昨日は、関西カウンセリングセンターで、「池見陽先生のフォーカシングワークショップ」がありました。
「一日(6時間)かけてフォーカシングの基礎から実際のデモンストレーションまで」という触れ込みでした。
池見陽さんのメッセージがチラシに掲げてありました。
【カール・ロジャーズとともに心理療法の研究に従事していた哲学者ユージン・ジェンドリンは、カウンセリングで成功しているクライエントの体験の仕方を紐解いてきました。そして、その体験の仕方を「フォーカシング」を名付けました。
フォーカシングは心理療法の場でクライエントがしている「内なる行為」ですが、実はそれはあらゆる創造的な発想を支える人間の体験のあり方なのです。
当日は、基礎から「フォーカシングと呼ばれている体験のあり方」を講義や体験学習やデモンストレーションを通して、お示しすることができれば幸いです。】
本来は3日間のワークショップの内容であるとおっしゃっていました。
(実際に、同じ内容で7月に、オーストラリアで3日間のワークショップをされるそうです。)
それを6時間で、ということで、80分×4の「コンテンツ」が用意されていました。
カール・ロジャーズ(1902ー1987)…ジェンドリンとともに「パーソン・センタード・アプローチ」を創立
ユージン・ジェンドリン(1926ー2017)…哲学者(現象学)
・ウィーンの生まれ。ナチスから逃れ、1938年4月、ウィーンを出てアメリカに移住。
(2018・5・2にウィーンでジェンドリンのプレート(碑)が建てられる、ということでした。)
・亡くなってからジェンドリンの本が2冊出た。
・「人の体験と象徴化の過程」を研究した。(「象徴化」とは言葉にすること)
・進学したシカゴ大学に、カール・ロジャーズがいた。哲学科の修士課程にいたジェンドリンがロジャーズの門を叩いたのは1953年。
・ロジャーズは時々ジェンドリンを自分の講演に連れて行った。それは、難解な質問が出たときに、代わりにジェンドリンに答えさせるため。実際、70年代のロジャーズはジェンドリンの理論を取り込んでいる。
今回、原文引用されたのはバンダム社の『FOCUSING』。
【Contents1】〜フォーカシングが見いだされた初期の研究:EXP〜 <概観>
・フロイトやユングとロジャーズの大きな違いは、フロイトやユングは開業医であったのに対し、ロジャーズは大学教授であったこと。つまり「研究」が仕事だった。(しかも、シカゴ大学はノーベル賞受賞者を74人も輩出している大学)
・1942年、カール・ロジャーズは心理療法を初めて録音した。(レコーディング・スタジオで録音/EP盤…片面3分/総勢20名のスタッフ)
・この録音によって、精神療法で「抵抗」と呼ばれているものが起こる数秒前に、カウンセラーが重要なことを聞き落としていることが判明した。それにより、クライエントが「白けた」ことで生じていることが分かった。
<プロセス・スケールの研究…『FOCUSING』より引用>
・最初に見つけたことは、成功するセッションの患者は他の患者とは違っている。この違いとは、ひとたびこれを定義すると簡単に見つけることができる。
・この違いとはセラピストのテクニックとは関係なかった。患者たちが話す内容(自分の過去をどれだけ話すか)でもなかった。
・この差は、「どのように話しているか」にある。しかしそれは、本当の差の、表面的な差でしかない。本当の差は、患者たちが自分の内でやっていることにある。
<「フォーカシング」とは?>
・クライエントが自然にやっていること
・それを指し示す方法=指導法
※のちに、キャンベル・パートンは「教えるフォーカシング」と「自然のフォーカシング」に分けて考えた。
<体験過程様式と体験過程>…EXPスケール (池見他訳1986)
・レベル1…自分が関係していない出来事を語っている
・レベル2…自己関与がある出来事の描写、抽象的発言
・レベル3…出来事への反応としての感情表明
・レベル4…出来事への反応ではなく、自分自身を表すために、気持ち、気分、フェルトセンスなどを用いる
