2022年5月23日の折々のことば。戸井田道三の父の言葉。
「おまえが教えた意味はまちがってはいなかったのか」。
鷲田清一の解説。
能芸の評論家は中学時代、国語の試験で級友の質問に密(ひそ)かに応じた。
すぐ発覚し停学となったが、その後父にこう問われた。
間違いは教えていないと答えると「そんならいい」とだけ言われた。
知らない人に教えるという当然のことが試験では不正になる。
質問は知らない者が知る者にするものなのに、学校では教師が生徒を験(ため)すためにする。
『生きることに◯×はない』から。
うーん。そうね。試験中に答えを教えたりすると、それは「カンニング」行為となる。
教えた側は「カンニング補助」罪、なんだろうか?
確かに。自分の答案を見せた側も罰せられた、ような。まあ、滅多にはないけれど。
停学、か。なんか、懐かしいような言葉。
勤め始めてまもなく、「停学」なんて言葉、使われなくなった、ような気がする。
「特別指導」。教室ではなく、別室で1日を過ごさせる。勉強の合間に「反省」するように、と、一人で過ごすことを強いられる。
それが「しでかした」事の大きさで、1日〜5日、とか。
変わった理由を聞いたら、家に保護者がいない状況では、どんな過ごし方をしているのかわからない。
だから、学校できちんと面倒を見るのだ、と。
ふうん、と、とりあえず納得した。
あと、「停学」処分は学籍簿に記載が残る。
「特別指導」だと、学校生活上の「生徒指導」だから、記録が残らない。
…まあ、学校側の最大限の「配慮」だった、わけね。
何せ「学籍簿」、つまり生徒の成績やら活動やらを記載した「指導要録」は、20年も残すものだから!
まあ、そんな「仕組み」は誰もほとんど知らない、ことだろうけれど。
だから「停学」処分ってとてもキツいものだったハズ、なのに。
間違ったことを教えていなかったのなら、「そんならいい」って。
お父さん。太っ腹だなあ。
こんなお父さん、素敵。
学校が要求する「社会通念」やら、「世間体」やら。
そんなもの吹っ飛んでしまうぐらいの「そんならいい」。
私だったら、こんなお父さんの言葉に出会えるなら、停学処分も悪くはないと思うだろう。
でも、それは今の私、であって。
学生の時には、学校の「掟」に逆らうなんて、考えもしなかった、と思う。
きちんと制服を着て。
きちんと登校して。
そういえば。高校1年のクラスに、ひとりの女の子が、制服の上着のボタンを赤に替えて着てきていた。
とても目立ってた、けど。その赤ボタン。
誰も何も言わなかった。その子は少なくとも1年間、ずっと赤ボタンだった。
2年生になってクラス替えになって、その後、どうなったかはわからない、けれど。
別に非難もしないけど、同じようにしたいとも思わなかった。
それだって、「試験のカンニング」となれば、学校は許さなかった、だろう。
成績評価の根幹を揺るがすから。
そして、成績は「つけなければならない」ものだから。
それくらいの「おおごと」を、「そんならいい」って。
昔の親は、学校が、とか、世間が、の前に、自分の価値基準がある、人もいたのだ、と思うことは嬉しい。
そういえば私が20代の頃、学校が認めなくても親として許可する、と言ってきた保護者がいた、ことを思い出す。
別に学校側に挑むような物言いではなく、淡々と。
学校側も、保護者がそう言われるのなら、ということで尊重した、と記憶している。
その子に対する最終責任は、究極、親でしか取れない、ことを双方が自覚していた、と思う。
学校が絶対的な価値観を有するものではなく、学校は「通過地点」でしかないのだ、という自覚を、今一度、学校側も保護者も双方が、持つべきではないのか?
それが、「学校文化」に毒されない唯一の道なのではないか、と改めて思う。
あと。「験す」と書いて「ためす」とルビが振られていた、ことに、軽いショックを受けた。
そうね。あくまでも教師は上で生徒は「験される」側で。
これは、知識が「伝達」事項でしかない、貧しさからくるもの。
「対話」によってクリエイティブに創って行くものならば、「験される」のは双方で。
そういった「恐怖」に晒されたくないから、教師は自分の立ち位置を常に上に持っていきたい、のかもしれない。
それは「幻想」でしかないのだけれど。
画像は、今週の火曜日朝にアンジーと訪れた矢田寺の紫陽花。
裏から見る景色も、なかなか面白いものだと思います。