「自分の感受性ぐらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
(『自分の感受性ぐらい』花神社 1977年刊)
この詩に出会ったのは、比較的早かった気がします。…20代半ば、かな。
傷つきやすい自分を抱えていて、何かあると、すぐヘコんでいました。
自尊感情が元来低いものだから、ヘコんで穴に落ちると、なかなか上がってこれない。
…そう、落ち込むのは、丸い壺状の暗い穴の中、かな。
なんせ、つるんとしていて、足の引っ掛けようがなくて、そこからなかなか抜け出ることができない…というイメージがありました。
自己憐憫にも陥った、と思います。
でも、その自己憐憫は間違いである、とパカンと頭をはたかれた気分。
びっくりしました。
「…だって、」と言い訳しそうになるのを、全部封じ込められて。
で、最後は「自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」と叱られて。
そうなんだ…、自分の感受性は自分で守らないと、誰も守ってくれないんだ…と新たに発見して。
「言い訳するんじゃない!」ということ。
と同時に、「私が私を大事にできないで、いったい誰が大事にしてくれるっていうの?」ということ。
生きていくのに必要な自尊感情がある、ということを気づかせてくれた。
でも…、気づいても、「そうすることができる」というのには、ちょっとキョリがあるんだけれど、ね。
「仕方なかった…」「どうしようもなかった…」そう言いたくなるときに、「ホント? 私。」と問いかけながら、「今は、そうかもしれないね。でも! 明日は違うかもしれないよ。」と。
今の自分の無力感に「限定」をかけながら、なんとか「明日」まで生き延びよう、と思った記憶があります。
…「Tomorrow is another day」です。
しかし、時間がかかりました。今なら、もっと別の方法ないの? と思います。
穴にはまって、落ち込んだ時は、今までは自分で這い上がるしかなかったね。
でも…、ここでは、手を差し伸べて引き上げてあげられるよ。
自分の感受性を守るやり方は、何も茨木のり子式に「自分で守る」ばかりでなくてもいいよね?
今の状態はもう嫌! 何とかしたい! だから、手伝って! これも立派な自分の心の守り方。
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