セッション4:中西一恵さんの、自己の棚卸しフォーカシング
「心と体が求める20のこと」とか「心の小径」とか「どう死ぬかフォーカシング」とか。
心惹かれる「出店」紹介は他にもいっぱいあったのだけど。
「自分の状態を○○病と名付けて、その解決方法を一緒に探っていく、自己棚卸しです」という出店紹介に、何か引っかかってしまって。
ああ、そうね。今の私はまさしく病気状態、かもしれない。
あ、面白そう! やってみたい! え?こんなにたくさんのこと、私、抱えてしまってた? …え、どうしよう?やっていけるかな? わあ…こんなにいっぱい抱えてたなんて…とても無理!どうしよう…
言うなれば。私の今の状態はこういう流れで生じている。
そしてそれは「いつか来た道」で、何度も何度も同じ失敗を繰り返している。
今年こそは! もうそういう状態に陥らないぞ、と決めたというに。
なんでまた、こんな危機的状況に私はいるんだろう? と呆然とする。
…呆然とする状態は。なす術がなく、手を拱いて、ただただ立ち尽くしているだけ、ということだ。
そうしてどんどん自分の状態が悪くなっていくのをそのまま放置してしまって、もうどうしようもないところにまで堕ちていく、感じ。
…どうしようもない絶望感。
いやいや。まだ、私にはフォーカシングがあるぞ。
と気を取り直す。
そうよね。病よ。私は、病に罹っているんだ。
ならば、それを治す処方箋がいるよね?
ということで飛び込んだセッション。
なんと、白板に、参加者3名で各々が自分の「病」を書いていく。
いわく、「思いつめ病」「やらなければいけないことを先のばしにする病」「そのくせ気にしてる病」「思い立ったらあとさき考えず、すぐやってしまう病」。
と書いていって。ふと他の人のを見ると。「ねばならない病」とあるではないか!
思わず「私も!」と書き込む。
また、もうひとりの方を見ると。「人のクセが気になる病」とあるではないか!
思わず「私も!」と書き込み、さらに「メッチャある!」とまで書き込んで。
さらに「人嫌い病」と書かれてあるのを見つけてしまって。「私もある!」と書き込んだあとに。
先のもうひとりも「人嫌い病」と書いているのに気づき、なんだ3人とも、なんだ。。とあまりに共通項があることにびっくりした。
それから。各々のなんでそうなるのか、の「言い訳タイム」があって。
それを他の人が聞きながら、白板に書き加えをする。
雑然と並んで書かれていた、その人の「病」に、関連性が見えてくる。
私は、最後に「いっぱい「やらなきゃいけないこと』を作ってしまって、盛り沢山すぎて身体も心もついていけなくなって後悔する病」と書いたのが、全てを言い表しているような気がして。
つまりは。「思い立ったらあとさき考えず、すぐやってしまう病」から始まって。
「やらなければいけないことを先のばしにする病」「そのくせ気にしてる病」と続き、挙句「思いつめ病」となる。
考えなしに飛びつく→いっぱいありすぎて疲れる。→先延ばし→収拾つかない。
私の「言い訳」を聞きながら、白板に書き加えがされていく。
…うん、まあ。そうだよね。
それから、個人セッションを受けることにした。
私は私の抱えている問題を1つ1つ置いていくことにする。
問題について詳しく語らなくてもいい、と言われ、それから、「ここに置こう」とイメージするだけでもいい、とも言ってもらう。
けれど、私は視覚化したい気持ちがあって。
私の抱える問題1つ1つを椅子に見立て、それを一つ一つ、自分の位置から適切と思われる場所に置いていく。
そうすると。大きな問題が3つ。
それから、今からどう動くかわからない問題1つ。
そして、「線」でもなく「面」でもなく、「点」で関わるだけでいいと考えている問題が2つ。
それで? どうする?
