最後に、東豊先生と野末武義先生による「ケーススーパービジョン」に入りました。「臨床事例」は、「夫の定年を前にして、家事を教えようとする妻が、なかなか上手くならない夫に対して苛立ってしまう」というものでした。最初は妻一人でカウンセリングに来たけれど、「夫も連れて来ます」ということで夫婦でのカウンセリングになったということでした。
事例報告者から逐語的な記録が提示され、3パートに分けて、随時に参加者から質問を受け付けたり、二人の講師からのコメントがあったりしました。(資料は、研修後回収)
まず、最初の部分で、東先生から「家族の構成メンバーが知りたい」との質問がありました。これは、「今後、誰がどう動く子どができるか?」を確認するためだと言われました。家族構成は夫婦以外に、長女、長男で、両方共30代。まだ結婚はしていない、とのことでした。仕事もしていて、両親には余り関わってこない、ということでした。
野末先生は、「夫は、どのように妻に言われて、それをどう思ってカウンセリングに来たのか?」と聞かれました。「妻から、もっとできるはずなのになかなか出来ない、それで困って相談に行きたい」と言われ、それに夫も同意している、とのことでした。続けて、「なんでこの段階で来たんだろう?」と質問されました。妻の両親は健在かどうか、聞かれました。つまり、「親の亡くなった年齢に近くなったら鬱っぽくなる人もいる」ということで、それを気にかけていらっしゃいました。「それともempty nest?」と言われたので、ん? empty nest?空の巣症候群? ああ、何か喪失体験を言われているのか、と思いました。妻の両親は、妻の最初の結婚時には健在だったようですが、上の子が生まれた時に亡くなった、とのことでした。ここで、妻は今の夫とは再婚で、姉は、先夫との間にできた子であることがわかりました。(夫は初婚)
その他、野末先生からは、「セラピストはふたりとも、うなづけることを最初に言うことが大切」という指摘がありました。
次の部分で、妻の夫に対するDVが出て来ました。すぐさま東先生から、「あなたはそのままカウンセリングを続けたのですか? 僕ならもうここでアウトですよ。」と言われました。継続するなら「暴力をしない、という契約のもとでセラピーを継続する」と。契約できないなら、セラピーは打ち切りだし、DV対策も含め、対応できるところにリファーする、と言われました。
東先生の強い語調に、私を含め参加者は、ちょっと、え? という反応だったと思うのですが、引き続き先生が「だって、そうでしょう? これが、夫から妻への暴力だったら、皆さんすぐにDV、と思って対応するでしょ? なのに、妻から夫ならいいんですか? まあいいか、になるんですか? それは、明らかにジェンダーバイアスがかかっているでしょう?」と言われて、ハッとしました。
「皆さん、よろしいですか、セラピストの陥りやすい間違いは、共感することを訓練されているから、『この人もこの人なりの傷つきがあるのだから、と暴力を甘く受け止めてしまうことですよ。『受容』『共感』に反すると思うからでしょうか?」
「妻自身が、暴力的な家庭に育ったのでしたね。そうすると、『子どもの時に嫌だったことを、今自分自身がやっている。そのことをどう思うのか?』と妻に問うべきなんですよ。そうでないと不適切な養育の反復が起こる。」
「ダメなことはダメと言うことで、関係が深まるのですよ。」
野末先生からも「暴力を振るう前に何が起こっているかを見る必要がある。怒りの前に傷つきがある。『暴力を続けていると二人の関係を壊すことになるけれど、その覚悟はあるのか』と聞く必要がある。悪循環を作っているのは妻なのだから。」という言葉がありました。「『暴力を振るって、結果、何かいいことはあったのか?』とメタ認知させることも必要」と言われました。
さらに、野末先生からは、「もう少しセラピスト主導でいいのではないか? 夫婦合同面接と個人面接とを組み合わせ、妻の個人面接だけでするという選択があっても良かったのでは」とのコメントでした。「夫との個人面接では、どのように妻と関わるか、アサーション的な関わりを勧めること、また、『暴力を受けている、この関係でいいのか? どこまでそれに付き合うのか?』を夫に聞く必要がある」と言われました。
最後の部分からは、妻の躁鬱が疑われる状態が示され、参加者からも医療機関との連携はできないのか、といった質問もありました。
野末先生は「妻の鬱ってどんなものなのか、源家族の時のキズつき? 個人としてのキズつき? それを聞いてみて、本人が触れたくないようなら『なぜ触れたくないのか』と聞く必要がある」と言われました。野末先生が(これとは別に)合同面接のトレーニングを見ていて、傾向として「なぜ、それ以上聞かないの?」と思われることが多々あるそうです。クライエントの話される言葉だけを拾ってそのまま受け止めてしまう。「踏み込み過ぎ」を恐れるのか? と。
「エモーション・フォーカスト・セラピー」はそうじゃないはず。丁寧に関わるということは言ってないことに触れないことではない。それは本当の受容でも、本当の共感でもない。
また、「循環的に何が起こっているか」への気づきを促すこと、「結局は本人にとってプラスのことはない」に気づかせることも、「共感」になる、と。「クライエントの視野を広げる」こともセラピストに必要なことで、それは次へのステップになる、と。
他の事例として、「親に謝罪させたい」と要求してきたクライエントに対して、断った、という話をされました。「自分のやっていることが自分にとってプラスになっていない」ことをきちんと伝えたそうです。
東先生は、「限界設定が必要」という話をされました。それはまず、セラピスト側の問題として、「問題と思う意識が出てくるものは、自分が苦手としているものなんだ」ということだそうです。それは悪いことではなく、人間誰しもオールマイティーではない、とのこと。その場合、リファーできる関係機関を数多く持っているか、が大事だと。そして、リファーする場合は、クライエントにもそのことを聞くこと、と。
あっという間の2時間半でした。本当に考える視点をたくさんいただいた、実り多い時間でした。
画像は、自宅の階段。お気に入りのミュシャのリトグラフが、下半分になってしまいました。
補注)エモーション・フォーカスト・セラピー
感情とはいわば「自己の内なる他者」であり、自己を破壊するものにも自己を構成するものにもなりうる。EFT(エモーション・フォーカスト・セラピー)は、神経科学や基礎心理学の最新知見、「空の椅子の対話」「二つの椅子の対話」という特徴的な技法、多様な心理療法の統合によって、この感情という未知の領域を踏み分け、感情調整を試み、かつてない自分に変容するための好機(chance)としていく。EFTの創始者は、レスリー・グリーンバーグ。
補注に対する感想)う〜ん…エンプティチェアー(空椅子)は、ゲシュタルト療法ではなかった? レスリー・グリーンバーグって何者? もうちょっと調べます。