「駝鳥」 藤富 保男
になったので会いに来てくれ、という友人が最近発
生した。ゼリーとパフェをバケツに詰めて、砂よけ
帽をかぶり長い道を歩いて面会に行った。
まあ、這入りたまえ、と駝鳥語で返事がした途端、
こちらも、程よく首がのび出し、口が尖り、腰がふ
くらんで来た。二人で騒々しく話の掛け合いをして、
二人は二人の悲哀に涙を流した。
砂が目にしみた日であった。
(詩集『一体全体』花神社・1985年刊)
タイトルが、そのまま詩の言葉に流れ込んで、世界が始まっていきます。
「駝鳥」ってくるから、あ、あの大型の、首が長くて、お尻が大きい、あの妙な体型の鳥ね、と思っていると、「になったので会いに来てくれ」と続き、え?え? 誰が駝鳥に? とこちらは戸惑っているのに、「ゼリーとパフェをバケツに詰めて、砂よけ帽をかぶり長い道を歩いて面会に」行くのですね、この人は。
それでもって、友人は「駝鳥語」で話し、え?何?駝鳥語が分かるの?
と思う間もなく、
「こちらも、程よく首がのび出し、口が尖り、腰がふくらんで来た。」って、どういうこと?
「二人で騒々しく話の掛け合いをして、二人は二人の悲哀に涙を流した。」って…、
やっぱり、「類は友を呼ぶ」のか「友は類を呼ぶ」のか、よくわかんないけど、そういうことになっちゃったのね、と。
ふと出典の詩集名をみると『一体全体』。
…よく出来た書名だわ。
どこからこの詩を見つけてきたのか定かでないのですけれど、
この詩集は持ってないので、何かで紹介されたものを持ってきたのでしょう。
他の詩も読みたくなるような気持ちになります。
タイトルを別につけるのでなく、「書き出しの言葉をタイトルのように見せかけて、書き始める」というのは、
この詩を知ってから始めたような気がします。
正式なお手紙はそんなことしませんが、たとえば、家族や友人に送るメールなど。
タイトルを別に考えなくてよくて、とても重宝なのです。
ですが、よく考えると、昔の文章は、タイトルなどなかったのですよね。
たとえば、「花は盛りに」という吉田兼好の『徒然草』の一節は、
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」から始まる一段の最初を取って「タイトル」のようにしていますが、
でもそれは教科書教材として「タイトル」が要るからそのようにしただけですよね。
まあ、この詩も散文詩なので、そういった流れにあるわけでしょうか?
それにしても、「駝鳥」なんてインパクトのある単語を先に出し、
そのままずるずると「駝鳥変身譚(たん)」に引き込むなんて、かなりのテクニック。
あれよあれよといううちに引き込まれ、
「なんで駝鳥になった友人に会いに行くのに砂よけ帽が要るのか?」と思っていたら、
最後は「砂が目にしみた日であった。」で終わるので、
そうか、「二人で騒々しく話の掛け合いをし」た時に、思わずばさばさと羽を動かして、
で、砂が目に入るのね、と納得したのでありました。
まあ、ね。駝鳥を見て、ばさばさ羽を動かす駝鳥を見て、ここまで世界が広がるのも、凄いことだわ、と妙に感じ入りました。
「当事者にとっての『悲劇』は、端(はた)から見たら『喜劇』という言葉があります。
ちょっと意地悪い言葉ですが、でも、自分に降りかかった災難にどっぷり浸かってしまわないで、
ちょっと横から眺めてみたら見え方も変わってくるのでない? と言われているようにも思えます。
「気持ちの落ち込み」も、急に来るときには「災難」としてか思えないときありますね。
なんで、今頃…。まったく、こんな時に…。
腹立たしいやら、情けないやら。
でも、仕方ないね。こんな風なのが、私なんだから。そう思えたら、まだ大丈夫。
「まあ私、何やってるんだろ! おかしいね。」そう思えたら、もっと大丈夫。
そう思えずに、私ってダメな人…と自分を責めてばかりに気づいたら、ひどくならないうちにご相談を。
画像は、昨日に「税理士事務所」を開設した友人に贈ったプリザーブドフラワーの置物。
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