「清滝生駒道路」を通って四條畷市に出て、寝屋川市に出、淀川を渡り、茨木駅を目指して、そこから少し南下する。
希望予定時刻の11時半に到着しました。
「Let’s CFO〜スーパーバイザーの背中から学ぶゲシュタルト〜」で感じたことをもうひとつ。
みどり先生がワーカーで百武正嗣さんがファシリの時に、みどり先生が取り上げられたのが「左の足にしびれがある」ということ。
ご自分の足に何が言いたいのか、聞いてみられたそうなのですが、「足は何も言ってくれないの。」と。
「今も何も言ってくれない」とおっしゃっていたのですが、百ちゃんとのやり取りの末に「さすって欲しいって言ってる」と。
ワーカーが誰であれ、飄々と対される百武さんにも、そうなんだ!と感じ入り、
それから、ファシリテーターが側にいることの意味を思いました。
何も言ってくれなかった足が、百武さんとのやり取りで話し始めるというのは、
…何というか、人は人に寄り添われて初めて、何か、次の展開がある、というか、何かが動き出す、というか。
そんな、何かが動き出すようなファシリでありたい!と思ったことでした。
次の「Let’s CFO〜スーパーバイザーの背中から学ぶゲシュタルト〜」という企画で、4名のスーパーバイサー同士が壇上で、「CFO」をされたのを見て、何か、ほっとするものを感じ、一体それは何なのだろうと思いました。
篠栗は、今から1200年前に弘法大師空海が密教を学び、「唐の国から帰国した際に、若杉山(奥の院)を訪れて、加持祈祷によって人々を救済した地」だそうで、八十八ヶ所霊場があるそうな。
それで、今回の大会のテーマも「ゲシュタルト的仏教体験」。
“その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。
翁言ふやう、『われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり』とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。
妻(め)の嫗(おうな)に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠(こ)に入れて養ふ。
竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて、よごとに、黄金(こがね)ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。
この児養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月(みつき)ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳(も)着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。
この児のかたちのけうらなること世になく、屋(や)の内は暗き所なく光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。
翁、竹を取ること久しくなりぬ。勢ひ猛(もう)の者になりけり。
この子いと大きに成りぬれば、名を三室戸斎部(みむろといんべ)の秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫と付けつ。”
ここまでが、教科書に採られている冒頭文です。
そうして、「『今』を今だけで評価できない」という話を、彼女自身の言葉で紡いでいきます。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
あなたはあなたのままで大丈夫。ひとりで悩みを抱え込まないで。
明けない夜はありません。
電話番号:090-7594-0428
所在地 : 生駒市元町2-4-20
営業時間:10:00〜19:00
定休日 :不定休