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吉良安之氏講演「人が人を支えるとは〜心理療法におけるサポート〜」関西大学心理学研究科

2024/05/30
吉良安之氏講演「人が人を支えるとは〜心理療法におけるサポート〜」関西大学心理学研究科
昨秋に引き続きの吉良安之氏の講演。
今回は「クライエントを支えるとはどういう行為なのだろうか」という「問いかけ」から始まった。

用意くださった資料には次のような定義がなされていた。

「積極療法」=・心身の働きの失調の背後に想定される心理構造(病理)に対してさまざまな技法を駆使して操作的に介入して、その構造の変化(改善)をはかる。
       ・代表例としては精神分析療法、行動療法。
       ・技法性・操作性の高度な積極療法ほど、治療対象とのマッチングが問われる。マッチすればシャープな治療効果。
「支持療法」=・心理構造への直接的な介入や積極的な技法的操作は控える。代わりに患者の訴えや語りを深く理解し(受容)、患者の内に生起する情動を的確に追体験し(共感)、それによって患者の心を保護し、その自己回復を支える。
       ・この方法を徹底的に追求して基礎づけたのは非指示的カウンセリング。
       ・適応は、比較的軽い失調で自己回復が見込めるケース、逆に重度の失調で積極療法の遂行が困難なケース。支持療法は、シャープさはない代わりに汎用性が高い。

つまりは。クライエントの状態によって、あるいは、カウンセラーの技量によって、双方の「使い分け」が必要、というスタンスか、と思っていたら。
「支持療法」は地味であまり見栄えしないから、カウンセラー自身にマンネリ化に陥る危険性もある、と。
それで、「しかし、現実の多くの臨床というものは、そもそもが平凡であまり見栄えのしないことを地道に続けていくことも上に成り立つものではないだろうか」という、青木省三氏の言葉の引用もあって。

それにしても「何をしたら、何を言ったらサポートになるのか?」の問いに対して、これまでのご自身の体験事例から検討されていく様子は、とても丁寧で。
資料には、次のような例も出されていて。

《心配しています》→「心配されたくないです!」
《大変ですね》→「そんなに大変な状態ですか。ショック!」
《なるほど、わかります》→「そんなに簡単にわかってたまるか!」⇨言葉の工夫《少しわかるような気がしてきました》◎やりとりの言葉遣いにも要工夫

…まあ、ね。

確かに、そんなふうなチグハグなやり取りになってしまったら。もうこれはカウンセリングが進まない。

しかし。思うに、そもそも「心配されたくないです!」や「そんなに簡単にわかってたまるか!」という反応は。

そもそもクライエントとカウンセラーとの間に信頼関係が成り立っていないからじゃないか? と思ってしまう。


そうすると。

兎にも角にも、まずはどれほどクライエントに、「早急に信頼されるか」が重要、ということで。


まあ、確かに、ね。
私の場合も、「お試しカウンセリング」に来られる方が私とのわずかなやり取りで、今後もこのカウンセラーとやっていくことにするかどうか、を決めるわけで。
…それは、1回、1時間のやり取りで、私の全部を測られる、ということを意味していたんだなあと、今気づいた。

私の醸し出す雰囲気にせよ、話をお聞きしての私の反応にせよ、もう私の手の及ぶところではなくて。
その私に対して、「信頼するに足る」と判断されるかどうかは、もうホント私には手の施しようもなくて。
…私はただ、私であるしかなくて。
なぜなら。私の今のありようは、言わば、私のこれまでの人生の「集大成」であるのだろう、から。

そうね。「ありよう」か。

資料には「支持しているのは言葉だけではないかもしれない」と題して

・いつも一定の時間に、一定の場所に行って話をすること
・そこには穏やかに安定して受けとめる存在がいる(セラピストは、面接室の備品の1つ?)
《場所》はとても重要ではないだろうか
・その場所が持っている空気感
・精神科に通院している人が、「時間もある時には美術館で過ごしています。落ち着くので」と言っていた。

とあったけれど。
(セラピストは、面接室の備品の1つ?)だなんて。まあ、それはあんまり、と思ったけど。
しかし、カウンセラーも何らかの「空気感」を纏う存在であるなら。
そうも言えるかもしれない、と思ってしまった。
(質問して、カウンセラーとセラピストとの用語の使い分けを意識されているのかどうかをお聞きしたけど、特に使い分けを意識していない、とのことだった。
私は。なんとなく、セラピスト、と聞くと、「治療家」というイメージがする。ボディ・マッサージを施す人も「セラピスト」って言うもの、ね。)

他に。「セラピストは、来談者のセルフヘルプを手伝っている(一部代行している)と考える方が良さそう」という資料の記述にハッとした。
だからこそ「クライエントの『自分を抱える力』が拡大していくように」関わることが必要だ、と。

今回の講演で私がつかんだことは次の2点です。
1つ目。セラピストは、クライエントが選んだ「自分を助ける」手段の1つである。
だからこそ、セラピストは、クライエントを自分の思うような方向に「誘導」してはならない、のだと思う。
そう! コントロールしてはいけない!のだ。 それは、そもそものクライエントの意思に反する。

2つ目。ロジャーズ自身に先達、先駆者はいなかった!
そういった中で彼は自分が大事と思うことをやっていった。
そう聞くと。本当に勇気が与えられる。前例がないからといって、臆することはない。

そういったことを考え合わせると。
資料として提示された、「『支える』行為の危うい状況」という項目で、

・一方的に重く寄りかかられ、それを何とか受けとめるので精一杯。→これはできるだけ避けたい。できること、できないことの区別が必要。
・無自覚に応じていると、クライエントは「それが当然」となり、その関係が固定する可能性あり。(依存というかたちでの支配の姿)
・しかし一時的には必要な場合もある。。。「今はそれを引き受けよう」と覚悟して進むこともあり。相手にそれを言葉で伝えることも。
・不適切な状況:はじめは寄りかかられることを嬉しく感じて引き受ける。しかし次第に負担になり、遠ざけたくなる。
・人に支えられるのは気持ちの良いものだろうか? 居心地良くもあり、あんまり良くないものでもあり…

の最後のポジは、私としては答えは明快で。
「クライエントの自立を目指すものであるならば、OKなのでは?」
と思い、質問の時間に講師先生に問うた。(「そうですね…」というお返事だった。)

頼られる、ことでセラピストが自分の存在意義を感じること、は危うい。
それは。人が人にできること、の領域を超えるからだ。
そもそも無理なことを長く続けられない。
セラピストができることは、どこまでいっても「サポート」することでしかない。
クライエントの抱える悩み・問題はクライエントが解決するしかない。

ただ。側にいて、一緒に、その「痛み」を感じることはできる。
私は私の抱えている問題を自分で何とかするしかなくて。
同じように、クライエントさんの痛みを私は感じたとしても、それはクライエントさんが自分で解決していくしかない。
でも、一緒にどうやって解決しようか? を考えることはできる。
たぶん。それでいいんだよね?

画像は今年初めて咲いた赤い睡蓮。
去年、咲かなくて。ああ、咲かないんだ、と思っていたら。
昨日の朝、ひっそり咲いているのに気づきました。
…そうね。あなたはあなたのペースで。いいんだよね。

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