折々のことば。2024年6月14日の津野海太郎の言葉。
ひとりで暮らすのが癖なら、結婚生活や家庭生活だって相当な癖なのではあるまいか。 津野海太郎
鷲田清一の解説。
主義としてではなく「癖」として独り者をやってきた評論家は、自分はヘンかもしれないが、誰だってみな「例外」なのだと言う。
家族にも血縁にも囚(とら)われないいろんな形があるのだから、「複数の他人がいっしょに生きるべく、一時的に親と子の関係を模倣する」という限界のもっと向こうにまで思いをはせたいと。
『歩くひとりもの』から。
ふうん。「癖」ね。
「主義」って言われたら、生き方を、人生を背負っている感じがするけど。
「癖」って言われたら。なんか。「つい、やっちまってる」感、満載で。
自分が意識せずともやってしまっている言動は、無意識だけに、その人を現すものなんだろう。
「血縁の重さ」を感じながら生きてきた私は。
それから逃れるために、人がどう思うかより、私は何を大事にしたいか、を選択しながら生きてきた半生だった、と思う。
3年前。初めて家を建てたとき。
普通の4LDKのお家なんだけど。
1階の1室をカウンセリングルームにして。2階の1室を寝室にして。
2階の残りの2室を「レンタルスペース」にしようと思った。
私には、「私たち」ってどういう状態の時にそう言えるのか、分からなかったから。
「私たち」というのは、私にとって、あまり使うことのない語彙だった。
自分の家の1室を、人に使ってもらう、状態を作ることで、何か、手掛かりが得られるだろうか? となんとなく思っていた。
「レンタルスペース」を始める、と私が言ったから。紹介された、と見知らぬ人が部屋を見にきた、ことがあって。
その時は条件が合わなかったから、その話は流れたのだけど。なんか、違和感が私に残って。
そのできごとで、あ、私は誰にでも部屋を貸したいわけではないんだ、ということに気づいた。
じゃあ、どんな人に貸したいの?
カウンセリングに来られて、お悩みが解決したときに、今後の自分の人生に目を向けて「私、こういうことがやりたかったんです!」とおっしゃる方が少なからずいる。
そんな方の「後押し」になるように。イベントでもできる、時間と空間を提供したかったんだ!
そうか。応援したくなる人になら、「私たち」って言葉、使えるな。
そんなことがいっぺんに「分かって」きて。
ああ、そうか。私は、人の「夢」を後押ししたいんだ。
私が私の「願い」を「かたち」にしてきたように。
カウンセリングでその人の一番しんどいところをお聞きして、それでも立ち上がって、自分の人生をなんとかしよう、とされている人たちの。
「願い」を「かたち」にする、そういうお手伝いをしたいんだ!
ということがわかってきて。
そうか。なんとなく、こうしたい、という奥には。
私が分かっていない、私の「願い」が潜んでいて。
あとから、そういうものが浮上してくる、こともあるんだな、と。
私は。よく分からないまま、突き進む、こともあるけど。
いずれ、その「意味」は浮上してくるから。
まあ、待っていたらいいんだな、と思ったことでした。
「家族にも血縁にも囚われないいろんな形」「複数の他人がいっしょに生きる」形を、私は私なりの方法で模索していくんだろう、と思います。
…実は、このコラムは昨日の朝4時過ぎから5時半まで掛かって1600字で書いたんだけど、保存するときに「固まって」しまって。
私も、その後30分ぐらい、ショックで固まってしまって。「再起動」掛けたら消える、だろうな、と。
リウムの穂口さんに、「固まってしまった、どうしよう、消えますよね」なんて泣き言を6時8分に送って。
穂口さんから、「ショック!!ケースによりますーーやってみるしかないですね」という返事をもらい。
(早朝に返事くれるなんて。穂口さんは優しい。)
再起動かけたら、タイトル以外、全部消えました。
お出かけ予定があったので、その日はそれから再チャレンジもできなくて。
今日、書いたのは1400字。
まあ、全く同じものは書けないけど。
ちょっと「結論」部分が違っているような気もするけど。
それは、昨日より今日、私も「成長している」のだろう、と楽観的に考えておきます(笑)。
(なんか、昨日からの顛末を書いていたら、1600字になりました(笑)。)
画像は2000年、子どもが5歳の頃の写真。「親子」をやっていたときも幸せだったけど。
そういった「親子」以外の関係も。子どもとも、創っていけるし、子ども以外の人とも創っていける。
「私たち」の「かたち」がひとつに縛られないで、たくさんの「かたち」を創っていけますように。
(あ、今日の「結論」の方が。断然、いいや!)