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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
詩の世界
2017/08/18
「日常」に潜む「非日常」〜平田俊子の詩「あいさつは大事」〜  
今朝はちょっと風変わりな詩を。「読書への誘い」第2号で紹介したものです。

  

 


続き
年中行事
2017/08/17
盂蘭盆会 施餓鬼法要(うらぼんえ せがきほうよう)  
昨日は、父のお墓のある霊園で「盂蘭盆会 施餓鬼法要」が営まれました。
昨年は、父のお葬式を行ってくれたお寺での法要に参加して、霊園での法要には参加しなかったので、今年が初めて、となりました。
午前の部とお昼の部、夕方の部の3回あったのですが、最後の夕方の部に参加しました。

まずは法話。
「盂蘭盆会」はサンスクリット語の「ウランバーナ」からきていて、「逆さ吊り」のこと、だとか。
つまりは、地獄に落ちての苦しみを意味するそうな。
それから、釈迦の10大弟子の内の「目連尊者」の話。

安居(あんご=それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行する期間のこと)の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。

喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

哀れに思って、釈迦に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘(修行僧)に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と言われた。
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。
すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

「飲んだり食べたり踊ったり」の踊りが「盆踊り」の由来だそうです。
四天王寺では、開祖の聖徳太子の生誕1400年を迎える平成34年に向けて、3年前から「河内音頭」の曲に乗せて、歌詞は聖徳太子にまつわるお話にして始めたそうです。
…まあ、お経も「如是我聞」(=お釈迦様がおっしゃったことをこんな風に私は聞きました)というお話だから、新たに「聖徳太子はこんなお方です」のお話ができてもいいのかもしれない。
毎年、「〜編」ということで、聖徳太子一代記①ご生誕編、②少年時代編、③蘇我vs物部編、と続き、今年は「④四天王寺創建編」だったそうです。

ふう〜ん。
どんな宗派も受け入れます、という四天王寺は、「和宗 総本山」として立っているお寺だったのですね。
両親が自分たちで用意した墓地だったので、知りませんでした。
ちょっと、「聖徳太子一代記」も面白そうですね。

それから、声明が始まって。続いて読経。読経の最後は般若心経でした。
その辺りから、一般参列者のご焼香が始まり…。

会館の外に出ると、夜の7時前で、辺りはすっかり日暮れていました。
墓地を通って駐車場に向かう途中、頬を通り過ぎる風が爽やかに感じられました。
ああ、もうやっぱりお盆を過ぎた風だ…と思いました。

子どもは退屈そうでしたが、私には法話やお経を聞いたりする時間が心地よく感じられることにも気づきました。
あれやこれや…思いを馳せるのに、必要な時間、なのかもしれません。

画像は、法要が営まれた会館。お坊さんが十人も来られていました。
金色の、燦然と輝く調度品で、「死ぬのは怖くないんだよ」と説いているのでしょうか?

絵本の世界
2017/08/16
クレーの絵に詩を添える〜『クレーの絵本』谷川俊太郎〜  
本の帯には「Art & Poem  響きあう絵と言葉のおくりもの」とあります。
講談社から1995年に第1刷が出ています。私が持っているのは1999年の第12刷。
パウル・クレー(1979−1940)の絵に谷川俊太郎が言葉を添えて、美しい詩絵本となりました。

クレーは音楽教師の父と声楽家の母、三歳年上の姉の四人家族の長男として、恵まれた環境に育ち、4歳で祖母から絵を、7歳でバイオリンを始めたそうです。ナチスによる迫害と、皮膚硬化症という奇病に苦しみながらも、目覚ましい創作活動を展開し、1940年6月、療養先の病院にて永眠。
絵と音楽と詩にあふれた生涯だった、と奥付の紹介にありました。

いくつかの、目に留まった詩と絵を紹介したいと思います。


13  「まじめな顔つき」(1939)

  まじめなひとが
  まじめにあるいてゆく
  かなしい

  まじめなひとが
  まじめにないている
  おかしい
  
  まじめなひとが
  まじめにあやまる
  はらがたつ

  まじめなひとが
  まじめにひとをころす
  おそろしい


この絵本の13番目の絵と、それに添えられた詩です。
昨日は8月15日、終戦記念の日でした。
それで、多分、目に留まったかと思います。

「かなしい」「おかしい」「はらがたつ」「おそろしい」といった感情を表す言葉。
一般的には詩では用いない言葉です。
悲しい時に「悲しい」と表現するのではなく「悲しい」情景を描写する、というのが「詩の作法」だからです。
けれど、あえて詩人はこの言葉を持ってきました。しかも、ひらがな表記で。

すると、どうでしょう? 
「まじめなひとが/まじめにあるいていく」その姿が、滑稽で、そして妙に物哀しく、情景として浮かんできます。
「かなしい」は「悲しい」でも「哀しい」でも「愛しい」でもいいわけで。
どんな風に感じるかは、読み手に委ねられています。
漢字文化をベースにして、和語の持つ響きで奥行きを持たせた試みだと思います。

最後の連は、そういった「普通の人」が「普通に」人が殺せる恐ろしさを訴えていると思います。
そのような狂気に走るムードにならないよう、踏ん張らないといけないと私は感じています。



35  「死と炎」(1940)

  かわりにしんでくれるひとがいないので
  わたしはじぶんでしなねばならない
  だれのほねでもない
  わたしはわたしのほねになる
  かなしみ
  かわのながれ
  ひとびとのおしゃべり
  あさつゆにぬれたくものす
  そのどれひとつとして
  わたしはたずさえてゆくことができない
  せめてすきなうただけは
  きこえていてはくれぬだろうか
  わたしのほねのみみに