・レベル5…仮説提起、問題提起、自問自答 「〜かな」
・レベル6…気づき、声がおおきくなる、笑、涙などはっきりした変化がある
・レベル7…気づきの応用・展開
※EXPとは、「Manner of Experiencing Scale」(体験過程の様式)の略で、「 Experiencing Scale」→「Exp Scale」となった。
ここで実際に、用意された「逐語」(カウンセラーとクライエントの実際のやり取り)を用いて、クライエントの発言のレベルがどこに位置するかを演習しました。
クライエントの発言のピーク(=最も高いもの)はどのレベルか、モード(=最も多いもの)はどのレベルかも見ました。
次に、クライエントの発言の中で、「感情表現」がどのように動いていくかも見ました。
「感情表現」が動いていくのは、「人の体験は過程であって、言葉にすっぽりはまらない」ことを意味するのだと言われました。
この体験過程の動きを見ていくのがフォーカシング、だとも。
【Contents2】〜フォーカシング簡便法(1)CAS〜
<概観>
・クライエント中心療法=クライエントの中のクライエント中心。つまりは、その場で探ること「今日、私は何か気になっているか?」
・「felt sense」(感じられた・意味)は「感情」ではない。「言葉では表現しにくいけど。独特な感じ」。
・「身体で感じる」感覚=フォーカシング。身体とは「皮膚という封筒ではない」。
・池見は「Handle」を「手掛かり」と訳している。(私は「取っかかり」の方がいいように思ったのだけど。)
<クリアリング・ア・スペース(CAS)のデモセッション>
池見さんは参加者に「見ておきたい」か「ちょっとやってみたい」か「是非やってみたい」か問われました。
「是非やってみたい」人はおらず、「ちょっとやってみたい」人3名がじゃんけんして、デモセッション者を決めました。
実際にセッションが行われ、それに対する質疑応答がありました。
Q:「海の底に置いておく」と言ったクラインエントに「箱」に入れさせたのはなぜか?
A:「海にそのまま入れると、流れていくかもしれないので、それは『捨てる』ことになってしまう。捨てても戻ってきたりするので、そういう扱いはせずに、箱に入れてもらった、そうすると『宝箱』という言葉がご本人から出てきた。」
Q:「自分の感情を捨てるのはよくない、というのは理解したが、それでは、最後のものは鴨川に流しても良かったのか?」
A:「鴨川、という固有名詞が出てきたので、これは捨てる感じではないと思った。」
(ここでクライエントに確認され、クライエントにとっての鴨川は、何かあったときにそこに行くという場所であることが判明。やはり「捨てる」のではなく、その『流れを見る』、『そこに流してみる』という気持ちであったよう。)
補足として、これまでの池見さんの「CAS」セッションでの事例が紹介されました。
・「あなたの悩みをここにちょっと置いておきましょう」といったところ、「…返してくれるんでしょうね」と言われた話。(なかなか「手放せない」感じに気づく)
・何でもかんでもコカコーラの瓶に入れておく、という人がいて、でも、あるとき、そのコカコーラの瓶が割れてしまった。(その中に収まりきれないものに気づく)
「クリアリング ア スペース」は、「中味に入らないのに、ちょっと落ち着いた感じがするのがおもしろいところ」だといわれました。
確かに、「もやもやした気持ち」「家族のこと」とその内容は明らかにされまいままセッションが進んでいって、それで、最後は、何だかスッキリした、という感想を言われました。
「この気持ち」には「この居場所」を作ってあげる、ということで、落ち着くのだ、とのことでした。
心理療法として、「1つ1つの悩みに入っていく」という攻略と、「全体としてスペースを作る」という攻略があるのではないか、とまとめられたのが印象的でした。
ちょっと、分量が多くなったので、後半は次回に。
画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見かけた、ご近所のしだれ桜。