折々のことば。2022年6月19日と6月20日の、やなせたかしの言葉。
#2013
正義は或る日突然逆転する。
正義は信じがたい。 やなせたかし
鷲田清一の解説。
戦中の軍隊生活と戦後の社会を生きて、このことを骨身で悟ったと漫画家は言う。
「正義のために戦うのだから生命をすてるのも仕方がない」のでは断じてない。
命を捧げうる別の正義を謳(うた)うのも自分は拒む。
完全無欠の人だけに可能な大げさな正義ではなく、飢えた人がいればそっと一片のパンを差し出すこと。
それがアンパンマンの原点だと。
『アンパンマンの遺書』から。
#2014
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。 やなせたかし
鷲田清一の解説。
漫画家は、最初に発表された絵本「あんぱんまん」のあとがきにこう記した。
飢えた人がいると、自分の顔を食べさせる「あんぱんまん」。
自分も弱くて頼りないのについ捨て身で動く。
が、問題は大き過ぎてその行動も応急処置にしかならない。
その頃にマントがぼろぼろなのもそういう訳だったのか。
『アンパンマンの遺書』から。
「正義」。今年の2月24日から、日を追うごとにこの言葉の危うさを、感じる。
プーチンの正義は、認め難い。
国連の多くの加盟国がそう思っている。
しかし。未だウクライナ侵攻は止まない。
人道回廊も、果たして本当に設定されたのか否か。
設定されたけれど、末端の兵士にきちんと指示が通っていなかったのか。
五里霧中、である。
疑心はさらに疑心を生み。停戦への道のりは遥か遠い。
まあ。停戦となると、今、占領されている、国土の20%の土地を諦めないといけない、となれば。
停戦に向けて踏み出せない気持ちもわかる。
「あんぱんまん」の作者、やなせたかしさんは、「ほんとうの正義に、自分も深く傷つく」ものだと言う。
その言葉に私はびっくりする。
…そうか…、正義とは「振りかざす」ものではないんだな、と。
水戸黄門の「印籠」のように、振りかざしただけで人が恐れ慄く、ものは、それだけで胡散臭い。
その「権威」はどこから来るのか? と所在確認すれば、双方が認める「価値体系」が厳然と存在していることに気づく。
しかし「権威」は簡単に作られるものであると知ってしまった現代人は、もはや自分の「感覚」さえも、括弧に入れて、担保しなければならない状況に生きている。
「正義」として履行しなければならない、と判断した時。
その「正義」は、履行する自分をも裁く、ということか。
絶対的善として「正義」は存在するのではなく、暫定的善としての効用を選択した結果、としての「正義」。
だから、自分も深く傷つく、ことになるのか。
その痛みを知る者でしか、「正義」を口にし履行すること、に着手してはならないのだと思う。
プーチンの正義には、傷ついた「ソビエト連邦」のプライドを回復させたい、という、「自分の傷つき回復」しか感じられない。
それは、やなせさんの言う「ほんとうの正義に、自分も深く傷つく」方向とは、真逆なように思える。
画像は、矢田寺で見かけた巨木。
どういうわけか、こんなねじれた状態で、しかし別に枯れもせずに、ここに在ることに驚く。
プーチンに対して、こんな「ねじれ技」で、なんとか事態を収束させる方法はないものか、と心底思う。