言語上のアサーションの二領域として、まず「関係維持(メンテナンス)」があり、次に「課題達成・問題解決(タスク)遂行」があり。
日常生活に関わる「メンテナンス機能」として、睡眠や食事、人間関係があって、その上に「タスク機能」として、目標・課題達成がある。
…まあ、ベースとしての睡眠や食事、人間関係が良好であってこそ、課題達成に向かうこともできる、ということで。
カウンセリングも、不安などでよく眠れなかったり食欲が落ちたりしたら、それを改善するためにいろいろ動き出すなあ…と思ったりしました。
問題解決・課題解決のためのDESC法が示されました。
・D(describe)=描写する(状況・事実を客観的に描写する)
・E(express,empathize)=表現する・共感する
・S(specify)=特定の提案をする
・C(choose)選択する(相手のyesとnoへの対応を考え、結果を選ぶ)
このDESC(デスク)法とは、調べてみると、1990 年代にアメリカのバウアー夫妻とケリーによって提唱された方法であることがわかりました。
このうちの「DとSはいつでも使える」と平木先生は言われました。
自分がどれだけ自分の感情を把握し、それを言語ができるかが鍵、と。
「驚いた」と「驚かされた」は違う、と。
「驚いた」がアサーション的だと。
なぜなら、感情は自分が起こしているものだから、と。
また、「第一次感情」と「第二次感情」については次のような説明がありました。
○第一次感情…とっさに反応して、生理的に、すぐ自分の行動を誘発する感情。
○第二次感情…とっさに反応した感情(=第一次感情)に反応して動かされる感情。
「第二次感情」はわかりにくい。なぜなら、自分の素直な感情よりも、相手に動かされて起こった感情だから。
たとえば、怒鳴られて怖かった、というのが「第一次感情」ならば、「怒鳴ることないでしょ!」と怒った、のが第二次感情。
なぜ、それが「第二次感情」なのかというと、相手の行動は、自分の感情が動く「きっかけ」を作ったに過ぎないから。
そういうことを考えていくと、「感情豊かに」とは、自分の感情を把握している状態。
「感情的」とは、第一次感情をそのまま出している状態。
面白かったのは、「自己分化(differentiation of self)」の話。「違いが分かれること、はっきりすること」。
家族療法家のボーエンとカーという方が考えたものなのだそうですが、「自己分化」とは、知性と情緒の分化のこと、だそうです。
「情緒の塊としての反応(泣く、眠る)しか見せない子どもが、泣き方が変わる。笑う・怒るなどの反応を見せるようになること」。
(=情緒と知性が分化し、情緒の分化・知性の文化も促されること。)
アサーションは感情表現、だと。
「自己分化」の先にはフォーカシングに繋がる、とも言われました。
最後、クライエントのアサーション支援には、アサーションに関するアセスメントが必要、と。
アセスメントとは査定とも訳されますが、いわゆる「診断」。
クライエントは何を助けてもらいたいと思っていて、
助けてもらいたい領域はどういう領域で、
そのことについて、自分の持っている方法をどのように使うか、ということを判断すること。
まずは、そのクライエントを支援できるかできないか、からの判断から始まる、と。
そして、アサーションについてに5つの領域のどこに該当するか、を判断する。
5つの領域とは、アサーションそのものの考え方、アサーション権について、アサーション的なものの見方、言語上のアサーション、非言語的アサーション(=感情)を指す。
今後の学びとして、「集団の力動(=グループダイナミクス)」を理解していることが前提、というお話をされました。
「人が集まると、どんな動きがありがちなのか」から始まって、「学習的な集団になるためには、どんな介入が必要か」に至る、「理解」と「介入」についての学びが。
私は、それを聞きながら、私の31年の教員生活は、クラス集団を学習集団に変えていく営みだった、と思い起こしました。
単に、知識を注入するだけの「講義」ではなく、どれだけ生徒たちの意見を育てるか。
それだけでなく、どうやって意見を出し合って学び合う「学習集団」を作り上げるか、というカリキュラム作りに邁進した日々だった。
クラスが違うとメンバーが違うので、出てくる反応も異なる。
その異なりを楽しみながら、違う道筋を通って学習を進めることが、私自身の楽しみだった。
そこでは、集団は集団としての「ひとかたまり」ではなく、個々のメンバーが個々に反応する「場」だった。
それでいて、意見を出し合いながら、それに反応しながら、それぞれの「理解」を深めていく。
…まさに、グループダイナミクスの醍醐味を、私は味わってきたのだった。
講座の最後に「著作権」のお話をされました。
お話を伺いながら…私は何か、ちょっと違和感を感じました。
それは何か。
先に、DESC法について、「調べてみると」と書きました。
これが「1990 年代にアメリカのバウアー夫妻とケリーによって提唱された方法」であるならば、講座中にそういった説明がなされるべきだと思うのです。
そういった説明なしに、そして、配布された資料にもそんな「出典」を示されずに、最後にこれらの資料は全て「著作権がある」と言われても、他にも、全てオリジナルなのかどうか…疑問が生じます。
そもそも、こういう場合に「著作権」が生じるのかどうか、さえ疑わしい。
…ちょっと残念な終わり方となりました。
画像は、2005年の紅葉。ちょうど11月23日辺りが紅葉の綺麗な時期ですが、今年は紅葉狩りに行けないようなので。