この週末は、GNK(ゲシュタルト・ネットワーク・関西)の「ゲシュタルト療法 ベーシック&アドバンス トレーニングコース」の第10回でした。
ファシリテーターは主催者の白坂和美さん。
2日間のトレーニングコースのうち、2日目のCFO体験(トレーニング生がクライエント・ファシリテーター・オブザーバーとなって行う練習)をまとめたいと思います。
最初のCFOは、Aちゃんがクライエントで、私がファシリテーター。
私は、上司とのやり取りをエンプティー・チェアーでやっていこうとして、20分のタイムアウトになってしまったのだけど、オブザーバーの「私がファシリなら…」は違っていた。
Aちゃんの、行きたい場所をイメージしたときの表情を捉え、なんとも穏やかに微笑んだ、そのイメージをもっと味わってもらう、と。
ああ、そうか、と思いました。
何かの方向に「持っていこう」とするのでなく、クライエントがありありとイメージしたその場所にしばらく「留まって」もらうことで、クライエントの中の何かが動き出すのを「待つ」。
すると、多分…クライエントの中から動きが出てきて、それがクライエントの「気づき」を生み出す。
2つめは、私がクライエントで、Bちゃんがファシリテーター。
私はその日の朝に味わった、子どもとの幸せなやり取りをもう一度味わいたくて、それをテーマにした。
私は来年度の学費を子どもに自分で払うように言っていて、でも、とりあえず私が支払うから、「借用書を書くように」と言っていた。
その「借用書の金額はいくらにすればいいのか?」と聞いてきて、そんなやりとりから、
「卒業証書を渡される日を教えてね。」と言うと「なんで?」と聞くから、
「だって、卒業証書を実際に見たいじゃない? 」と答えたら「そんなに信用ないんか…」と言うので、
「いえいえKちゃん、だって、お祝いしたいじゃない? 何か美味しいもの食べに行こうよ。」
って答えたら、やっと子どもの口調が変わって「わかった。じゃあ、また聞いて連絡する。」と言った…。
今までも、「そんなつもりじゃないのに…」と思いながら、なんでか、思わぬ方向に話が進んで、気まずい思いをすることも多かったので。
単純に、嬉しくて。
そうして、嬉しくなった私は、母に「朝から誰と話してたん?」と聞かれて、子どもとのやり取りを話して、
「あ、そうだ。Kの卒業証書が渡されるとき、お母さんも一緒に広島に行く?」
と聞いたら、母はとても嬉しそうに「行く行く!」と答えてた…。
「その嬉しさは、どこで感じていますか?」とのファシリテーターの問いかけに、胸の辺りを指して「ここらへん…。」
そうして、その嬉しさは、どんどん広がっていって、私の身体から周りに流れ出し、辺り一面に広がって…
「だから、私にも、まこさんの嬉しさが伝わってきているんですね。」と返して貰い…。
ゲシュタルトのワークは悩み事ばかりでなく、こんな嬉しいことや楽しいことを扱ってもいいんだとのことでした。
3つめは、私がクライエントで、Cさんがファシリテーター。
私は、引っ越すことに関しての母とのやり取りを取り上げて。
私は次第に、身体を、Cさんと向き合っていた身体を斜め方向にずらしていっていて。
そのことに私は全く気づいていなくて、Cさんに指摘されたときには、本当にビックリして。
Cさんは、「(Cさんから)逃げていっている」かのように感じたらしいのだけど。
私は、Cさんの横方向に母を置いていて、その母に対して、立て膝をして、なんというか…「戦闘態勢」に入っていた…!
いや、ホント、びっくりしました。
私の身体が、私の気持ちを雄弁に語っていた…。
4つめは、Dさんがクライエントで、私がファシリテーター。
Dさんの友人との、仕事を巡る「関係性」の問題。
私としては余りうまくファシリテートできた気がしないのだけど、整理できたものがあった、といってもらって。
(でもこれは、私の中では落ちていない…。)
5つめは、私がクライエントで、Eちゃんがファシリテーター。
もう、私の中で、扱うテーマが思いつかなくて。テキストに「イメージワーク」が書いてあったので、それをすることにして。
「よくイメージする風景」と言われて、東大寺二月堂の欄干からの風景を思い浮かべた。
私は高校生に戻っていた。定期テストが終わると、必ずそこまで歩いて行って。夕方になるまで、ぼんやり奈良の町を見ていた。
日が落ちて、山際の、夕日に染まった空が少しずつ狭くなって。同時に空の青さがどんどん深くなって、紺色になっていって。
「夜の帳(とばり)が降りる」って言うのは、こんな風に色が変わっていくことをいうんだ…と思いながら、私はその中で、ひとり取り残されたように感じていて。
…その時間帯が私の「淋しい」の極致だった。
私は…14の頃から淋しかった。いや、今思うと、もっと子どもの時から淋しかった、かもしれない。
「何が淋しかったの?」と問われて、「存在していること自体。」と答えていた。
「そして、私が何に淋しがっているか、私が何が好きで、何に興味があって、ということを誰も理解してくれないこと…。」
私の目から涙があふれてきた。
「そのころのまこさんになってみますか?」と言われ、できないことに気づいた。
「14の時の私にも、17の時の私にもなれないけど…私はその頃の私に寄り添ってあげられる。誰がわかってくれなくても、私はわかってあげられるよ、って言える。」
14,17の時のわかって貰えない悲しみの涙から、「大丈夫よ。」と言ってあげている私の涙に変わっていった。
そう、大丈夫。誰か、わかってくれる人を求めなくても、私は大丈夫。
というところでワークは終わりました。
もう1つ、私がオブザーバーとなったCFOがあるのですが、これは、ちょっと置いておきます。
本当に、今回もたくさんの学びがあったトレーニングコースでした。
画像は、ワークを終えて、アルセラ(アルコール・セラピー)に立ち寄った、お店。
屋外のテーブルには誰もいませんでしたが、我ら4人はブランケットを要求して、外でアルコールをいただきました!