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「なぜ?」という疑問を発しなくなる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 六」〜

2018/04/13
「なぜ?」という疑問を発しなくなる〜長田弘の詩「あのときかもしれない 六」〜
子どもは3歳前ぐらいになると、「なんで?」と言い始める。
おとなは余りにしつこく「なんで?」を言われると、面倒になって、「何でもかんでも、なんで、なんでってうるさいよ!」って言ってしまいがち。
でも、本当に分からないんだよね…? どうしてだか。どうしてそんな風になっているんだか。

私もご多分に漏れず、おとなに邪険に扱われたから、私は子どもが「なんで?」って聞いてきたときには邪険にしなかった。と思う。
子どもに聞いてみないとわからないけど。

今回は、そんなこどもの「なぜ」を取り上げたものです。

 

 

       「あのときかもしれない 六」       長田 弘 

 

「なぜ」とかんがえることは、子どものきみにはふしぎなことだった。あたりまえにおもえていたことが、「なぜ」とかんがえだすと、たちまちあたりまえのことじゃなくなってしまうからだ。

 たとえば、釦だ。きみの服の釦は右がわに付いていて、釦穴は左に付いている。左合わせだ。それはきみが男の子だからだ。女の子の釦は左がわに付いていて、釦穴は右がわに付いている。右合わせだ。どの男の子の、どの女の子の釦もそうだ。あたりまえのことだ。でも、どうして男の子は左合わせで、女の子は右合わせでなきゃいけないんだろう。なぜだ。そんな区別なんてしなくったって、男の子は女の子じゃないし、女の子は男の子じゃないのだ。

 あるいは、本だ。きみは一冊の本をもっていた。きみの友人もおなじ本をもっていた。おなじ本だけれど、きみの本はきみのもので、友人の本は友人のもので、二冊の本はべつの本だった。友人の本はきれいだったが、きみの本はすこし汚れていた。だけど、ちがう二冊の本は、やっぱりおなじ一冊の本だった。きみの本で読んだって、友人の本を借りて読んだって、おなじ本を読んだことに変わりはない。二冊の本はおなじ本だった。なぜだ。ちがう本だったというのに。

 あるいは、鏡だ。鏡のまえに立って、子どものきみは右手をあげる。すると鏡のなかのきにが、左手をあげる。きみが左の耳をひっぱると、鏡のなかのきみは、右の耳をひっぱった。なぜだ。鏡だからだ。鏡のなかでは、右と左はかならず逆になるからだ。あたりまえのことだ。椅子をきみの左がわにおく。すると鏡のなかの椅子は、きみの右がわにある。

 しかし、ときみは疑ったのだ。そして、ごろりと鏡のまえに寝ころんだ。寝ころんだきみの頭は右、きみの足は左。だが、へんだ。鏡のなかのきみの頭も右、きみの足も左。つまり、おなじだ。あ、右と左が逆にならない。なぜだ。おなじ鏡なのに。

 そういう「なぜ」がいっぱい、きみの周囲にはあった。「なぜ」には、こたえのないことがしょっちゅうだった。そんな「なぜ」をかんがえるなんて、くだらないことだったんだろうか。誰もが言った、「かんがえたって無駄さ。そうなってるんだ」。実際そうかんがえるほうが、ずっとらくだった。何もかんがえなくてもすむからだ。しかし、「そうなってる」だけだったら、きみのまわりにはただのあたりまえしかのこらなくなる。そしたら、きみはものすごく退屈しただろうな。「なぜ」とかんがえるほうが、きみには、はるかに謎とスリルがいっぱいだったからだ。けれど、ふと気がつくと、いつしかもう、あまり「なぜ」という言葉を口にしなくなっている。

 そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。「なぜ」と元気にかんがえるかわりに、「そうなっているんだ」という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。

        (『深呼吸の必要』晶文社刊)


「釦」って、どう読むのか、一瞬考えてしまいました。
で、「ぼたん」と打って変換したら、「釦」が出てきたので、ああやれやれ、と。

そう、ね。小学校の制服で、男の子と女の子で釦の向きが違うんだと、初めて気づいた。
…確か…、上着はどちらにも掛けられるような仕組みになっていたように思う。
そう、右前にするか、左前にするか、釦の向きだけじゃなくて、どちら側が上に来るかで「右合わせ」「左合わせ」を作りだしていた。

確か…私も「なんで?」って聞いた。「なんで、男の子と女の子は違うの?」
答えは「そういうものなのよ」だった気がする。
小学校1年の私は「面倒ね」と思った記憶がある。

でも、こんな風に「あなたは女の子なんだよ」とか「男の子なんだ」と外から決められて、そうしてそうなのか、と思わされていく気がした。
…そう思ったのは、もっともっと大きくなってから。
教員になったばかりの頃、確か…『女の子はつくられる』という、女性ジャーナリストの本を読んだとき、急にそのことを思い出したりした。

それにしても! 鏡の前で寝ころんでみるなんて、「きみ」も相当「変な子」だったね!
ちょっと嬉しくなってしまった。

本は…私は子どもの頃から、自分の名前を書いたり、時には書き込みをしたりしたので、私の本は私だけの本だった。
本屋さんに並んでいるときには同じものでも、私の手に渡ったあとは、私の本は「私のかけがえのない本」だった。
だって、私と対話した本、なんだから!
だから、「きみ」とは違って、本に関して疑問に思ったことはない。

「『なぜ』とかんがえるほうが、きみには、はるかに謎とスリルがいっぱいだったからだ。」
…いや、私は違うな。
「はるかに謎とスリルがいっぱいだったから」ではなく、私の「考えごと」は、気がついたら始まっていた。
周りからは「ぼーっとしている」と言われたけど。
私には、「考えごとをしない」という選択肢がなかった。

だもんで、私にはまだ「『そうなっているんだ』という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。」は訪れていない気がする。
もちろん「いつしかもう、あまり『なぜ』という言葉を口にしなくなっている。」ことは、ある。
それは疑問を抱かなくなったのではなく、人に疑問をぶつけなくなっただけで。
…人に「変な人」と思われる必要もないなあ、と用心するようになっただけで。

…ここまで打ってきて、私にはひとつの疑問が湧いてきた。
私は…まだ「おとな」になっていないのだろうか?
う〜ん…。

画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見かけたご近所の花。
私の不安をかき消すように、色とりどりに咲き誇っていました。

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