1940年というと、クレーが亡くなった年ですね。
死の影を感じていたのでしょうか。妙に絵が暗いです。
それに反応してか、谷川俊太郎はこのような詩を添えました。

ボイスアートのまやはるこ先生が、「死んでいくときの描写は、『かぐや姫』のアニメ映画で上手に描かれていたと思う。あんな風に、だんだんとこの世での記憶がなくなって、感情が消えていって、無表情になる」と言われていたのを思い出します。

そうなんでしょうね。記憶を手放すから、感情の起伏もなくなり、何も感じなくなって、やっと「執着」から解放されるのかもしれません。
わたしの好きだったものは「そのどれひとつとして/わたしはたずさえていくことができない」と知りつつ、それでも、と願うのですね。
「せめてすきなうただけは/きこえていてはくれぬだろうか/わたしのほねのみみに」
それが「私」の残像となることを願ってしまう。かくも「私」から離れることは難しい。



37  「黄金の魚」(1925)

  おおきなさかなはおおきなくちで
  ちゅうくらいのさかなをたべ
  ちゅうくらいのさかなは
  ちいさなさかねをたべ
  ちいさなさかなは
  もっとちいさな
  さかなをたべ
  いのちはいのちをいけにえとして
  ひかりかがやく
  しあわせはふしあわせをやしないとして
  はなひらく
  どんなよろこびのふかいうみにも
  ひとつぶのなみだが
  とけていないということはない


最後は、表紙絵となっている「黄金の魚」です。
生きているということが、そもそも他の命をいただいていることで。
それを考えると、確かに、手放しで喜べるものなど、何ひとつないのかもしれない。

始まりがあれば終わりがあって。人との出会いもそう。
出会いがあれば、別れもあって。

そういえば、「出会いは選べないけど、別れは選べる」というようなことを聞いたことがあるような。
出会いは偶然に始まるけど、別れは…どんな別れ方をするかは、自分の意志で選べる、と。
「突然の失恋もあるから、それは違うよ」と言われそうだけど、でも、その場合だって、いろんな別れの兆候を「見ないふり」「気づかないふり」をしてきた自分がいるのだと思う。

でも…出会いも本当は自分の意志かもしれない。
会ったとしても、心動かされないと「出会えない」。
心動くためにはほんの少しでも、心に「余裕」というか…「余白」がないと、他の人が入ってこれない。
その「余白」をその人のために作ったのは自分、ではないだろうか。…という気がしてる。

どんなことも「私」が望んだこと、なのね。
ならば、今からは何を望もうか、と考えよう。
どんな今日を、どんな未来を創ろうかって考えよう。

亡くなる年まで絵を描き続けたクレーの存在は、私が何によって立つのか、を思い起こさせてくれました。

幸せをおすそ分け
2017/08/15
子どものお盆帰省  
お盆に子どもが帰ってきました。
…「帰る」って言ったって、広島生まれの広島育ちなので、「帰る」感覚はないでしょうけれど。
ああ、そうか。親の私がいるところに帰る、感覚、かな?
「ただいま、帰りました。」という祖母へのご挨拶に、へえ〜とちょっと感動した母なんですが。

4日ほど居ると聞いていたので、前後は移動日だから、実質は中2日ね、と思っていたのですが、1週間居るというので、そう聞いた途端、なんか、ちょっと嬉しくなってしまった私です。(あ、やっぱり私、嬉しいんだ、と思いました。)

いろいろ聞きたいこと、ある。いろいろ話したいことも。いろいろ食べさせたいものも、ある。
…何を作ろうかねえ。…何食べたいかしらね? それを聞こうかしら。
なんか、私の中の、あれしたいこれしたいが、むずむず湧いてきた。
ああ、ダメダメ。まず聞いてからね。

生駒駅まで車で迎えに行って、顔を見たかと思うと、「キャリーバッグのコロが1コ壊れた」と言う。
今回、下宿を出た途端に気づいたそうな。バイト代が飛ぶ!と嘆く。
「私の同級生がキャリーバッグを直した模様をFacebookに投稿していたよ。」と情報をあげる。
私も「凄い!」と思ったけど、そんな、自分でできる気がしなかったので、微に入り細に入って投稿記事を読まなかった。…もう一度見直さないと、と考えている自分を意識する。
さて、この子はどうするかな? 

子どもの顔を見た途端、杏樹(アンジー)が大興奮。
ぴょんぴょん跳ねて、歓迎する。
夕方のお散歩も、子どもが家にいるから行き渋って、トイレを済ませたら、早々に「帰ろう!」って引き返す。
ね、アンジー、全然世話もしてくれなかったのに、おまえ、好きなんだねえ…。なんでかなあ。

画像は、昨日の朝、トリミングに行って綺麗になったアンジー。向日葵の飾りが夏らしいでしょ?

ゲシュタルト療法
2017/08/14
第3回 ゲシュタルト・アドバンス トレーニングコース〜室城隆之さん〜(2)  
前回の続きです。
理論説明の時に、「技法の前に哲学があるので、どういった哲学からその技法が出ているのか、それを理解してほしい」と言われていました。
…なんでもそうですね。形を追っても、型のように真似するだけでは、何かの折に破綻をきたす気がする。
通り一遍の状況でない場合、対応できない気がする。

あ、今「通り一遍」なんて打ってしまったけど、「通り一遍」なんて意識でいるときはダメですね。
「見慣れたパターン」のように思えても、クライエントは違うし、状況も異なるし、…多分、真っさらな気持ちでクライエントの前に座らないといけない、気がする。
続き
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