2025年1月13日朝。
最初に訪れたのは、何必館・京都現代美術館の「ロベール・ドアノー展」。
…「何必館」って。読めない、よねえ…。「かひつかん」と読むそうな。どうやら、館長の「造語」らしい。
「何ぞ必ずしも」と常に定説を疑い、自由な精神を持ち続けたいという願いのもと、館長梶川芳友により1981年11月に開館。
とネットで調べたら出てきた。私設美術館。
そうそう。「ドアノー展」は2018年末から2019年初めにかけて、開催されている。
あ、その時に初めて来たんだ、やっぱり。
入館料1,500円は、65歳以上、高校生以下は無料だそうな。(ふふふ。もうちょっと、ね。)
ドアノーは、館長さんと個人的にも交流があったみたいで。
だから何回も、開催するんだね。
1階と2階、5階が今回の展示。
2階には階段で登る。
5階に上ると。庭があって。「光庭」、だそうな。
残念ながら、紅葉は散ってしまっているけれど。
新緑の頃や紅葉の頃には。綺麗、なんだろうな。
奥には茶室。(というが、茶室の割には広い。)
何か。ビルの5階であることを忘れるような。不思議な空間。
地下は常設の「北大路魯山人」作品室。

「玄遠」とある。
「言論などに深みのあること」を言うのだそうだ。(まあ、「玄」は「玄人(くろうと)」の「玄」だもの、ね。)
面白い、デザイン性のある筆跡だなあ、と思う。
花器に活けられた枝がふた方向に延び、拡がりと奥行きを演出する。
この一対(いっつい)で、作品、なんだろう。
華やかな、紅い掛け軸様の軸下と、侘び寂びの体現様の活け花、と。
やはり。「京都」でなければならなかったのだろうな、と思う。この「美術館」の所在地は。
京都の花街の一角に、こういう建造物を建てる、ということ自体、「粋(いき)」なんだろうなと思う。
そういった、渾身の想いが詰まった私設美術館。
それから。寺町商店街の「ギャラリー ヒルゲート」に行き。
今日から、「作家展」が始まるから。
ちょっと「お目当て」の作家さんがいて、ね。
それで、やっぱり買ってしまった。。。
角(すみ)りわ子の作品。
何年か、前から。この人の器、買ってる。
なんか。面白いんだよねえ。この人の器。見ていると。何を盛ろうか、という気になる。
見た目の「重厚性」に比して、持った時には随分軽い。(このギャップも気に入ってる。)
まあ、「道具」としての利便性は失ってはいけない、と思う。…「用途」を追求した上での、「美」なんだから。
角りわ子さん。確か、歳が近いんだよね。。
一度、お会いしたいなと思っている。今年6月には「ギャラリー ヒルゲート」で個展があるみたいだから。
来なきゃ。(…お金、貯めておかなきゃ。)
それから。安野光雅のリトグラフ。4枚ほど出ていて。
そのうちの一枚。…買ってしまった。。
ちょっと逡巡したんだけど。でも、見逃したら、きっと後悔する、気がして。
作家が自分用に残したエディションの15/20。(20枚だけ刷って、その15枚目)
…まあ、自分の寝室&仕事場には、絵が一枚もない、からね。
支払いは、会期が終わる1月26日。(まあ、それまで展示するから。)
それから、郵送していただく。
「ギャラリー ヒルゲート」で目に止まった彫刻。
チラシで見た時には。もっと大きな像かと思ったけど。
実際はとても小さな立像で。
右手の甲に穴が開けられていたから。これはキリスト、なんだね。
菊地伸治(1958年生)という作家の作品。「彼の影」というタイトルがつけられていた。
40センチ四方の台座の上に立っている像。作品全体の高さh153センチ、というから、台座そのものの高さが随分ある。
でも、実際に見てみて。なんとなく、この高さの台座が必要だった、んだなあ、と思う。
彼の作品展は、「ギャラリー ヒルゲート」で1月13日から6月15日まで。
室内にはこんな作品もありました。
ラピスラズリを大胆に置いた、というか、台座(とも言えないなあ…)から浮かせたしつらえのラピスラズリ。
なんと言うか…ラピスラズリの青に魅かれての作品のように感じた。
ラピスの青を、そこに置きたかった、のね?
本当は。周囲に何もない空間でこそ、この作品の真価は発揮される、と思う。
…やはり、その作品、その作品ごとに。どれだけの空間を必要とするか、は違う、ね。
まあ、ギャラリーの広さは限られているから、仕方のないこと、だけど。
ちょっと目を引いたけど。
まあ、私には、この作品の必要とする空間は作ってあげられないな、と思ったことでした。
楽しい、美術館&ギャラリー巡りを振り返っていたら、1800字を超えました。
もうちょっと簡素にまとめるつもりだった、んだけど。ご容赦ください。