」です。これを提示しながら、東先生は「全部与えられている、全員、平等に。」という言い方をされました。与えられたもののうち、見る者・物によって全て(=現実)は変わる。それは、意味づけるものが違うからだと。

以上のことから、援助的関わりとは、会話によって当事者の「現実」を再構築(=脱構築)すること。これを治療的会話と言うのだそうです。ただし、この治療的会話とによって生み出される、新しい「現実」は、「希望」「安心」等につながるものであることが必要だと言われました。それは心理療法として当然のことですね。

現実の再構成(=脱構築)のために必要な技術とは、「ジョイニング」と「リフレーミング」。

Joining(ジョイニング)とは、相手に溶け込むこと、合わせること、その相互作用のプロセスを指す、とのこと。つまりは、相手の、既存の「構成された現実の」や「コミュニケーションのルール」を受け入れること。それには、技術よりも心構えが重要で、治療者側が「問題」を作らないこと。「Positive Connotation(ポジティブ・コノテーション)を持つこと、つまり、「常に相手を肯定的に見ること」が必要だというのです。

クライエントの価値観がどうしても受け入れられず、ジョイニングが困難な場合は、他の人にリファーすることが必要、と言われました。 どんな人でも万能ではなく苦手とするクライエントのタイプもある、そこを無理しないで手放すこと、それは恥ずかしいことでもなんでもない、と言われました。
確かに、自己一致してそこに存在することがセラピストの存在意義であるなら、手放すことがお互いのためなのだと素直に受け止められました。

Reframing(リフレーミング)とは、相手の枠組みを変えるための働きかけ、相手の「現実構成」を変える試み、その相互作用のプロセスを指す、とのこと。つまり、相手の注目点を変えてみることで意味を変え、「問題」をシフトしたり「原因」をシフトしたりすること。

実際の治療的会話は、ジョイニングとリフレーミングを行ったり来たりしながら、少しずつ「新しい現実(=新しい物語)」を作っていく、というセラピストとクライエントの共同作業であり、合意形成のプロセスである、と。

この後は、20分間の模擬面談のVTRを視聴し、夫婦で来られたクライエントに対して、どのような関わりが展開されていったかを見ました。これまで個人カウンセリングは経験あるけれど、複数人のカウンセリングは初めて、というカウンセラーさんがチャレンジされたものでした。どの辺りで行き詰まりに入っていったかを、途中、一時停止しながら検証しました。

設定は、子どもが就職して夫婦二人になって、今後何年かのちの夫の定年を見据えて、妻が働きに出たいというのを夫が拒んで、家庭内は険悪なので、なんとかしたいという妻の主訴でした。

このVTRで興味深かったのは、カウンセラー側の「気持ち」がカウンセリングに多大な影響を与えるということ。実際に後でカウンセラー役をされた方に聞いたら、夫に対して最初から「ああ、嫌なオヤジ、奥さんかわいそう」という感情を持ったそうなのです。そうすると、「夫婦二人がもめている」のではなく、「三人がもめている」、もっと言うと、「カウンセラーがこの二人をもめさせている」と見るべきなのだと。それはカウンセラーが「問題を作っている」のだと言うのです。「ああ、嫌なオヤジ」と思うから、問題が現象化してくる、と。だから、カウンセラーは、常に自分をモニタリングする必要があると。これが、最初に話された「治療者側が問題を作らない」ということの事例だったのです。

今回のケースでは、ケンカをさせない、ケンカになりそうになったら、どうブロックするかが課題だった、と言われました。それは、リフレーミングの邪魔になるから、だそうです。このケースでは、「理解のない夫」から「変化に弱い夫」にリフレーミングし、それを二人が納得すること。「変化に弱い夫」という見方を妻が共有してくれるか、という点に落とし込んでいく、と言われました。

VTRでは引き続き、20分で東先生がカウンセラーをして見せてくださるカウンセリングとなりました。
その際、夫婦二人を前にして「確認しておきたいのですが、離婚を考えていらっしゃる、ということはないですね? カウンセリングの目的は、お二人の関係をいいものにしていくこと、それでよろしいですね?」という確認をされていたのも印象的でした。このカウンセリングは、何のために行うのか、もちろん当初の目的と異なってくることもあるかもしれませんが、クライエント双方にとって合意できる地点をこのように確認しておくことは、嫌々ながら連れられてきた側のクライエントが、中断することにならない手立てとみました。

