Yくんは、私が教諭採用なって初めて勤めた高校の卒業生です。なぜこんなややこしい言い方をするかというと、授業を受け持ったことがないからです。
卒業式が終わったあと、私と話がしたいと職員室に来て、初対面のYくんと1時間余り話をしました。何を話したか覚えていないので、他愛もないことだったんだと思います。
当時は、個人情報という意識もない時代だったので、卒業アルバムに卒業生の住所も職員の住所も、記載されていました。
Yくんと会ったのも話をしたのも、そのとき限りだったのですが、彼はそれから毎年年賀状をくれるようになり、結婚し、子どもが生まれ、その子たちが大きくなるのを年賀状の家族写真で知ることができました。
昨年2月、突然Yくんから連絡が来て、九州に出張するから、会って貰えるなら、広島で途中下車すると言うのです。
びっくりしたけど、まぁいいか、と思って29年振りに会いました。
翌日は、車で奈良まで引越し荷物の一部を運ぶ予定にしていたので、奈良まで一緒に乗っていく? と聞いたら、いいんですか? といいながら助手席に乗って、6時間ほど、よもやま話をしました。
私が運転して間も無く「先生、男前な運転されますね〜」なんて言うから、「え?それ褒め言葉なん?」「え?そうですけど…」「男ってそんなにいいものなん?」「えええ? あの〜、パッパと判断早いから…」「いや、そういうことを意味してるって分かってるけど、女が判断力ないことが前提でしょ?」「……」「いや、ごめんごめん。ちょっといじめたくなっただけよ。」とからかいながら、ずっと話をしていました。
Yくんは一人っ子で、両親の重い期待を背負いながら生きてきたこれまでを語りました。
なんだ、私と同じじゃない!と言いながら、なんでこの子(もう47歳のおじさんになっていましたが)が29年間、年賀状を出し続けてくれたのか、それは今、こんな話をするためだったのかと思うと、本当に不思議な気がしました。
京都文教大学で授業を受けて、知ったことのひとつに、ユングの「コンステレーション」の考え方があります。「布置」と訳され、「意味ある偶然の一致」を意味します。星がある形をとって星座を成すように、ピタッとはまることで、動きが生じたり、問題が解決したりすることです。…それは、偶然のようでいて、必然であるととらえるのです。
Yくんとは、そういう出会いだったんだ…。
これが今後、何に繋がっていくのかと思うと、長く生きるのも悪くないなぁと思ったことでした。