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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
仏教の学び
2020/12/24
独立した実体は何ひとつない〜浅田慈照尼と読む『ティク・ナット・ハンの般若心経』(5)〜  
12月22日。年の瀬も迫る日。
第5章「空の記しー空相」を読む。


「空は三解脱(げだつ)門の一番目の門です。この教えは初期の仏教経典に数多くみられますが、般若心経より千年ほど前に成立しました。」(p.62)と、本文が始まる。
「三解脱門」とは、「無常」「空」「無我」の3つを指し、「門」とは方法のこと、と、慈照尼から説明を受ける。


「私たちの体、感覚、認知、心の形成、意識は、今この瞬間とその次の瞬間では同じではないことを見てきました。
つまり、五蘊(ごうん)は刹那的に変化し、展開しているわけです。
そして空が対象としているのは、私たちが『我(が)』と呼ぶところの五蘊だけではありません。
あらゆる現象もまた空なのです。(pp.62-63)

「ブッダ在世の時代、神聖なる真我の概念は、インドの精神修行の伝統のほとんどに共通して見られた信仰でした。
人びとは、私たちの中を観察して見ることのできる変化のすべての底には、変わらないもの、不滅の魂のようなもの、つまり何か根本的な要素があると信じて、それを『アートマン』(真我しんが)と呼びました。
肉体が朽ち果てても、魂は別の肉体の中に存続し、必要なことを学ぼうとして、生と死のサイクルを何度でも繰り返す、と信じました。
精神修行の目的は『ブラフマン』(梵ぼん)という絶対的で崇高な大きな我に、小さな我であるアートマンを再び結合させることでした(梵我一如ぼんがいちにょ)。」
(p.63)


「アートマン」と「ブラフマン」!
…昔、そう、高校1年のときに、「倫理」という科目で、その語を教わった記憶がある。
そんな詳しい説明もなく、ただ、語の紹介に終わっただけ、だった気がするが。


「しかしブッダは説法を始めたころに、この考えかたに異議を唱えました。
『我』と呼ぶようなものはない、と説いたのです。
これが革命のはじまりでした。
現象はさまざまな原因と条件が形になってあらわれたものであると、ブッダは指摘しました。
永遠で不変の現象はひとつもないのです。
ーーーそのような存在をアートマンと呼ぶにしろ、ブラフマンと呼ぶにしろ、あるいは個人自我、宇宙真我と言うにしろ、どれひとつとして現象の中に見つけることができないのです。
ブッダの教えは、個人自我と宇宙真我のどちらの概念も解体することを目指しました。」(p.63)

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折々の言葉
2020/12/21
“軽率に”「助けてほしい」と言う〜折々のことば・鷲田清一#2020〜  
2020年12月11日の「折々のことば」。築地静香の言葉。

助けてほしい時には“軽率に”「助けてほしい」と言うのです。

鷲田清一の解説。

現代人は「自己責任」という言葉に縛られ、一人で頑張ろうとばかりして、人に助けを求めるコツを知らない。
「一人じゃ無理」と感じたらすぐに声を上げること。
「軽率な救護要請」にかならず誰かが「軽率」に応えてくれると、京都の映画館・出待座内のカフェの店長は言う。
助け合いはついではずみでやるほうが長続きする。
求人誌「おっちゃんとおばちゃん」23号から。

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折々の言葉
2020/12/18
心に風を通してちょっとだけ変身する〜折々のことば・鷲田清一#2021〜  
2020年12月12日の「折々のことば」。山本貴光の言葉。

歩くのは、心に風を通してちょっとだけ変身することなのだ。

鷲田清一の解説。

「ものを考えたいときには歩くに限る」と、文筆家・ゲーム作家は言う。
まず目下取り組んでいる課題を「頭の片隅に取り込」んでから、ふらりと外に出て、景色に誘われるままに歩き回る。
すると刻々と変わる知覚が先の課題とスパークして、思いがけない発想が降りてくる、と。
人は指先でも足裏でも首筋でも考える。
それらにも風を十分当てねば。
随想集『投壜(とうびん)通信』から。

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折々の言葉
2020/12/15
歩くのはなかなかむずかしい〜折々のことば・鷲田清一#2014〜  
2020年12月5日の「折々のことば」。

飛ぶのは簡単だけど、歩くのはなかなかむずかしい。

中川素子の言葉。

鷲田清一の解説。

羽を外して歩く練習をくり返す小さな天使たちが降り立ったのは、戦争の絶えない「悲しい星」、地球だった。
そこで彼らは…と物語は続くのだが、私はこの言葉を勝手に深読みした。
社会を高みから俯瞰(ふかん)するより、出来事の藪の中を歩み抜くほうが難しいと。
ある言葉との遭遇から思わぬ連想が膨らむのも読書の愉(たの)しみ。
絵本『宙(そら)からきた子どもたち』(絵・森ヒロコ)から。