そのVTR視聴後に、今後の留意点として、「今回作った枠組みを絶対崩さないこと」を言われました。リフレーミングには必ず「揺り戻し」が来るけれど、決してそれに乗ってはいけない、今回作った「変化に弱い夫」を双方が受け入れながら、双方が自分らしく羽ばたいていけるように支援すること。

いやあ…ホント目から鱗、でした。VTRで、カウンセラー役が夫とのやりとりが行き詰まってきて、チラッと妻の方を見るのですが、先生は、「ほら、気づきましたか? カウンセラーが妻にアイコンタクトを送りましたね? それで妻の夫に対する攻撃がまた始まりましたね?」と、カウンセラーの何気ない(あるいは無意識の)行動が何を引き起こしたか、ということを見る視点もいただきました。指摘されないと気づきませんでした。

また、今回のケースでは、カウンセラーの価値観は別にあったとしても、カウンセリングの流れとして必要ならば、夫の価値観に同意してみせる(「我々の年代のような男にはありがちですよね」というような、夫に寄り添った発言)こともする、と言われました。個人カウンセリングの在り方からいえば、「誠実」でないという意味で、とんでもないことかもしれないですけど、と。

ですが、私はその後少し個人的にお話しに行って、「自己一致、を何に対してするか、という問題だと思うのですが、私は先生はシステムズアプローチを成立させるということを何よりも大切にされていて、それに対して自己一致されているんだと思います」と申し上げたら、「そういう理解の仕方は私にはなかったから、とても嬉しい」とおっしゃいました。

濃密な1時間半でした。

画像は、その後ランチを取った、会場近くの喫茶店です。


宇多田ヒカル
2017/03/12
宇多田ヒカル❤Love (3)  
宇多田ヒカルの最新アルバム「Fantôme」の中の、椎名林檎とのコラボ「二時間だけのバカンス」が「二時バカ」と略されて、30代女性に取り沙汰されているというネットの記事を昨日あたりに読みました。このCDはカウンセリングルームに向かう車の中でいつも聴いているのですが、私もちょっと歌詞が気になっていました。

朝昼晩とがんばる  私たちのエスケープ
思い立ったら吉日  今すぐに連れて行って
二時間だけのバカンス  渚の手前でランデブー
足りないぐらいでいいんです
楽しみは少しずつ

この辺りは、別に何ということもなく、ただ仲の良い、同じような立場の同性の友人と「ちょっと息抜き」タイムを作っているのね、ぐらいで聴いていたのですが、続く歌詞に  え? と思い、さらには えええ? となります。

優しい日常を愛してるけれど
スリルが私を求める

家族の為にがんばる  君を盗んでドライブ
全ては僕のせいです  わがままにつき合って
二時間だけのバカンス  いつもいいとこで終わる…

ほら車飛ばして  一度きりの人生ですもの
砂の上で頭の奥が痺れるようなキスして

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石垣りんの詩
2017/03/10
崖から飛び降りた女たちは…〜石垣りんの詩「崖」〜  
「森友学園」に絡んで、毎日新しい「ニュース」(=これまで知られていなかったこと)が報道されています。
首相夫人の阿部昭恵さんも、名誉校長だっただけでなく何回も訪れて、その教育内容を賞賛されていたようで、そのことも含め、国会での証人喚問を要求されていますが、「私人」だからという理由で、与党が反対しています。

フェイスブックで、阿部昭恵さんがマスコミに応じて発言した様子が動画で投稿されていましたので、私も観ました。
その中で、「私のような、何も出来ない人が…なんでこんなに注目を集めてしまってるんだろう」というような発言がありましたが、首相夫人が「私人」なわけないじゃない!首相夫人だから「名誉校長職」の依頼も来たわけで、と思いました。
その発言が、「両性参画型社会の実現」の集まりに呼ばれた場、というのがあまりにも皮肉だなあと思った次第です。

