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ボイスアート・学びの旅(2)〜浅田慈照尼に般若心経を聴く〜

2017/11/11
ボイスアート・学びの旅(2)〜浅田慈照尼に般若心経を聴く〜

昨日の浅田慈照さんのお話は、全部をまとめ切れていなかったので、今日はその続きを。

 

般若心経のお話に入る前に、慈照さんからいただいたとても素敵なイメージ(心象風景)を。

何か、行(ぎょう)をする時に、自分の置いた足のその下に、蓮華の花が開くのを思い浮かべながら行われるそうです。

お釈迦さんは「自分の選んだ道は、何一つ間違いはない」と言われているのだから、各人の選択がそれぞれ違っていて、それで何一つ「間違いはない」のだから、その選択に祝福がある。

 

蓮華が咲くところに自分の足を置くのではない。

「自分の足を置いたところ、置いたところに蓮華が咲く」のだ、と。

 

お釈迦さんの教えは、自分を何かの「戒律」に縛り付けるものではなく、自分の心が選ぶことを支えるものだったんですね。


さて、般若心経のお話です。

参加者が質問をして、慈照尼が説明くださった語についてのみ記します。

(私たちの基本的な言葉自体の知識がなくて、全部を網羅していただくのは時間が足らなくなり、前半部分のお話が中心となりました。)

 

仏の説きたまえる摩訶般若波羅密多心経(まかはんにゃはらみつたしんぎょう)

「般若」とは知恵のこと。「般若波羅密」とは「考え方の行(ぎょう)」のこと。「心経」の「心」とは心臓のこと。

つまり、「肉体にかかわる考え方の行(ぎょう)として、説かれたもの」。

 

観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 深般若波羅密多(じんはんにゃはらみった)を行(ぎょう)ずるの時

五蘊(ごうん)皆空(かいくう)なりと照見して 一切の苦役を度す

五蘊皆空とは、ころころ変わっていくこと。

 

舎利子(しゃりし)よ

色(しき)は空(くう)に異(こと)ならず 空は色に異ならず

色すなわち是(これ)空なり 空すなわち是色なり

受(じゅ)と想(そう)と行(ぎょう)と識(しき)とも またまたかくの如(ごと)し

舎利子とは、釈迦の弟子。知恵第一と呼ばれた。

つまり、般若心経は知恵第一の弟子である舎利弗(しゃりほつ)しか理解できないと思って釈迦が話されたもの。

舎利弗に語りかけられた言葉のままが残されている。

 

色とは物質。

空とは、あるものと私のあいだ。間とは時間・空間。

(空がないと楽(らく)がない。)

受とは耳で受け取るもの。音など。

想とは匂い。鼻から受け取るイメージ。

行とは時間によって変わっていくもの。

識とはひとりひとりによって異なる認識。

 

舎利子よ

この諸法(しょほう)は空を相(そう)とし 生(しょう)ぜず 滅(めっ)せず 垢(あか)つかず 浄(きよ)からず

増(ま)さず 減(へ)らず この故(ゆえ)に 空の中には 色もなく

受も想も行も識もなく 眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんに)もなく

色聲香味燭法(しきしょうこうみそうほう)もなく 眼界(げんかい)もなく 乃至(ないし) 意識界(いしきかい)もなく…

「眼耳鼻舌身意」のうちの「意」とは「脳」のこと。全部の感覚を束ねているもの。

「色聲香味燭法」とは眼や耳や鼻や舌や身体(皮膚感覚)で受け取ったものの形。

 

人間は「五つの穴のあいた舟」にたとえられるそうです。

眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)から、水が入ってくる。

つまりは、いろんな感覚からの情報(=水)が入ってきて、それに翻弄される、ということでしょうか。

水をかき出しながら、生きるのもひとつの生き方。

穴を押さえながら(なるべく水が入ってこないようにしながら)、生きるのもひとつの生き方。

 

お釈迦さんは、有(う)を何にするかを問われたそうです。空(くう)のままで生きてはいけないので。

その時に、意図的に「喜び」を有にする生き方を、と。

 

先ほどの「五つの穴のあいた舟」のたとえで言えば、いくら水が入ってくるのを、防ごうと思っても防ぎきれるものではない。

感覚を閉ざしては生きていけない。

だから、入ってくるものを入ってくるままに、けれど、それに翻弄されないでいられる術(すべ)を、ということでしょうか。



慈照さんのお話は自在に行き来し、釈迦滅後200年経ってから観音信仰が生まれたこと、弘法大師が亡くなって300年後に宥快(ゆうかい)というお坊さんが出て、その方が今の高野山のしきたりのあれこれを作ったこと等に話が及びました。

 

お釈迦さんのお話で他に印象に残ったのは、「チューラパンタカ」という頭の悪い子どもの話。

物覚えが悪いチューラパンタカに対して、「頭が悪くとも一心に掃除に励めば、悟りが開ける」話として残っているけれど、本来の話はそうではなかった。

 

釈迦が兄弟子たちに、チューラパンタカの耳元で教えをささやくように言ったのは、子どもの耳元でささやくためには兄弟子たちが身をかがめないといけない。

これは、兄弟子たちへの教えであったのに、いつの間にか話がすり替えられて伝わっている。

それは、そのような話にしておく方が都合がいい、と考える人がいたから。

チューラパンタカの話は、そういうことにしておいた方が、掃除に励ませられる、と。

そこに「お金儲け」が絡んでくることが多い、と。

もちろん「お金儲け」(=経済)なしには、人間の生活は成り立っていかないものではあるけれど。

 

いろいろ考える材料をいただきました。

また、お話を伺いたい、般若心経の続きもお聞きしたい、と強く思って、お宅をあとにしました。

 

画像は、浅田慈照さん宅の玄関で出迎えてくれた置物。

 

<追記>

「空」を「あるものと私とのあいだ」とお聞きした時、精神科医の木村敏さんの、精神的な病理は「あいだ」に生じるとした『人と人とのあいだの病理』をふと思い出しました。

間合いを取ることが必要な時に、それができないから、「病気」になる。

それは、他人との間合いだけでなく、自分との間合いもあるかもしれない。

自分のこだわり、気になって仕方のないことに囚われている状態は、自分との間合いが取れていない、ということではないか、と。

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