「みずすまし」 吉野 弘
一滴の水銀のように やや重く
水の面を凹(くぼ)ませて 浮いている
泳ぎまわっている
そして時折 ついと水にもぐる。
あれは暗示的な行為
浮くだけではなく もぐること
ぼくらがその上で生きている
日常という名の水面を考えるだけで
思い半ばにすぎよう——日常は分厚い。
水にもぐった みずすまし
その深さはわずかでも
なにほどか 水の阻止に出会う筈(はず)。
身体を締めつけ 押し返す
水の力を知っていよう。
してみれば みずすましが
水の裏表を往来し出没していることは
感嘆していいこと。
みずすましが死ぬと
水はその力をゆるめ
むくろを黙って水底へ抱きとってくれる
それは みずすましには知らせない水の好意。
『新選吉野弘詩集』 1982 年刊)
みずすましの生態を、そんなにじっくり観察したことはないので、
水面に浮かんでいるだけでなく、もぐったりしていることなど知らなかったけれど。
確かに。
水面の抵抗力って結構大きいことは、泳ごうとして飛び込んだとき、
「腹打ち」したこともあるので、私も知っている。
私が吉野弘の視線の優しさを感じるのはまず第3連。
「ぼくらがその上で生きている/日常という名の水面を考えるだけで/思い半ばにすぎよう——日常は分厚い。」
…そうか。「日常は分厚い」のか。
そう。その分厚い日常で起こるさまざまなことに、
私たちは、時に右往左往する。
…打ちのめされたりもする。
けれど…第7連。
「みずすましが死ぬと
水はその力をゆるめ
むくろを黙って水底へ抱きとってくれる」
死んだみずすましを「水底へ抱きとる」って見るんだ!
ああ、お疲れさま、よく生きたね。ってところだろうか?
もちろん、死んでしまったみずすましは知るべくもないけれど。
私も…「分厚い日常」で右往左往してしまって、
時に、辛すぎてダウンすることもあるのだけれど。
みずすましを抱き取ってくれる水のように、
私を抱き取ってくれるものはあるのだろうか?
まあ、死なないとわからないけれど。
そんな存在があるなら、
もう少し頑張ってみてもいい気がする。
吉野弘の視線の優しさ、柔らかさを感じながら。
画像は昨年10月に撮った、ご近所のお庭の白い秋明菊。
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