ちょっと身体を引いて。遠くから眺める。
「…まあ、私には何でも完璧にしたい!があって。それを『そこそこでいいじゃん?』にする。」
「ひとつひとつ、片付けていく。…まあ、1日1個すれば、それで良しとする。あれもこれもやろうとしない」
ああ、そうだよね。
そうでもしないと、またダウンするよ。
わかってはいるけれど。そう動けなかった、ことを腑に落としていく。
ああそれで。いいんだよね。
ああ、こんなに抱えていたら大変だ。
まこさんの中の小さいまこちゃんに何が必要? と問われて、
ん? 何が必要? と問い掛けて。
即座に「ハグして欲しい」が出てきた。
そうそう。こんな大変な事態には。ハグが必要。と思ったら。涙が出てきた。
セッションが終わって、中西さんから、「椅子を置きに行っている動きはとても素早くて。それに比べて、さてそれをどう見るか、の時には随分時間が掛かって。」
「つまりは、動きに落差があったんだよね」と言われ。
そうか。気持ちがついていってない、ことの現れであるか、と思ったら。
「早く、自分から切り離したい、気持ちの表れであったかもしれないけどね」と言われて、そうとも言えるなあと思ったことでした。
私のセッションで時間が来てしまって。次の人にまで回らなくて申し訳ない気がしたけど。
でも、一緒に見ていて。ご自分の中で動くものがあった、という。
セッションを希望されていなかったもうひと方も。
私と同じ「まさこ」さんで。
まこちゃんに何が必要?の答え、「ハグして欲しい」と聞いた時には、何かうるっとくるものがあった、らしい。
グループワークの豊さを感じるセッションでありました。
セッション5:長瀬さんの「ごきげんいかが?」
ラストのセッション。これまた「自分の感じと仲良くなるフォーカシング」とか「エイジアン フォーカシング メソッズ」とか。
いろいろ心惹かれる「出店」があったんだけど。
ふわっと。「ごきげんいかが?」と問われて、今の私にそう問い掛けたくなって、そこを選んだ。
そうすると。不思議なことに朝のホームグループから、先ほどのセッション4もご一緒だった方とまたご一緒で。
しかも。参加者二人。
ああ、今日は。一日中ご一緒ですね、と声掛けし。
中島みゆきの歌に「御機嫌如何?」というのがあるらしい。
「御機嫌いかがですか。私は相変わらずです。泣いてる日もあります。笑う日だってあります」というフレーズがあって。
いろんな日があって、「私は相変わらずです」というのがいいと思う、という「出店」のタイトルにこの言葉を選んだ理由を説明されて。
ホントそうだよね、と思ったことでした。
1日目からの振り返りをしながら、今の自分の心の状態をそっと見る。
なんか。とてもとてもいい時間、でした。
それで、このセッションが終わったあとに。もうひとりの参加者に、
「1ヶ月後とか。『ご機嫌いかが?』をし合いませんか?」と声掛けし。LINE交換をしたことでした。
セッション6:(振り返り)2つのホームグループを1つにまとめて4グループとし、それぞれで振り返り
最後のセッションは、新しい「出店」ではなく、2日間の振り返りの時間で。
2日間のフォーカシング三昧の時間から、現実世界に戻るためのセッション。
感想を言ったり、質疑応答があったり。
私は、「壺イメージ」セッションのあとから出てきた疑問を口にした。
「『壺イメージ』では、まず自分の中にどんな感情があるかを確認して、それをどこに仕舞っておくか、その置き場所としての『壺』をイメージする流れを示されていたのですけれど、私は『壺』と聞いた途端に、もういきなりイメージが、映像としてきてしまって。
その後のセッションで、壺の中に入ったり、いろいろしたんですけれど、そもそもの出発点としてのありようがこれでよかったのか?が残ってしまったんです。」
スタッフの矢野先生のお答えが分かりやすかった。
「たとえば、コラージュをするとして、沢山の画像から何を選んでくるか、といった時に。最初に自分の中にあるイメージに合うものを探すこともあるし、画像を見て、あ、これだ!と思うこともある。その時に何がどう作用しているか、というと、画像が、自分の中のイメージを喚起する、形。」
だから、先に壺のイメージが来たとしても。それはそれでいいのでは、ということだった。
あ、そうだよね、と思った。
私の中の何かが反応して、ひとつの壺が出てきて。それはもう、その時の私の中の感情が既にうごめいた結果、であるわけで。
まあ、それも私のフェルトセンスの発動で。
あと、チャネリングとフェルトセンスの違いは? という質問に対する小泉先生のお答えも分かりやすかった。
「チャネリングについてよくわからないんだけれど、少なくとも自分の脳と、地球外生物との交信、かもしくは自分の脳に中で何かが起きているのか。でも少なくとも自分の身体感覚とは繋がっていない。フェルトセンスは自分の身体感覚と繋がっているもので。だから全く違う。」
ああ、なるほど!と思った。
そんなふうに。明確に説明されて、とても納得がいった。
そうやって、「現実世界」にグランディングしていくのか、とそこまでの「ワークショップの設計」が興味深かった。
以上が、私の「フォーカシング三昧」の2日間です。
画像はセッション4で、椅子を置いた図。
視覚化するのは、とても整理がついていい。ちょっとよろしくない状態の私を引き戻してくれたフォーカシングに感謝。