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私のフォーカシング・レッスン(2)〜池見陽さんのKSCC統合的心理療法セミナー・講義

2018/03/02
私のフォーカシング・レッスン(2)〜池見陽さんのKSCC統合的心理療法セミナー・講義
2017年12月10日にKSCC統合的心理療法セミナーで、池見陽さんの講義がありました。
昨日は大阪に出る用事があったので、午前中に「関西カウンセリングセンター」に寄って、音声でその講義を聴きました。
「私の心理療法…」と題された1時間45分の講義内容をまとめておきたいと思います。
【全体的なスタンス】
 ・人が生きることは理論に従っていない。
 ・心理療法は理論に従って進むわけではない。
 ・事例について「体験過程理論」に沿って語ることになる。
 ・最近は、(自分のフォーカシングには)仏教的な要素が入ってきている。仏教的な要素とは、「空(くう)」の世界から「我(が)」を見ること。ポイントは、「誰が瞑想しているのか?」を考えること。言い換えると、「私は不安です」と訴えているとき、「私は不安なんだ」と観察している私は誰なんだ? ということ。それは、「不安な私」ではない。

【増井武士さんとの対話を振り返って】
 ・増井武士先生と、自分たちの臨床について語った3日間が創元社から本になって出る予定。
 ・二人とも、あまり「パーソナリティー」とか「性格」を考えていない。(日本では、どうやって人格が形成されるか、の理論が多い。)
 ・そこには「診断」を挟み込むことになるが、そうすると「評価的」になる。(一方が一方を評価する関係)(池見は診断を挟み込まない)

【人の意識の方向性について】
 ・人はメカニズムではない。人間はメカではない。心にメカニズムはない。メカのように考えようという考え方もある。そうすると「過去の故障の原因を治す」という考え方になる。心理学的に言えば「転移・逆転移関係の中で癒やしていく」という考え方。それには無理がある。
 ・「無意識が葛藤を隠蔽していく」「症状が過去の苦しみの表れ」「症状が苦しみを隠している」という捉えではなく、「この先の生の可能性の開示」つまり「どう生きていくのがよいのかを指し示している」と捉える。
 ・人の意識はいつもクリエイティブ。この先がいつもある、と思う。たとえば、空腹を感じたとき、朝ご飯を食べてなかったという過去に遡ってもしようがない。それより、この先食べたいものが浮かんでくるはず。それはとても創造的。
 ・従来の心理学は「意識は創造的」とは見ていない。

【日本のロジャース理解】
 ・1942年に「非指示的心理療法」、1951年に「非指示的心理療法」は終わったとして「クライエント中心療法」を提唱、70年代に「パーソン・センタード・アプローチ」を提唱するが、日本でのロジャース理解は非常に偏っていて、日本でよく読まれているのは50年代のロジャース。

【ロジャースの「傾聴」】
 ・「傾聴」は英語では「リフレクト」。「リフレクト」は一般に「感情の反射」「伝え返し」と訳されるもの。ロジャースは「傾聴」で有名だが、ロジャース自身はこの言葉がとても嫌いになった。それで、ロジャースは「傾聴」のことを40年近く書いていない。
 ・ロジャースのところにいた学生が『積極的傾聴』を書いた。連名で出版されたので、そこから「傾聴」が広まった。
 ・「ジェンドリンの傾聴」をロジャースは「共感」として評価した。
 ・ロジャースは「技(わざ)は語らない、質(クオリティ)を語る」としたが、日本では「技」と理解された。
 ・ロジャースは気持ちのリフレクションをしたのではない。「伝え返そうと思ったことはない。『あなたはこんな風に感じているのですか?』を確認するため」と言っている。
 ・「私はあなたの話をこう理解したのですが、合っていますか?」というのは「鏡」の立場。これは、「もっと知りたい」という、「応答」の健全なあり方。つまり、「理解の試み(確認)」である。クライエントが言ったことを伝え返すのは健全ではない。

【フォーカシングとの関係】
 ・フォーカシングは、クライエントの中で何が起こっているかを見る。
  応答することのクライエント側の意義=鏡…ジェンドリンの視点
  応答することのカウンセラー側の意義=確認…ロジャースの視点 という関係にある。


後は、ご自分のフォーカシングについて語られたことをそのまま記述します。


できるだけ僕は、先入観を持たずに、その人の体験をできるだけ追体験しようとしている。
その人自身が言葉にしていないことでも、僕自身に言葉になってくることがあると、それを伝えようとしている。
ロジャースが言っているような「理解を試みる」。「私はこう理解しているんですけれど。」
その中で新しい意味が見つかってきたり、それからいろんな掛け合わせが、交差が起こってくる。
いろんな症状とか、そこに感じているもの、言葉になかなかならないし、意味がなかなかわからないけれど、その意味をこちらが説明しようとは思わない。
「わからない」というところに豊かさがある。そこをできるだけ大事にしたいですね。

クライエントはなかなかそういうことを、自分の中で感じていることを豊かなものとして大事にできないことが多いです。
特に嫌なものを感じているので、感じたくないとか、どっかに捨て去りたいとか言うんですけれど、そこをセラピストが「あなたは捨て去りたいかもしれないけれど、僕にはとても大事なもののような気がする」と、そこを大事にしてあげることで、クライエント自身が自分の感じているものを、より豊かなものとして感じることができたときに、自分の中で意味を創造していく過程を創造していくことができる気がする。

画像は、ランチを取った淀屋橋のお店。

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