毎月、第3日曜の夜18時半から20時。喫茶みりあむで開かれる「万葉集の会」。
今月はちょっとイレギュラーに第4日曜で開催。
講師は。カルチャーセンターでずっと万葉集の講座を持たれていた、という女性で。
後藤勝子さん。
齢(よわい)八十を越えられて、まだまだかくしゃくとされていて。
物言いが、時に非常に面白くて。
(今、「後藤勝子」で検索をかけたら。
今も「近鉄文化サロン奈良」で、万葉集の講座の講師をされているんだ!)
なんでも。
今日はここにくる前に、お孫さんのひとりが「古典で欠点だったから、婆ちゃん、教えて」と家に来られたそうで。
「待て待て。希望のある欠点か希望のない欠点か、を見なければ」と言った、とおっしゃる。
え? 希望のない欠点って?
欠点は40点未満(39点以下)。言うなれば、幅が広い。
5点そこらじゃ「希望のない欠点」。孫は35点だったから、まだ「希望のある欠点」だった、と。
ほお。欠点にもランクがある、のね。
そんな話から入っていく、「万葉集の会」。
今回は「無名歌人の歌 巻十一(二)その二。
朝寝髪(あさねがみ) 我は梳(けづ)らじ 愛(うるは)しき 君が手枕(たまくら) 触れてしものを (二五七八)
朝寝髪とは共寝をした後の、後朝(きぬぎぬ)の乱れた髪。
それをとかさない、のだと言う。
なぜなら。愛(いと)しいあなたが手枕してくれて、触れたものなのだから。
「まあ、何もかも。愛しい人が触れたものは、どれもこれも特別、になるわけですね。愛しい人が踏んだ石は、真珠になるし。
ああ、そういう歌もあるんですよ。」
とのこと。まあ、そうね。若い頃の。熱に浮かされたような、ふわふわした感覚は。
あづきなく 何の狂言(たはごと) 今更(いまさら)に 童言(わらはごと)する 老人(おいひと)にして(二五八二)
(「あづきなく」は、「味気(あじき)なし」。つまらない、努力の甲斐がない、の意。)
馬鹿みたいに。何言ってるんだろう?
いまさら「好き」だとか青臭いこと言って
自分はもう歳とってるのに。
老いた男の自嘲的な歌。
まあ。そういうこともある、か。
人を好きになるのに、年齢は関係ない、ものね。
岩根(いわね)踏む 夜道(よみち)は行(ゆ)かじと 思へれど 妹によりては 忍びかねつも(二五七八)
岩に根っこが張っているような、険しい山道。さらには。夜道、は通るまい、と思ってたんだけど。
おまえが恋しくて、耐えかねて、やってきたんだよ。
「忍ぶ」とは、耐える、我慢する。「かぬ」とは、〜できない。
険しい山道、はもしかすると、フィクションかもしれない、との解説。
宴会などで、歌を披露する中での話、かも、と。
「こんなにも苦労しておまえに会いにきたんだよ」というのは。
どれだけの困難を乗り越えてきたか、が愛の深さを示す、というので、ちょっと「競い合い」になった面もある、とのこと。
この歌の場合、険しい山道の上に、夜道、ということで、二重の「艱難(かんなん)」を乗り越えてきた、ということになる、と。
験(しるし)なき 恋をもするか 夕(ゆふ)されば 人の手まきて 寝らむ児(こ)故(ゆゑ)に(二五九九)
「験なき恋」とは、実る望みのない恋。
なぜならば。夜になると、夫の手枕で眠る人妻だから。
まあ、なんと。人妻に恋をした男の嘆きの歌、だった。
夕占(ゆふけ)にも 占(うら)にも告(の)れる 今夜(こよひ)だに 来まさぬ君を 何時(いつ)とか待たむ(二六一三)
夕方の占いにも、他の占いにも「吉」(=あの人に会える)と出たのに。
そんな今夜でさえお越しにならないあなたを。
いつまで待ったらいいのですか?
おお! 女の。恨みの歌だ。
あしひきの 山桜戸(やまざくらと)を 開け置きて 我が待つ君を 誰(たれ)か留(とど)むる(二六一七)
山桜でできた戸を開けて置いて、私はひたすら待っているのに。
私が待つあなたを、いったい誰が(どの女が)引き留めているのですか?
はあ。とため息が出そうな。
「あしひきの」は「山」に係る「枕詞」。
それでも、山の裾野を引く、その長さ、は、女が待つ、その長い長い時間の隠喩になっていそうで。
「なんで、待つのは女ばかり、なのでしょうね。」と講師先生の、ちょっと吐き捨てるような物言いが、やたら可笑しくて。
「まあ、万葉集にも、女が会いにいく、歌がないこともないのですが、数が少ない。」と。
私は、なんとなく
「男はいつも 待たせるだけで
女はいつも 待ちくたびれて
それでもいいと 慰めていた
それでも 恋は恋」
という松山千春の「恋」という歌のフレーズが浮かんできて。
「恋」は万葉集では「孤悲」と表記されていて。
ひとりで相手を想うことで、淋しさが募ってくる気持ち、 なんだそうだ。
…なんだか。切ない、ね。
それで、仰ったのが「恋ばかりはしょうがない。甲斐がなろうがなかろうが。」
そうね。想う甲斐があるかどうか、で恋が始まるわけではない。
まあ、それでも。こんな歌もあって。
古衣(ふるころも) 打棄(うっ)つる人は 秋風の 立ち来る時に 物思ふものそ(二六二六)
古衣、とは、古着に喩えた古女房。
若い子に目移りしちゃって、捨てた、のね。
だけど、秋風が吹く頃には若い女に飽きてきて、前の女房が良かったなあと、物思いするものだ、と。
ほうほう。今更後悔したって。もう遅いよ。
だけど、そんな話をつい最近、実際に聞いた、と、ご披露されて。
若い女に懸想して、古女房と離婚して、その一年後、「前の女房が良かった。。」と後悔している高齢男性の話。
まあ、万葉の時代から、何も変わってはいないよね、と、締め括られるお言葉が面白くて。
今回は男性陣が不参加な中の、女ばかりの楽しい会でございました。
画像は、今年撮った紫陽花。
とても柔らかな色目が目を引いて。
紫陽花の花言葉は「心変わり」。まあ、一雨ごとに色が変わる、から?
それでも、色が深くなっていく、のは想いも深くなっていく、からかもしれません。