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長田弘の詩
2020/12/14
光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状〜長田弘の詩「賀状」(『深呼吸の必要』所収「大きな木」から)〜  
朝4時過ぎ。辺りは真っ暗、である。
このところ、日が差すのは7時を過ぎてから。
そうね。冬至に向かって日中がどんどん短くなる、
と同時に、日の出が遅くなっていっている。

おもむろに『深呼吸の必要』を開く。
ああ、久しぶり。
「賀状」に目が止まる。


  「賀状」  長田弘

 

 古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中

学校で、二人の少年が机をならべて、三年を

一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバス

ケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の

開けかたを知り、素脚の少女太刀をまぶしく

眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転

車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、

誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされ

た。

 二人の少年は、それから二どと会ったこと

がない。やがて古い鉄橋の架かった川のある

街を、きみは南へ、かれは北へと離れて、両

手の指を折ってひらいてまた折っても足りな

い年々が去り、きみたちがたがいに手にした

のは、光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状

だけだ。

 元旦の手紙の束に、今年もきみは、笑顔の

ほかはもうおぼえていない北の友人からの一

枚の端書を探す。いつもの乱暴な字で、いつ

もとおなじ短い言葉。元気か。賀春。

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折々の言葉
2020/12/11
人生のテーマ〜折々のことば・鷲田清一#1996〜  
2020年11月17日の「折々のことば」。

人の人生には、それぞれのテーマがあるのではないか。

中村文則の言葉。

鷲田清一の解説。

長編小説『逃亡者』から。
作中、一人のヴェトナム人女性が、祖国の悲惨な歴史を語りつつ、国花である蓮(はす)の佇(たたず)まいを「泥から出(い)でて、泥に染まらず」と表し、その凛とした姿が自分のテーマだという。
人生の理想にかぎらない。
そこで負った傷や苦労も、消し去りたい「不幸」ではなく、みずからが取り組むべき「テーマ」としてとらえると、それと向きあう力も湧いてくる。

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折々の言葉
2020/12/10
日常を丁寧に暮らさない貧しさ〜折々のことば・鷲田清一#2018〜  
2020年12月9日の「折々のことば」。

この国はものすごく貧しいよ。とっても貧しいんだよ。

辰巳芳子の言葉。

鷲田清一の解説。

低い食料自給率、とくにたんぱく源が十分に調達できないこの国の食の基盤の弱さを、戦時中より今日までずっと骨身にしみて感じてきたと、96歳の料理家は言う。
一つ事が起きれば供給が断たれるような脆(もろ)い構造をそのまま次世代に手渡すことはできないと、大豆を育てる運動を始め、調理法の基本を今も伝授する。
朝日新聞デジタルでのインタビュー(10月12日配信)から。

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仏教の学び
2020/12/06
無から生まれるものはなく、無に帰するものもない〜『ブッダの<呼吸>の瞑想』・お茶会〜  
12月4日金曜日。月に1回の「『ブッダの<呼吸>の瞑想』・お茶会」があって。
朝6時半から始まる「ズームでおはよう ブッダの呼吸の瞑想」でお世話になっている、
櫻井詢晃(さくらい じゅんこ)さんが主催されているもので。

アンジー連れて、ティク・ナット・ハンさんの『ブッダの<呼吸>の瞑想』を携えて、駆けつけたのでした。

うん。アンジーは、こんな時にはとても「おりこう」で。
抱っこ紐の中で、いい子にしている。
チャックを閉めれば、大抵は気づかれない。
けれど、お茶会に連れてきたのも何回目? なので、
しっかりと見つかって「ああ、よう来たね。」と声を掛けてもらい。

そうすると、クーンと、甘えた声を出す。

…存在を認められるのは、やっぱり犬でも嬉しい、か。



「今日は、どこを読みましょうか」という詢晃さんの声掛けで、ページを繰ってみる。

p.180辺りが気になって。そこは、「日常のなかで生かせる七つの瞑想法」という章立ての、「エクササイズ7」の途中で。

でも「エクササイズ7 すべての現象の本質(諸法実相)を深く見つめ、光を注ぐ」はp.162から始まって、p.199まであり。

p.180から読んでいくことになりました。

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折々の言葉
2020/12/04
わからないということに慣れる練習〜折々のことば・鷲田清一#2012〜  
2020年12月3日の「折々のことば」。

勉強っていうのは、わからないということに慣れる練習をしているんだ。

玄田有史(ゆうじ)の言葉。

鷲田清一の解説。

勉強して将来何か役に立つことってあるのかと、ある中学生から質問された労働経済学者はこう答えた。
作戦や戦略を考えてうまくいくのは社会の筋道がよく整備されている場合だけ。
実際の社会はもっともつれ、つかみどころがない。
スポーツや演奏と同じで、「まだよくわからない」ともがきつつも、そのわからなさを面白がる中に道は開けてくると。
『希望のつくり方』から。

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