本の帯には「Art & Poem 響きあう絵と言葉のおくりもの」とあります。
講談社から1995年に第1刷が出ています。私が持っているのは1999年の第12刷。
パウル・クレー(1979−1940)の絵に谷川俊太郎が言葉を添えて、美しい詩絵本となりました。
クレーは音楽教師の父と声楽家の母、三歳年上の姉の四人家族の長男として、恵まれた環境に育ち、4歳で祖母から絵を、7歳でバイオリンを始めたそうです。ナチスによる迫害と、皮膚硬化症という奇病に苦しみながらも、目覚ましい創作活動を展開し、1940年6月、療養先の病院にて永眠。
絵と音楽と詩にあふれた生涯だった、と奥付の紹介にありました。
いくつかの、目に留まった詩と絵を紹介したいと思います。

13 「まじめな顔つき」(1939)
まじめなひとが
まじめにあるいてゆく
かなしい
まじめなひとが
まじめにないている
おかしい
まじめなひとが
まじめにあやまる
はらがたつ
まじめなひとが
まじめにひとをころす
おそろしい
この絵本の13番目の絵と、それに添えられた詩です。
昨日は8月15日、終戦記念の日でした。
それで、多分、目に留まったかと思います。
「かなしい」「おかしい」「はらがたつ」「おそろしい」といった感情を表す言葉。
一般的には詩では用いない言葉です。
悲しい時に「悲しい」と表現するのではなく「悲しい」情景を描写する、というのが「詩の作法」だからです。
けれど、あえて詩人はこの言葉を持ってきました。しかも、ひらがな表記で。
すると、どうでしょう?
「まじめなひとが/まじめにあるいていく」その姿が、滑稽で、そして妙に物哀しく、情景として浮かんできます。
「かなしい」は「悲しい」でも「哀しい」でも「愛しい」でもいいわけで。
どんな風に感じるかは、読み手に委ねられています。
漢字文化をベースにして、和語の持つ響きで奥行きを持たせた試みだと思います。
最後の連は、そういった「普通の人」が「普通に」人が殺せる恐ろしさを訴えていると思います。
そのような狂気に走るムードにならないよう、踏ん張らないといけないと私は感じています。

35 「死と炎」(1940)
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
1940年というと、クレーが亡くなった年ですね。
死の影を感じていたのでしょうか。妙に絵が暗いです。
それに反応してか、谷川俊太郎はこのような詩を添えました。
ボイスアートのまやはるこ先生が、「死んでいくときの描写は、『かぐや姫』のアニメ映画で上手に描かれていたと思う。あんな風に、だんだんとこの世での記憶がなくなって、感情が消えていって、無表情になる」と言われていたのを思い出します。
そうなんでしょうね。記憶を手放すから、感情の起伏もなくなり、何も感じなくなって、やっと「執着」から解放されるのかもしれません。
わたしの好きだったものは「そのどれひとつとして/わたしはたずさえていくことができない」と知りつつ、それでも、と願うのですね。
「せめてすきなうただけは/きこえていてはくれぬだろうか/わたしのほねのみみに」
それが「私」の残像となることを願ってしまう。かくも「私」から離れることは難しい。

37 「黄金の魚」(1925)
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかねをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
最後は、表紙絵となっている「黄金の魚」です。
生きているということが、そもそも他の命をいただいていることで。
それを考えると、確かに、手放しで喜べるものなど、何ひとつないのかもしれない。
始まりがあれば終わりがあって。人との出会いもそう。
出会いがあれば、別れもあって。
そういえば、「出会いは選べないけど、別れは選べる」というようなことを聞いたことがあるような。
出会いは偶然に始まるけど、別れは…どんな別れ方をするかは、自分の意志で選べる、と。
「突然の失恋もあるから、それは違うよ」と言われそうだけど、でも、その場合だって、いろんな別れの兆候を「見ないふり」「気づかないふり」をしてきた自分がいるのだと思う。
でも…出会いも本当は自分の意志かもしれない。
会ったとしても、心動かされないと「出会えない」。
心動くためにはほんの少しでも、心に「余裕」というか…「余白」がないと、他の人が入ってこれない。
その「余白」をその人のために作ったのは自分、ではないだろうか。…という気がしてる。
どんなことも「私」が望んだこと、なのね。
ならば、今からは何を望もうか、と考えよう。
どんな今日を、どんな未来を創ろうかって考えよう。
亡くなる年まで絵を描き続けたクレーの存在は、私が何によって立つのか、を思い起こさせてくれました。