そんな阿部昭恵さんを観ていて思い出したのが、石垣りんの「崖」という詩。
「読書への誘い」の第12号で紹介したものです。

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絵本の世界
2017/03/09
村上春樹 作/友沢ミミヨ 画『またたび浴びたタマー究極の回文五十音かるたー』  
新作発表で今話題の村上春樹の回文作品集です。(新作発表と打とうとして、新作発砲と打ち間違えました。…でも、こちらの方がピッタリ、かも。あれこれ取り沙汰されて大騒ぎ、というのは相変わらず。)2000年第1刷、となっています。回文ですから、前から読んでも後ろから読んでも同じ言葉になるように作られています。

たとえば、「あ」は「ありばいがにがいばりあ」=「アリバイが苦いバリア」。次のページにこの回文から想像(妄想?)される小話が続きます。「アリバイが苦いバリア」は二人の刑事のやりとりが展開されます。…まあ、無理矢理こしらえたお話? という面もなきにしもあらず、ですが、回文カルタから、小話作ろう!という意欲は感じられます。

村上春樹が面白いもの出した、というので、出た当時すぐさま買ったのですが、さて、この本は第何刷までいったのかしら…?

装丁もちょっと凝った作りです。本全体を覆うようなカバーが付けられていて、裏返し文字でタイトルが入っています。                                                                                                                 



茨木のり子の詩
2017/03/08
子ともから大人へのなり方〜茨木のり子の詩「汲む」〜  
ボイスアートの講座で、どんどん自分の歳を遡って自分のインナーチャイルドに出会う、というワークをした時に、30代の私も20代の私も、そして小学生の私も、3歳ぐらいだった時の私も、自分の中に居るんだなあと気づき、少し驚いた記憶があります。

小さい時の私は、大人になるっていうのは、今と違う自分になることだと思っていました。
今と違ってもっと落ち着いていて、もっと賢くて、もっと上手にあれこれができて…。

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母との暮らし
2017/03/07
枚岡梅林への道行き  
3月4日、雛人形を買った後、月ヶ瀬の梅を見にいくことにしました。せっかく行ったのですが、一部満開のものがあったものの残念ながらまだもう少し、といったところでした。「枚岡の梅があるよ!」というので、次の日は生駒山を越えて観に行くことにしました。これまた残念ながら、昨年に全部切り倒されていました。なんでも、虫がついてしまった、ということでした。

生駒駅で「弁当買っていこうよ」と母に言われたのですが、私は「まあ、何か売ってるでしょ」と言って取り合いませんでした。枚岡の梅林跡には、同じように梅を見にきた人が何人もいました。梅がないけどしょうがないか、といった様子で、それぞれお弁当を広げていらっしゃいました。母はその人たちを横目で見ながら「だから、弁当買って持って来ようっていったのに…」と恨めしそうでした。

「まあまあ、そう言いなさんな」と言って、私はタブレットで食べる所を検索したのですが、枚岡駅近くには何もなく、隣の瓢箪山駅にはいろいろあることが分かりました。「一駅乗らないといけないけど、瓢箪山まで行こうよ」と誘って、瓢箪山駅まで行きました。

遅い昼食後、母が「アイスクリーム食べたい!」と言うので、商店街を探しました。途中、車椅子の老婦人に行き会い、その方が、連れていた杏樹(アンジー)に興味を示されたので、抱っこして連れて行きました。アンジーを抱っこしたそうだったので、膝の上に乗せました。アンジーは例のごとくワンコも人も大好き!ですから、ペロペロと大歓迎でした。犬がお好きだそうで、その方も付き添いの娘さんらしき人もとても喜ばれました。母も嬉しそうでした。しばらくしてお礼を言っていただいてお別れしました。「アンジー、いいことしたね。」とアンジーを褒めました。

お目当てのアイスクリームショップはなく、あとはマクドナルドしかありませんでした。「シェイクでもいい?」と言いつつ店内に入ると、期間限定の「マックフルーリーさくさく桜」という桜味のコーンフレークが入っているアイスが売っていました。「これにしよ!」と母は大喜びで、二つ買いました。

駅前のちょっとした憩いの場で座って食べながら、「枚岡の梅林、あんなことになってるなんてなあ。知らんかったわ」と言うので、「まあ、いいじゃない。予定外も楽しいでしょ? 瓢箪山まで来てご飯食べたり、アイス食べたりするなんて思っても見なかったけど、楽しいでしょ?」と聞くと、「うん、楽しい」と返事が返って来ました。

