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「生きる」と「逝く」〜折々のことば・鷲田清一#3020〜

2024/03/08
「生きる」と「逝く」〜折々のことば・鷲田清一#3020〜

折々のことば。2024年3月7日の、ある終末期の患者の言葉。


「イキタクナイデス、イキタイデス」    ある終末期の患者(鳥取県)



鷲田清一の解説。


「生きる」と「逝く」。
どちらに入るか、現場では聞き誤ることはない。
ホスピス医の徳永進が聞いたのは、これ以上みなに迷惑かけたくないという訴え。
「分かりました」とも「がんばりましょう」とも言えず、「はい、なるべく、でも、ええ」と返すばかり。
患者さんには「だからー」「つまり」と接続詞ばかり連ねる人も。
臨床で悩むこと50年。
『いのちのそばで』から。


鳥取県、と目にした時から。
あ、と思った。徳永進さんではないのか?
そして、そうだった。

徳永進医師。
最初に知ったのは、「論楽社」のブックレットで。
『三月を見るー死の中の生、生の中の死』。
1992年の3月発刊。論楽社ブックレット第3号。

手元にあるブックレットの裏表紙には。こんな一節が引用されている。

「人間の生きている意味は何かなというとね、結局時間を生きることだと、ぼくは思ったですね。
 一月を見たか。二月を見たか。
 今年は雪が少なかったから冬を見たとは言えなかったけども、三月を見たか。
 そういうことですね。いまの時間というのは、いままでになかった時ですね。歴史が始まってはじめての時間なんですね、どれもね。そのはじめての時間をやっぱり生きたいわけです、誰も。いちばん先っちょの時間を見たいわけです。そして地球がフワアーッと消えたりするんだったら、そのことに参加したいんですね。」

鳥取で看取りをする医師。
こんなふうに、逝こうとする人とともに時間を過ごすお医者さんがいるのか! と驚愕した。
そして。そんな人のことを「ブックレット」という形で紹介する人がいるのか、ということも。

1991年に広島に移ったこともあって。
京都の北の方にある(京都市左京区岩倉)論楽社を訪ねたい、と思いながら。
未だに訪問していない。

虫賀宗博さん。確か、新聞記事に取り上げられていたから、知った、のだったか。
パートナーとは別姓で。上島聖好さん。
広島に移るとき。私も別姓で行こうと決めて。
…私の場合、パートナーの同意は得られなかった、けれど。
強行した。

強行の結果、9年後に別の人生を歩むこと、になったけど。
後悔していない。

私には。その選択しかなかった、と今でも思うので。

「論楽社」で検索をかけたら。ホームページあった。
今でも、岩倉で活動されているよう。
虫賀さん。私よりちょっと…10歳ぐらい、お歳が上だった、気がする。
早いうちに、会いにいこう。30年前の、論学社ブックレットの愛読者です、と。
『三月を見る』は5冊は買いました。買って、方々に配りました。
他にも、ブックレット買ったと思う。

そうそう。2024年、今年中に行ってこよう。
そして、今、何をされているのかをお聴きしよう。

(あ、「折々のことば」から外れている、ね。)
生きたい。逝きたい。生きたくない。逝きたくない。
生と死は。メビウスの輪のように、裏返し、裏返し。
けれど、そこに、一緒に居てくれる人がいるならば。
どちらも、そう違いはない、と思えてくるかもしれない。
引き留めるのでなく、励ますのでもなく。
それは「自然の摂理」と淡々と受け止めることができるならば。
それに越したことはない、ように思う。

画像は昨年夏に咲いた、睡蓮。
どういうわけか。水面に浮かぶ花を見つめたくなった。

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