折々のことば。2025年1月24日のライプニッツの言葉。
何故無ではなくむしろ或(あ)るものが有るのか ライプニッツ
鷲田清一の解説。
事物にはそれが現に「そのようであって他のようではない」理由があり、そうした「十分な理由」なしには何ものも生じないと近世ドイツの哲学者は説いた。
修学時代の私はこの問いを変奏し、「人は無いより有るほうがよいのか」と問うた。
「人」を「私」に置き換えるとさらにきつい問いになって、途方に暮れた。
論考「理性に基づく自然と恩寵(おんちょう)の原理」(米山優訳)から。
「私は無いより有るほうがよいのか」。なんと厳しい問いだろう!
まあ、一度はレゾン・デートル(存在理由)を問う時期は、誰しもある、だろうけれど。
「私は生きていていいのかしら?」と私が問うたのは。子どもが不登校になって、自分の部屋に閉じこもって、3ヶ月もの間、顔を合わせられない時だった。
それまでも、息をするのも苦しい時もあったけれど。
「なんとか生きていかなきゃ」と思っても。「生きていていいのか?」とは思わなかった。
私は子どもが生まれて「この子を守ってやらないと」と思って。
生まれて初めて自分の生きる理由が見つかった、気がした。
あまりにも小さくて、あまりにも頼りなげで。
私が世話をしなければ、途端に死んでしまいそうで。
2時間ごとの授乳、ゲップをさせておしめを換えて。
厭(いと)う暇などなくて。ただただ夢中だった。
そうやって、大事に大事に育ててきて。
子どもが4歳からはひとりで育ててきて。
子どもが自分の部屋に閉じこもる、事態になって。
途方に暮れた。
日中物音ひとつしない子どもの部屋の前に立ち尽くして。
死んでいたらどうしよう? と思った。
この子が死んでいて、それでも私は生きていられるかしら? と思った。
本当に。私は生きていていいのかと思った。
それでも!
何言ってる? なんとかしなきゃ。私がなんとかしなきゃ、親なんだからと思い直して。
いったい何がどうなっているのか、整理しようと思った。
回らない頭で、同じことがグルグルする頭で、「まず、落ち着こう」と思った。
高校3年生の担任だったことは。少なくとも、仕事が山ほどあることは、私にとって救いだった。
仕事をしている時間は、余計なことは考えなくても済んだ。
担任として。国語の教科担として。推薦入試の面接練習やら、入試小論文の添削やら。
子どもに拒否されて「生きてていいのかしら?」とまで思った私に。
少なくとも、生徒たちには私が必要なのか、と思わせてくれて。
救われた。
行き帰りの車の中片道50分、わあわあ泣いて。
さて。今日はどんな「ただいまー」で帰ろうか、と声のトーンを調整して。
今日は部屋から出てきてくれるかな? と期待して。
本当に。毎日が「修行」のようだった。
もういい。学校に行ってくれなくていい。
生きてさえいてくれたら、と思うようになって。
子どもと話ができるようになった。
3ヶ月経っていた。
それから。
話ができるようになったのはいいんだけど。
その後。半年もすれば、なんとなく。
私が「これから、どうしよう」と思えば思うほど。
子どもは逆に落ち着いているような気がして。
生徒とは違う、その反応に、私は戸惑った。
「いったい、これは、なぜ?」
私が先行きを心配すること。と同じぐらいには子どもは心配してない! ということに気づいて。
いったい何が起きてる? と思った。
注意深く観察して。
ああ、私は。子どもが背負うべき荷物を私が背負ってしまってるんだ! ということに気づいた。
じゃあ、どうしたら、子どもは自分の荷物を背負うようになる?
キョリが近いんだ、と気づいた。
私がもう少し、子どもとのキョリを取らないと。
子どもはいつまで経っても自分の荷物を背負うようにはならない。
「それは、おまえが考えないといけないことだよ」を教えないと。
それには。先先示すのではなく、待たないと。
私のペースで物事を決めていくのではなく、本人のペースで決めさせていかないと。
そして。密かに本人ペースで物事を決めていく「プログラム」を組むようになった。
…まあ、本人は気づいてないだろうけれど。
子どもにちょっと言葉を投げかけて、その様子を見る。
それから、どれぐらい「待ったらいいか」の時間を計る。
2、3日? 1週間? 10日?
そうやって。本人に決めさせながら、高校に進学し、大学に進学し、就職まで繋いだ。
就職でもって、多分「子育て」は終了して。
(「私がいないとこの子は生きていけない」時期ももっと早くに終わって。)
それから先の関係は。どうなんだろう?
よくわからない、けれど。
多分、「どんなふうに生きていったら楽しい?」のひとつの「見本」を示すこと、かなあと、そんな気がしている。
歳を重ねて、人生の折り返しを過ぎるまでは、「もっともっと」かもしれないけど、折り返しを過ぎたあとは。
また違った歩みをしていってもいい、という「見本」。
あくまでも「見本」だから、その通りにする必要もないし、「ちょっとそれは、」と思うなら。別の「かたち」を創っていけばいい。
なんにせよ。「生まれてきてよかった」「生きていて嬉しい」「人の役に立てて嬉しい」が積み重ねていけるなら。
それでいい気がする。
それがこれからの私のレゾン・デートルである気がする。
「Kちゃん。生まれてきてくれて。ありがとう。」
「或るものが有る」のは。
存在理由があるから、だろう。「人」も「できごと」も。
で、人はその存在理由を創りながら。生きていく、ものかもしれない。
画像は2020年2月1日にお伊勢参りに行った時に撮った伊勢の海。
見ていると、孤島のようだけど、でも水の下は「地続き」なんだよね、と思えてきたから不思議。
自分では孤立しているように思っても。そうでもない、ということが沢山あるような気がする。