宇多田ヒカルの「SCIENCE FICTION TOUR 2024」を観る。聴く。
ツアー最終日のライブの18曲を収めたもの。
いつもは、写真・録音OKしてる、らしい(!)が、この日だけ、「ごめんね!」と宇多田ヒカルの謝罪が最初に入る。
…まあ、ブルーレイにするのに、録音したりしているスマホの画面が大量に映るのも、どうかと思うから。
それに宇多田ヒカル自身がそう言って謝っているんだから。
会場にいる人たちの雰囲気は悪くなってない。
会場の凄い数の人、人、人。
こんな大勢の人を前に、「たったひとり」に向けて、歌い出すんだな、きっと。
ひとりひとりに届くように。
私はもともと「COLORS」が一番好きだったけど。
今回何回も聴いたのは「Letters」。
これも多分。母を亡くしての曲なんだろうな、と思ったら。
2002年のアルバム「DEEP RIVER」の中に入った1曲だった。。
…あ、違ってた、ね。
だけど。未来を先取りする、こともあるから。
私が14の頃、「手に入らない水平線」に、無性に気を引かれた、ように。
戻れない場所があることを知る〜長田弘の詩「あのときかもしれない 四」
暖かい砂の上を歩き出すよ
悲しい知らせの届かない海辺へ
君がいなくても太陽が昇ると
新しい一日の始まり…
ああ 両手に空を 胸に嵐を
ああ 君にお別れを
ああ この海辺に残されていたのは
いつも置き手紙
ああ 夢の中でも 電話越しでも
ああ 声が聞きたいよ
ああ 言葉交わすのが苦手な君が
いつも置き手紙…
ああ 花に名前を 星に願いを
ああ 私にあなたを
ああ この窓辺に飾られていたのは
いつも置き手紙
ああ 少しだけシャツの上でも
ああ 君に触れたいよ
ああ 覚えている最後の1行は
「必ず 帰るよ」
ああ 安らぐ場所を夢に続きを
ああ 君に「おかえり」を
ああ この世界のどこかから私も
送り続けるよ
ああ 夢の中でも 電話越しでも
ああ 声を聞きたいよ
ああ 言葉交わすのが苦手なら
今度急にいなくなる時は
何もいらないよ
メロディーラインだけで、なんとなく、もの悲しさが伝わってきていたけれど。
歌詞を確認したら、なおさらのことで。
…そうね。この人はこんな淋しがり方をするんだった。
交わした言葉の。一方通行的に閉ざされた言葉の残骸を。
こんなふうに抱きしめるんだ。祈りを込めて。
声にならない言葉は音として表出され、今回は「ああ」で。
私の今回の発見は、その声にならない言葉の音、が妙に心地よく私の中に入ってくること。
原始の叫びに近いような、それが、私の奥底までストンと落ちる。
…私は、言葉にならないままに、それを丸ごと理解する。
彼女の深い哀しみとともに。
あ、きっと彼女もHSPだね…突然、そう思った。
これまでも生きにくかった、だろうね?
でも今は、こんな大勢を前にしても大丈夫、なんだ。
構えなくていい、ってことがわかった?
大勢の人の前に立つときは、…それが40人という小規模集団であっても緊張するので、私は意識的に肩の力を抜いた。
そうして、「たったひとり」に語りかけた。
ああ、そういえば!
彼女も歌っていたじゃない!
誰かの為じゃなく 自分の為にだけ
歌える歌があるなら
私はそんなの 覚えたくない
だからFor you…
(「For You」2000年)
そうね。私の言葉も。人と対話するためにある。
自分にだけ向かう言葉には、何の意味もないと思う。
自分にだけ向かう言葉とは、自分を憐れんだり、人から可哀想と同情してもらいたいがための言葉。
…それは、閉ざされていて、開いていない。
開いていない言葉は、人には届かない。
この「For You」の歌詞は奥深くて
誰かの為じゃなく 自分の為にだけ
優しくなれたらいいのに
一人じゃ孤独を感じられない
だからFor you…
強くなれるように いつか届くように
君にも同じ孤独をあげたい
だから I sing this song for you
という言葉が割と最初にあって。
それからさっきの言葉へと続く。
…まさに仏教で言う「自利利他」の境地、ね。
(2000年と言えば。宇多田ヒカルは1983年生まれというから、17歳の時の言葉、なのか。)
(あ、ここで1700字。そろそろやめなきゃ、2000字いっちゃう。それにもうすぐ書き始めて90分だ!)
でもまあ、まるで古びないのは、言葉が彼女の内(なか)から出てきたもので、そして真実を突いているからだろう。
そうね。聞き手がどんな状況でも。それを全て包み込むだけの力があるんだ。
ああ、凄いね。
私は…私の言葉は。どこまで届くだろう?
わからない。
わからないけど、一定期間放っておくと、私の内(なか)に言葉が溢れてくるので。
それに突き動かされるようにして、私は言葉を編む。
ま、いいっか。何がどうなっているのか、よくわからないけれど。
いずれ私にも何につながっていくのかわかる時が来るでしょう。
画像は12月27日、暮れの押し迫った日の寝室から撮った日の出。まあ、ともかくも日は昇り、「今日」が始まります。