アイスを食べながら空を見上げると、穏やかに晴れていました。お昼ご飯の時も、アイスの時もじっと我慢しておとなしくしていたアンジーには、持って来たドッグフードを少しあげました。…ゆっくりと穏やかな時間が流れて行きました。

母との暮らし
2017/03/06
雛人形を買う  
今年の桃の節句も終わりましたね。ゲシュタルト仲間のともこさんが、ご両親からの雛人形を大事にされていて、その画像をアップされているのを見て、私の雛人形は確かネズミがかじったからもう捨てるよ、といつぞや母から言われたことを思い出し、今更なんですが、三人官女も五人囃子もいらないけどお内裏さまとお雛さまぐらいあってもいいような気がして、母にそう言ったら「ほんま? じゃ買いに行こうよ」ということになって、3月4日にお店に行きました。

シーズン後のお買い得狙いだったのですが、どのおひなさまを買うかで母と意見が分かれました。私は比較的こじんまりとしたものでいいと思ったのですが、そして、お人形の着物の柄などでこれがいいかなと思ったものがあったのですが、母は「私、これがいい。このお内裏さん、面長でよろしいやん」「でも、ちょっとサイズが大きいよ」「このお顔がいいの!私、面食いやから」と、譲りませんでした。

誰の雛人形?と思ったのですが、まあ、いいかと母の望むようにしました。

私の父も母も親の愛情に恵まれていなくて、だから私に執着したのではないかと私はある時から思っていました。私に何かを与える基準は、自分たちが親からして欲しかったことでした。

雛人形もなんだか「母の雛人形」のようになりました。でも、それでいいやと思っている私がいます。…そんな風になるような気が、実はしていました。

私は今から母のインナーチャイルドを母と一緒に育てようと思っています。そう思うと、そんなに時間はかからない気がします。母が生ききれなかった子ども時代を、あれこれ用意してあげたら、母はどんな風になっていくのか、80近くなっていても、80を過ぎても、本人が望むなら人は変わっていけるものではないかと思っています。ちょっと楽しみです。

画像は、その後に行った、月ヶ瀬の梅です。

詩の世界
2017/03/04
自分を取り巻く世界を見ること〜高野喜久雄の詩「鏡」〜  

いつぞや、テレビで「岩合光昭の猫歩き」が始まって画面にネコが大写しになると、急いでテレビの前に行き、「うおんうおん」と言い始めた杏樹(アンジー)に、「アンジー、それテレビだよ」と言ってもなかなか納得せず、やっと理解したかと思うと、今度はテレビ台のガラス戸に映った自分の姿に「うおんうおん」言い始め、そのうちその場を離れました。

テレビのネコはそこにいないとわかっても、ガラスに映った犬は、自分だとは分からなかったようです。

 

鏡に映った自分の姿を見て「自分だ」と認識するのは、「鏡像認知(鏡像認識)」と呼ばれていて、発達心理学の古くからの研究テーマの一つだそうです。

人間の場合にはだいたい2歳くらいから、この能力を獲得すると言われているとのこと。

 

この「鏡像認知」はかなり特殊な能力らしく、これまでに厳密なテスト(=「マークテスト」)をパスした動物は、チンパンジー、ボノボ、オランウータン、バンドウイルカ、アジアゾウ、カササギということです。

 

そんな「鏡」を題材とした詩をひとつ。「読書への誘い」の第32号で紹介したものです。

 

続き
幸せをおすそ分け
2017/03/03
「Piece of my  wish(希望のかけら)」〜10年前の歌の行方〜  
昨日のコラムで、今井美樹の「Piece of my  wish(希望のかけら)」を歌った思い出を取り上げました。ちょうど、広島県立湯来南高校で転勤されずにいらっしゃる音楽教員、藤原康行さんが、太鼓部4名を送り出した卒業式の写真をフェイスブックにあげられていたので、「卒業式、おめでとうございます」とコメントした後、「いつぞやは、ピアノ演奏していただいて、歌を歌ったなあ…なんて思いだします。」と続けたら、なんと、その後に、次のようなコメントが寄せられました。


      M.M      その時、在校生だったのですが

                   その歌ってもしかして

                   今井美樹の曲ですか??

