今年の3月末から、「ボイスアート上級コース」から始まって、今は「ボイスアーティストコース」の個人レッスンを受けています。
ボイスアートのグループレッスンは、もっと以前から受けていましたけれど、日常的にボイスアートの呼吸法がとても有効であることを実感し、きちんとした形でボイスアートを学びたくなったのです。
昨日はその3回目で。
新しく手渡された「テキスト」には、「はじめに」と題された文章が載せられていて、「ボイスアート」が生まれたいきさつ、「ボイスアート」の目指すものが端的にまとめられていました。
引用させていただきます。
“人が最も興味を持つ事柄の一つに、自分は何者なのか、唯一の自分を知りたい、そして、それを表現したいということがあると思います。
これは、私たちがうまれてきた理由ではないでしょうか。
私も、そう思った一人でした。1995年よりスタートした「ボイスアート」、その答えを自分なりに見いだせたように思います。
「息」という字は、自分の「自」に「心」と書きます。
この自分の息を初めて聴いたのは、1995年阪神淡路大震災に遭い、強い鬱状態になった時のことです。
「生きているか、死んでいるかわからない時間」。
前年に離婚をして、家や仕事を失い、小さい子どもを抱え、苦しくて、歌うことはおろか、声を出すだけで心の中は、血が流れていくような日々でした。
そんなころ、滋賀県朽木村に来ないかと誘われ、山の中にある友人宅に宿泊しました。
翌朝、河原で、おもむろに声を出してみると、聴こえてきた自分の声は、自分の心に向かっていました。
瞬間、怒濤のように涙が溢れ出たのです。
同時に終わらせていない過去の哀しみの涙であったことに気づき驚きました。
その涙は、繋がりたいのに繋がれなかったことへの、怒りや悔しさの感情でした。
いい人にみられたかった私は、それを押さえ込んでいたのだと思います。
自分の声を聴いて癒やされることがあると気づいた初めての経験でした。
こうして、声を聴く行為から「ボイスアート」が生まれました。
天から降りてきたボイスアートというギフト。
自分だけのものではない、みんなで分かち合い、分け与えるギフトを戴いたのだと思います。
食べる、排泄する、呼吸(息)は他の誰かに代わってもらえるものではありません。
特に呼吸は、息の道を辿り、本来の自分を知る道でもあります。
ボイスアートの学びを通して、自分が何者なのか、どこに向かっているのか、生きる意味とは…そんな疑問の答えが、ボイスアートの中にあります。”
なんだろう…読んでいて、まや はるこ先生の想いがゆったりと私の中に流れ込むような感覚に襲われて。
いい文章だなあと思いました。
人の心を打つ言葉とは、多分…、率直でありのままの自分を、そっと差し出されたように感じるときに生じるものではないか、と思います。
決して押しつけがましく示されるのではないときに。
…いや、それは、言葉の問題ではなく、その人の在りようの問題であるのかもしれない。
その人の在りようが、自然な言葉となって、自然なエネルギーとなって、流れ出す。
そのエネルギーは、その人の周囲にいる人を柔らかく包み込む。
やわらかく、まあるい空間となる。
そうだった…私は、そんな空気感が欲しくて、そして、そんな空気感を人に差し出せるようになりたくて、「アーティストコース」受講を始めたのでした。
コース修了は10月となります。
毎回の深い学びは、私の心を元気にします。
コース修了後に、何を提供できる私になっているか、私も楽しみです。
画像は、今年の5月、朝の杏樹(アンジー)との散歩時に撮ったご近所の薔薇。
まやはるこ先生は、深紅の薔薇のイメージかな、という気もするのだけれど、こんな風な柔らかな藤色もお似合いな気がする。