昨日は、GNK主催の「ベーシック&アドバンス トレーニングコース」の第11回目でした。
ファシリテーターとして、新潟から高森美紀子さんが来られました。
高森さんは元警察官で、少年係の専門職として、再非行防止に取り組んでこられた方です。
御年70とお聞きして、その若々しさに、まずびっくり。
ご自身を振り返って、「子どもたちと向き合っていると、自分と向き合わされた」「子どもとは、一瞬の内につながれる。その一瞬を私は見逃さない」「自分の中の、子どもの頃の深い問題が、私と子どもたちをつなげている」と言われました。
その言葉の率直さに、私は一瞬にして魅かれました。
50になったとき、これからの自分の人生をどう生きたいかと考えた。組織と離れたところでやっていきたい。
息苦しさを感じている人と共に生きたい。
57で仕事を辞めようと考えていたら、56の夏、病気になって身体がいうことをきかなくなって、早期退職することになった。身体が考えてくれていると思った。
今は、自宅で個人ワークをすることと、質のいいワークショップを地元新潟で開催することで学びの場を提供している、とのことでした。
高森さんの言葉で印象的だったのは、「すべての判断は、記憶と照合して行われている」ということ。
言い換えると、記憶がないと判断できないのだ、と。
子どものことがなんでこんなに分かるのか?
自分の中の何が反応しているのか、自分を知りたい。
「清く正しく美しく」ない私。
どこから、その私の決断がきているのか?
そのことが、高森さんの「仕事を通してのテーマ」であったようです。
そんな高森さんの自己紹介のあと、チェックインもかねての参加メンバーの自己紹介が始まりました。
濃密な各自の自己紹介に、私は圧倒されました。
なぜなら、これまで1年ないし2年間グループとして一緒にやってきて、ある程度メンバーの抱えている問題や考えていることなど知っているつもりだったのに、まるで知らない、その人の本質的な部分が、いくつもいくつも立ち現れてきたからです。
高森さんも、そういった凄さを感じられたのか、二人ペアになって、「ただただ、今感じていることを15分ずつシェアし合う」という時間を取られました。
一方が「今、何を感じていますか?」という問いかけをしたあとは、もう一方が感じるままに話すことを、ただ聴く。
私は、このペアワークでも、貴重な体験をしました。
まず、私が話し手となったのですが、私の口から流れ出た言葉は、「話したいこと、というのは、予め、自分の中にあるのではなく、何か…誰かの言葉だったり、その場の雰囲気だったりに触発されて、出てくるものだということに気づきました」。
だから、今回、高森さんに触発されて、これまでに知らなかったメンバーの姿が立ち現れたのだ、と思いました。
いや、高森さんだけのことではないもしれない。
今、これを打っていて、急にそう思いました。
メンバーのそれぞれの「時期」も、いいタイミングで「熟成」された時であったのかもしれない…。
私のペアとなった人からは、このようなワークで人の体験を聴いたときに、ちょっと距離を取ってしまう自分に気づいていて、それが何か歯がゆい感じであることを言われました。
私は…、ただただ聴くだけと言われていたのに、何か言いたくなってしまって、ロジャーズの「自己一致」を実行しました。
私は、それはあなたが、その話を受け止める自分が、自分の中にできるまで、待とうとしているように思える、と言ったのです。
今の自分でその話を受け止めると、浅いレベルでしか受け止められない。
それは惜しいことだから、ちょっとその話を味わうのを今はとどめておく、というのは、相手に対しても自分に対しても誠実であるように私には思える、と。
だから、あなたは、自分が育つのをただ待っていればいいのだ、と。
きっとそのうち、あなたのペースであなたは育つのだろうから、と。
今、言葉を付け加えるなら、「あなたはあなたを信じて、自分が育つのを待っていればいい」。
あ、途中ですけれど、時間ですね。
今日のワークは9時から始まるので、そろそろ準備しないといけません。
続きはまた。
画像は、朝の散歩でのアンジー。
子どもと向き合えなかった分、今はアンジーと向き合っています。
…と言いつつ、こんな風に、時折、そっぽ向かれるんですけど。