                   いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 3月1日 19:49

     葛原昌子 …はい。「ピース オブ マイウイッシュ」です。

                   いいね! · 返信 · 3月1日 

      M.M       私、先生の歌を聞いて

                   とーっても感動して

                   大人になってからもしんどい時

                   その曲を聞いているんですよ〜。

                   いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 3月1日 20:12

      葛原昌子 え⁈ そうなの? 嬉しいなあ!

                    歌詞が好きで、どうしてもその歌を贈りたかったのです。…もう10年も前ですか…。

                    いいね! · 返信 · 3月1日 21:52

       M.M      ほんと励まされました!

                    感謝しております( ^ω^ )

                    いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 3月1日 22:09

ホント、びっくりしました。…そうか…在校生も聞いてくれていたものね。でも、こんな風に受け取って貰えているなんて思いもしませんでした。

「朝が来るまで泣き続けた夜も、歩き出せる力にきっとできる」という言葉から始まる歌ですが、私が一番好きなのは次の箇所です。
「愛する人や友達が 勇気づけてくれるよ。そんな言葉 抱きしめながら、だけど最後の答えは 一人で見つけるのね。めぐり続く明日のために」

これから先どんなことが起こるかもしれない。…いいことも、悪いことも。そして友達も恋人もいてくれて、心配してくれるかもしれないけど、だけど、最終的には自分で選んで歩いて行こう、と。自分の人生なんだから、自分で選び取っていこうね、と伝えたかったのです。

長く生きていると、ホント何が起こるかわかりませんね。でも、本当に嬉しかったです。…こんな風に人生は「希望のかけら」を拾い集めながら、なのかもしれませんね。

画像は、当時、歌詞を書いた裏に花束のつもりで印刷して、卒業生に渡したカードの写真です。



新川和江の詩
2017/03/02
のびやかに生きる〜新川和江の詩「わたしを束ねないで」〜  
昨日は3月1日、全国の高等学校の卒業式でした。
私にとって、教員を辞めても3月1日はやはり特別な日で、
卒業していく人たちに思いを馳せてしまいます。
10年前のこの日、2年間担任をしたのに3年目にクラス減となったあおりを受けて転勤となり、後ろ髪を引かれる思いで残した3年生を送りたくて、でも転勤先の高校でも3月1日は卒業式なので、その前日の予行の日に年休を取って広島県立湯来南高校に出かけ、密かに音楽担当の教員と練習した、
今井美樹の「Piece of my  wish(希望のかけら)」を歌った記憶があります。…もう10年経つのですね。

巣立っていく人たちに送りたい詩は、新川和江の「わたしを束ねないで」です。「読書への誘い」の第35号で紹介しました。

続き
幸せをおすそ分け
2017/03/01
太田川の川べり  
久しぶりに広島を訪れて、お昼にJR横川駅で子どもと待ち合わせして、ランチをしました。お好み焼きか⁈ と期待したのだけれど、子どもは焼肉屋さんを指定して、まあ、いいかと焼肉ランチとなりました。
そのあと、本通りに向かうのに南下して、太田川の川べりを散歩しました。いいお天気で、陽射しが眩しくて、ホント春の陽気でした。

川べりの樹々は桜で、まだ蕾さえついていない状態でした。

それでもお散歩にうってつけのお天気で、二人でゆっくりと歩いて行きました。今年に入って毎日コラムを頑張ってる、という話をすると、年末は、ルームをやめるような感じだった、と返されました。よく見てるんだなあと思いました。子どもって、相手はどんどん大きくなっていくから、親である自分との距離感が難しいようにも感じるんだけれど、その都度修正していったらいいのかな、とも思いました。

何も言わなくても、キャリーバッグを引いてくれるようになっていて、ちょっと嬉しかったです。

カウンセリングルーム 沙羅Sara

あなたはあなたのままで大丈夫。ひとりで悩みを抱え込まないで。

明けない夜はありません。

電話番号:090-7594-0428

所在地 : 生駒市元町2-4-20 

営業時間:10:00〜19:00

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